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#70 賢治とアメリカ【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その8】


(続き)

○ 賢治とアメリカ

宮沢賢治は、岩手の地方都市・花巻で生涯を過ごし、仏教、特に法華経から大きな影響を受けたと言われています。賢治は亡くなるまで日本から出たことがなく、外国の宗教や思想、文学などとの密接なイメージはあまりありません。

まず、賢治とキリスト教やアメリカとの関係、そして花巻とアメリカのつながりの上で重要な札幌農学校・北海道帝国大学(現在の北海道大学)の関係について見ていきます。

アメリカは、詩人のエミリィ・ディキンスンが生まれ育った国。
「賢治とアメリカ」の関係を考えることによって、全く繋がりがあるとは思えない「賢治とエミリィ」の関係についても徐々に考えていきます。その際には、エミリィと比較的近い位置にいるアメリカの思想家エマーソンが重要人物として登場します。エマーソンという人物についても、徐々に触れていきます。

宮沢賢治が、親友の保坂嘉内に当てた手紙の中には、賢治がアメリカに行きたがっていたのではないか、と思われる内容があります。
賢治の父・政次郎は、賢治に対し、「アメリカへ行かうのと考えるとは不見識の骨頂。きさまはとうとう人生の第一義を忘れて邪道に踏み入ったな。」と言い放ち、賢治は手紙の中で「私は邪道を行く。見よこの邪見者のすがた。学校でならったことはもう糞をくらへ。」と書いています。
温厚な賢治のイメージからは想像し難い様子であり、賢治と父親の間で、激しい攻防があったことが推測されます。

キリスト教については、賢治の詩に「基督再臨」という、詩の中にイエス・キリスト自身が登場し語る印象的な詩があります。有名な「銀河鉄道の夜」も、ジョバンニとカンパネルラが乗った列車の車窓からは十字架が見え、讃美歌も聞こえてくるなど、一見するとキリスト教的な風景で彩られています。

生涯を花巻で過ごした賢治としては意外なようにも思えますが、手紙からは賢治がアメリカに行きたがっていたこと、詩や童話からは賢治がキリスト教に対する理解があったことが窺えます。

次からは、アメリカ・マサチューセッツ州や岩手・花巻ゆかりの人々と、エミリィや賢治との繋がりを探っていきます。

(続く)

2023(令和5)年9月29日(金)
(2023(令和5)年10月15日(日)修正)

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