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カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』

カズオ・イシグロは比較的寡作な作家であり、長編小説に限定すれば発表されている作品は全部で八つである。
これまで、それらのうちの五つについて note に拙い感想を記してきた。残るのは次の三つだ(刊行年は邦訳)。

『わたしたちが孤児だったころ』(2001年)
『わたしを離さないで』(2006年)
『忘れられた巨人』(2015年)

今回は『わたしたちが孤児だったころ』について書いてみたい。


『わたしたちが孤児だったころ』には、それ以前のイシグロの作品と明らかに異なる(とわたしが感じた)点が少なくとも二つある。

ひとつは、非常によく練られ、起伏に富んだプロットを備えていることだ。
これは、主人公の職業が探偵であり、部分的にミステリー小説仕立てとなっている点と関係があるのだろう。
わたしはこれまでのブックレビューで、さんざんネタバレをやらかしてきたのだが、この作品についてはプロットに深く立ち入らないようにしようと思う。

もうひとつは、戦争の陰惨さ、愚かしさを真正面から描いていることだ。
戦争とは、歴史上、第二次上海事変(1937)と呼ばれる日中間の戦争である。
物語の後半の舞台が当時の上海であり、当初、戦争は物語の背景に過ぎないのかなと思いつつ読んでいたのだが、クライマックスで主人公は戦場の真っ只中に踏み込んでしまう。
まさに前線となった、上海の貧困層が暮らす住宅密集地域の描写は酸鼻を極め、眼をそむけたくなるほどだ。

そのような内容は別として、この作品がそれ以前の作品と変わらぬ点は、本作でも「一人称の語り」が採用されていることだ。

これまで、たびたびイシグロの作品の「一人称の語り」という手法について考えてきた。
今回、この手法についてあらためて気づいたことがあった。
それは、イシグロにとって、この手法は、物語を効果的に統制し、まとめ上げるための枠組みとして、便利で使い勝手の良い道具立てであったのでないか、ということだ。

『わたしたちが孤児だったころ』は七つのPARTで構成され、各PARTの冒頭に西暦の年月日と場所が記されている。この年月日と場所は、語り手である「わたし」(クリストファー)が各PARTを綴っている時間と場所であると考えられる。
この時間は、PART Ⅰ(1930年7月24日)からPART Ⅶ(1958年11月14日)まで、時系列に設定される。
しかし、それはあくまで語り手が「語る」現在地の時間であって、語られる内容はその時点からみた過去の出来事である。さらに、語りの中に頻繁に回想が差しはさまれるために物語の時間は錯綜する。
読み手からするとけっこうややこしい。

逆に作家からすれば、語り手の「現在地」をそのように設定することは、PARTごとに語り手のポジションをしっかりと固定できるため、一連の事件・事象を自在に再構成する上で非常に都合がよい。

上に記したように、この作品はよく練られ、起伏に富んだプロットを備えている。
つまり、事件や事象を時系列に年表のように並べたときに、それらが非常にドラマチックな展開をたどる。
だからと言って、それらの事件・事象を単に時系列に、順を追って羅列してしまえば、できあがる作品は年代記のような味気ないものとなるだろう。
年代記と異なり、小説は素材を再構成する必要がある。

くだくだと述べてしまった。簡潔にまとめよう。
イシグロにとって、「一人称の語り」は、語り手の時間的・空間的位置を(順次)固定することによって、物語の諸要素を自由に再構成しつつ、安定したブレない視点を維持するための基本的な枠組みという機能も果たしているのではないか?
そう言えば、『日の名残り』の各章も(時間の経過は六日間と短いのだが)同じような構成をとっている。

作品の内容についても、できるだけネタバレにならないように注意しつつ、少しだけ触れてみたい。

わたしがとても好きな場面がある。
クリストファーが上海で事件調査の大詰めを迎えようとする頃、彼が思いを寄せる女友達のサラが年の離れた夫のもとを逃れて、上海からマカオに発とうとする。
サラはクリストファーに「いっしょに来てほしい」と誘う。
クリストファーは「僕には仕事がある」と答える。
わたしが感銘を受けたのは、そのときのサラの言葉だ。

「ああ、クリストファー。あたくしたち二人ともどうしようもないわね。そういう考え方を捨てなきゃいけないわ。そうじゃないと、二人とも何もできなくなってしまう。あたくしたちがここ何年もそうだったみたいに。ただこれからも寂しさだけが続くのよ。何かは知らないけれど、まだ成しとげていない、まだだめだと言われつづけるばかりで、それ以外人生には何もない、そんな日々がまた続くだけよ。もうそういうことは置いておかなくては。仕事なんてほうっておきなさいよ、クリストファー。あなたはもう仕事のためにはじゅうぶんな時間を過ごしたわ。明日行きましょう。これ以上一日だって無駄にするのはやめましょうよ。二人にとって手遅れにならないうちに行きましょう」
「手遅れになるって、何がですか?」
「何が手遅れに……って、もう、知らないわよ。あたくしにわかっているのは、あたくしが何かを探しながらここ何年も無駄にしてしまったってことだけ。もしあたくしがほんとうに、ほんとうにそれに値することをやった場合にもらえる、一種のトロフィーのようなものを探しているうちにね。でも、そんなものはもういらない。今は他のものが欲しいの。温かくてあたくしを包みこんでくれるようなもの、あたくしが何をやるとか、どんな人間になるとかに関係なく、戻っていけるものが。ただそこにあるもの、いつでもあるもの。ちょうど明日の空みたいに。そういうものが今は欲しいの。あなたもそういうものを欲しがっているはずだと思うの。だけど、そのうちにそれも手遅れになってしまうのよ。あたくしたち、あまりに型にはまりすぎて、もう変われなくなってしまう。今チャンスをつかまなかったら、二人にとってもう次のチャンスは決して来ないかもしれないのよ。[以下略]」

カズオ・イシグロ 入江真佐子訳『わたしたちが孤児だったころ』ハヤカワepi文庫 pp.358-359.

サラの言葉に動かされ、クリストファーは仕事を中断し、サラといっしょに行く決心をする。そして、翌日、準備万端整えて、サラとの待ち合わせの場所に向かう。
しかし、その土壇場になって、クリストファーは、事件解決のためのまたとない手がかりをつかんでしまう。

このような成り行きに、わたしは『罪と罰』とのアナロジーを感じた。

『罪と罰』の序盤で、ラスコーリニコフは無謀な犯行計画をいったんはきれいさっぱり断念した。
ところがその直後、街角で通りすがりに偶然聞いた会話から、金貸しの老婆が家で確実に一人になる時間帯を知らされ、またとないチャンスを与えられてしまうのだ。

ラスコーリニコフは運命の歯車に巻き込まれるように犯行へと追い立てられていく。
そして、クリストファーも、ついにつかんだ手がかりをみすみす手放すことができず、結果として泥沼のような展開にはまっていく。

だが、結局のところ、ラスコーリニコフを犯行に至らせたものは通りすがりに聞いた会話ではないし、クリストファーを上海にとどまらせたものも土壇場で提供された手がかりではない。彼らは二人とも、ただ自らの意志に突き動かされたに過ぎない。

自らの意志が次第に固定化し、自己目的化し、ついには強迫観念と化してしまう。
人間はそのようにしてサラが言う大切なものをつかむチャンスを逃してしまうのかもしれない。
何をやるとか、どんな人間になるとかに関係なく戻っていけるもの、いつでも、ただそこにある明日の空のような大切なものを。








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