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#68 エミリィと賢治の相似形 その1【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その6】

(続き)

〇 エミリィと賢治の相似形 その1

エミリィは、賢治が生まれた1896年の10年前、1886年に亡くなったため、2人の接点はありません。

しかし、エミリィと賢治は、家庭環境など様々な面で似ています。
アメリカの地方の小さな町アマーストで一生を過ごしたこと、裕福な家庭に育ったこと、議員として幅広い交流を持つ父がいたこと、生前は作品がほとんど世の中に知られなかったこと、亡くなって程なく作品が人気となったこと、100年経っても作品が色褪せないこと、等です。

エミリィと同様に、賢治もまた独特な詩風を持っています。私の場合、エミリィの詩は、英語ができないから理解できないのですが、賢治の詩は、日本語ができても理解できず、そこにも共通点があるような気もするのです。

生前は無名だったエミリィの死後、エミリィの名を広めた人物の1人にメイベル・トッドという女性がいます。エミリィを日本に最初に紹介したのも、メイベルです。メイベルは、賢治が生まれた1896年、夫の日食観測隊に同行し来日、岩手県釜石沖で、明治三陸地震の被害も目にしながら、北海道へ上陸します。札幌農学校では、賢治が生まれた花巻にゆかりの深い、新渡戸稲造達に面会します。その後、北海道北部の枝幸で日食観測を行い、その際、一部加筆したエミリィの詩を、日本で初めて紹介しました。もしかすると、メイベルは、札幌でも、新渡戸にエミリィの詩を紹介したかもしれませんが、その記録は残っていません。

(続く)

2023(令和5)年9月27日(水)

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