見出し画像

82.物質から精神の時代へ

おそらく、昭和の戦後の復興からバブル崩壊までの時代は、物質を手に入れることで心から幸せを感じられる時代だったのだと思う。

特に、昭和の三種の神器といわれたテレビ、洗濯機、冷蔵庫などを手にすることができたことは、大きな喜びだったと思う。

当時、映像を見るといえば映画だったのが、家でくつろいでテレビの番組を見ることができたり、洗濯機の出現で手洗いの作業から解放されたこと、食べ物を長期間保存できる冷蔵庫のお陰で、買い物の手間が省けるようになったことなど、生活そのものが楽になるという実感を身に染みるように感じることができたのだと思う。

また、自動車を購入することで、家族で遠出できるようになったりするなど、鉄道以外の移動手段が増えるということは、それまでの生活の変化を大きく感じることになったに違いない。

こうういった画期的な生活の変化は、物質を手に入れることがそのまま豊かさを体現できる時代だったと想像することができる。

つまり、当時の人たちは、そういった物質文明の発展を心から享受できた時代だったといっていいだろう。

しかし、現代はそういった一時代を築き上げた物質文明の終焉の時代にいると考えられる。

我々現代人の大半は、テレビや冷蔵庫、洗濯機は生まれたときから家にあるのは当たり前であり、テレビが家にやってきたときの衝撃や洗濯する手間を省けたといった喜びを感じることはない。

もちろんテレビや冷蔵庫、洗濯機、車などの性能は向上していて、ますます便利になっているけれど、生活そのものは、テレビや冷蔵庫、洗濯機や車が一般的に普及し始めた頃と大きな変化はないといっていい。

しかも、テレビや冷蔵庫、洗濯機は誰でも買える時代になっているし、スマホやパソコンといった通信機器も家族単位ではなく、個人単位で持てるようになっている。

もちろん、スマホやパソコンといった通信機器の発達は、我々に喜びをもたらすことになったが、物質が生活そのものを変えるといった当時の革新的な喜びと比べると、その幅は小さいものであり、物質によって生活のあり方が急激に変化するという昭和の三種の神器の時代のようなことは現代では、もう起こり得ないのかもしれない。

物質の充実によって生活のあり方が一様になった今、我々が求めるのは、物質的に豊かになるというのではなく、精神的に豊かになるという具合に変化していくことは当然のことなのかもしれない。

むしろ、これからはコンパクト化が進んでいくことは必須であり、物質自体の需要が減っていく。

スマホ一台で、電話、カメラ、音楽、決済等々、いろんなことができてしまう。

スマホ一台あれば、大抵のことは事足りてしまうため、無理をしてテレビを買う必要もないし、カメラや音楽を聴くための機器を購入しなくても済むわけで、まさにスマートな生活ができるようになっている。

これからは、たくさんの物を持つ時代から、物を持たないで済む時代へと変わっていくことになっていくため、物を得ることが喜びではなくなると、人の喜びが精神に向かうのは当然のことなのかもしれない。

こだわりさえ持たなければ、シンプルに最小限の物だけで生きていけるようになっていく時代になっていく。

しかも、誰もが一様な暮らしができている中で、仕事のほとんどをITがするようになってしまうと、人は自分をどのように活かしていかなければならないかを考えざるを得なくなるといっていいだろう。

自分を活かすということは、自分を知るということでもある。

自分の長所は何か、自分は何で世の中に貢献できるのか、何をすれば他者に喜んでもらえるのか、自分は何に興味があるのか、その興味をどのように活かしていけばいいのか、といったことを導き出していくために、より自分と向き合わなければならなくなる。

精神とは「自分とは何か」「生きるとは何か」を考えることでもあるため自分を知って自分に合った生き方を模索するということは精神的な行為となる。

これからはますます自分を知ることができないと、生きづらい世の中になっていくのではないかと思う。

生きづらさは、自分が望まないことをすることで生まれるものである。

自分が自分の意思で望むことができている場合、そこに生きづらさは生まれない。

生きづらさを感じないようにするには、何をすれば自分が喜べるようになるかを知った上で、それで周りの人に喜んでもらえるようにしていかなければならない。

これから、自分の精神性を高めた上で、自分の活かし方を考えなければならない時代がやって来るだろう。

とはいえ、自分を知るということは、一時的に苦しさを伴うこともあるけれど、実はとても楽しいことでもある。

自分の精神性を高めていけばいくほど、自分の中には様々な可能性があることを知ることができるようになっていくし、そういった可能性があることに気付くことができるようになれば、自然と自分の長所や役割に気付けるようになっていく。

このため、自分を知れば知るほど楽に生きていけるようになっていく。

自分と向き合うことは大変なことでもあるけれど、その一方で色々な自分を発見できる喜びも存在している。

自分と向き合い、自分を知ることで、知らず知らずのうちに鍵をかけてしまっていた扉を開いていけるようになっていく。

人は本来、自分を知るということをするために、この世界に生を受けていると考えれば、これからは、それを心から楽しめる時代になるといっていい。

そういった意味では、こういった自己探求を多くの人ができるようになるために、物質的な充実が必要だったと考えることができる。

これまでは、物質的なインフラを整えるための時代であり、これからの精神の時代を迎えるための準備段階だったということもできる。

そして、物質的なインフラが整いつつある現代は、これからますます半ば強制的に人の持つ精神性に焦点を当てていかなければならなく時代になっていく。

そういった意味では、今、自己探求ができている人にとっては、これからは楽しい時代になっていくことになるだろう。

周りに振り回されずに、自分を持って生きていけるということは、「強さ」を持っているということになる。

今、この「強さ」を持てていれば、これから先、どんな変化が起こったとしても、自分を信じて生きていけるようになる。

我々は、すでにそういった「強さ」を身につけ始めている。

これからやって来るだろう精神の時代は、我々にとって歓迎すべき時代といっていい。

自分の好きを生活にできるようになる時代がやって来る。

そんな期待感が「いまここ」に存在している。

所有するものを少なくして、シンプルに生きられるようになると、それだけで自由度が高くなっていく。

シンプルに軽く生きていける時代がやってくることに期待したい。




いつもサポートありがとうございます。感謝ですー😆👍💓