見出し画像

十一面千手観音の想い出

東京国立博物館で特別展「京都・南山城の仏像」を開催中だ。
先日、担当学芸員の方による記念講演会に参加し、その後展示会場で旧知の仏像たちと再会を果たした。

南山城と呼ばれる京都府最南端の地域に、在職中に二度赴任した。
最初の赴任は2010年前後、当時小中学生の子ども二人も一緒に家族四人で三年間を過ごした。二度目は、東京に戻ってから三年を経て、単身で一年間だけ赴任した。

東京国立博物館公式サイトより

木津川流域のこの地域は、平城宮跡から近いこともあって広い意味で奈良文化圏の一部であり、由緒ある寺院が点在している。
そして、それぞれの寺院にいずれも魅力的な仏像がおわせられる。

特に十一面観音像は見ごたえのある立派なお像が多く、観音寺かんのんじ海住山寺かいじゅうせんじ禅定寺ぜんじょうじ寿宝寺じゅほうじ現光寺げんこうじに国宝、重文が安置され、これに府県境を越えた奈良県側の法華寺ほっけじ海龍王寺かいりゅうおうじを加えると、実に充実したラインアップとなる。

公共交通機関ではアクセスが不便なお寺も多く、最初に赴任した時期は、中古で買ったコンパクト・カーを運転して、家族でよく仏像を見に出かけたものだった。

赴任期間を終え、東京に戻った後で、それと知らぬ間にてんかんを発症、症状が進行していたらしく、あるとき大きな発作を起こした。帰宅時に自宅マンションのエントランスで意識を失って転倒し、救急車で病院に搬送されたのだ。
その後、MRI検査等、種々の検査を行った結果、側頭葉てんかんの確定診断を受けた。
専門医への定期的な通院と毎日の服薬が始まり、それ以来はとくに発作も起こらず、日常生活になんら支障はない。

しかし、側頭葉という脳の部位は記憶をつかさどる場所であることから、一時期のてんかんの発作の副作用で、短期記憶にとどまらず、中長期にわたる過去の記憶の一部まで欠落してしまった。
とくに最初の京都赴任時期の記憶は欠落が著しく、仕事上の記憶だけでなく、休暇中に家族で訪れた場所などについても覚えていないことが多い。仕方のないこととは言え、寂しい思いをした。

そこで、二度目の単身赴任時は、休日のたびに、愛車(電動自転車)にまたがって、失くした記憶をとりもどすかのように、南山城一帯を駆けまわった。
職場及び宿舎が丘陵地にあったので、谷を下り、丘を越え、大型トラックが猛スピードで行きかう木津川沿いの国号163号を疾走しつつ、次々と寺院めぐりをした。

おかげでその年は真っ黒に日焼けしてしまった。
一時帰京したついでに行きつけの美容室で髪をカットしてもらったとき「なんでそんなに日焼けしているんですか?」と驚かれたほどだ。
晴れた日はサンバイザーを着けて自転車に乗っていたのだけれど、曇りの予報の日は油断してサンバイザーを置いて出かけてしまい、そういう日に限って猛烈な日差しに直撃されるのが常だった。天気予報とはあてにならないものだと思い知った。

なんにせよ、二度目の京都赴任は、木津川流域ののんびりした風景を楽しみつつ、野山を走り回った思い出深い時期となった。

話を仏像に戻す。

そのようにしてわたしが再び拝顔することができたお像たちの中でも、ひときわ強烈な印象を残した仏像がある。今回の「京都・南山城の仏像」展にもおでましになった寿宝寺の十一面千手観音像だ。
出品目録上の名称は、千手観音菩薩立像、木造で像高約170センチ、平安後期(十二世紀)の作とされ、重要文化財に指定されている。

寿宝寺・十一面千手観音の昼のお顔 
観光庁のサイト「南山城の古寺巡礼」より

寿宝寺は、京田辺市の近鉄京都線沿線にある。こちらに安置された十一面千手観音像を拝観する際は、コロナ禍以前から事前予約が必要だった。

その日も、あらかじめ電話で日時を伝えたうえで来訪した。お寺に着くと、小さな赤ちゃんを背中におぶった若奥さんが応対してくれた。早速、お堂ではなく小さな収蔵庫のような建物に案内され、そこで、十一面千手観音像と対面した。
畳敷きだったか、カーペットあるいは座布団だったのか覚えていないのだが、若奥さんとひざ詰めで座ってお話を伺った。凛とした若奥さんは、時おりむずかる赤ん坊をあやしながらも、慣れた口調でお像の縁起等について丁寧に説明してくれた。

この観音様は、もともと近隣の神社あるいは神社内のお寺(神宮寺)に伝わったものだとされている。そして、周辺の住人である神社の氏子たちは、月明かりの下に集ってこのお像を拝むことを好んだらしい。つまり、このお像の本来のお顔は夜のお顔であるとのことだ。

若奥さんは、ひととおりの説明を終えると、それでは観音様の本来のお姿である夜のお顔をご覧いただきますと言って、収蔵庫の扉を閉めて外光を遮ると、照明を月明かりのようにほんのりと暗いものに切り替えた。

するとどうだろう! 驚いたことに観音像がまったく別のお顔になった。
それまでの、ユーモラスでありながら少しばかりいかめしい感じであったお顔が、ほのかな明かりの下でなんともいえず優しくおだやかな、慈愛にみちた表情を浮かべたのである。

これは感動的な体験だった。観音様の本当のお顔を見て、いにしえの人々が好んで月明かりの下でこの像を拝んだ気持ちがよく分かるような気がした。

家で妻にこの体験を話すと、当然と言えば当然ながら、最初に赴任したときにも家族で寿宝寺を訪れ、収蔵庫内で仏像の説明を聞き、夜のお顔も見たのだと聞かされた。なんのことはない、それをすっかり忘れていたのだ。

してみると、わたしは、記憶をなくしたおかげで、まったく同じ驚きを二度味わうことができた、ということになる。これは、記憶をなくして得をしたのだ、と言えるかもしれない。もっとも本人に得をしたという実感はあまりないのだけれど。

「京都・南山城の仏像」展の会場で、なつかしい寿宝寺の十一面千手観音像は、昼のお顔でわたしを迎えてくれた。再会を喜びながらも、またいつか、本来の夜のお顔を拝みに行きたいものだと思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?