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68.「大丈夫じゃない」を「大丈夫」に書き換える

 僕がここ数年取り組んできたことは、「大丈夫じゃない」という思いを「大丈夫」に書き換えることだった。

「大丈夫じゃない」という思いは、生きている過程でいつの間にか身に付けていた思いであるのに対し、「大丈夫」という思いは自分で意識して書き換えたということができる。

とはいえ、長い時間を掛けて培ってきた「大丈夫じゃない」という思いを書き換えるのは、容易ではなかった。

特に「大丈夫じゃない」という思いの中で、一番大きな課題となったのは「お金」といっていいだろう。

やはり、お金は現代社会においては、自分という生命を維持するには欠かせないものであるため、「お金がなくなる」=「命の維持ができない」ということになってしまう。

現在は、幸いこれまで貯めたお金で生活することができているから、心配のない暮らしができているものの、お金は生きているだけで減っていくものだから、将来に不安を感じることもこれまでは多々あった。

しかし、まさにここ数カ月で、どういうわけかそういった心配がなくなってしまった。

もちろん、今でもお金は減り続けている。

では、何を根拠にそういった心配がなくなったかというと、具体的な根拠はなく「ただ大丈夫」と希望的観測を持てるようになっただけである。

まあ、こんなことを書いていると、単に脳天気な危ない人と思われるかもしれない。

でも本当に大丈夫だと思って生活している。

ただ、大丈夫と思えるようになった背景には、こうしてほぼ毎日、生き方についての文章を書いているということがある。

僕は、生きることについてのあれこれを書くことで、いわゆる潜在意識の書き換えを行ってきたといっていいだろう。

簡単に言ってしまえば、「大丈夫じゃない」という思い込みを、「大丈夫」にという思い込みに変えたということ。

noteを始めて、この1年余りの期間の多くの時間をパソコンの前に座って、何かしらのテーマを見つけて記事を書いてきた。

数にすると、この記事を含めて867になっている。

一日に3つの記事を書いて出しているときもあった。

もちろん、その中には写真であったり動画も含まれていたりするけど、そういった行為が、自分の心の中の「大丈夫じゃない」を「大丈夫」に置き換える作業を担っていたといってもいいかもしれない。

867という記事を生み出すには、当然、時間の余裕が必要である。

しかし、それ以上に、時間の余裕があったとしても、これほどの数の記事を生み出すことができたのも、書くということが自分の性に合っていたということが、なんといっても大きいといえるだろう。

もし書くことが自分に合っていなかったなら、ここまでは出来なかったといえる。

アキタロウというハンドルネームを使っているのは、本名に「アキ」があるということと、僕の飽きっぽい性格を表しているためだ。

これまで僕は、長続きすることがほとんどなく自分でも飽きっぽい性格だと自認していた。

そういった理由でこの名前を付けたわけだが、その思いとは逆に書くことに飽きるということはなかった。

むしろ、毎日何かしらの文章を書けるということが、自分の自信に繋がっているし、その自信が「大丈夫」という思いを生み出すことができたといっていいし、書くことでいわゆる潜在意識の書き換えができたということもできる。

しかも、この世界は、自分の考えることがそのまま現象化されるということを、自分の言葉で書き続けたことも「大丈夫」という思いを強めたといってもいい。

それと、今年の春分を超えたあたりに、不思議と理由のない「大丈夫感」が湧き上がってきたということもあった。

ただ、そのあと、一旦、6月7月頃に強い不安感が襲ってきたことがあったけど、それも無事に乗り越えることができた。

そして、先日の秋分を過ぎて、どことなく「スッキリ感」が増したような気もしていたりする。

春分や今回の秋分に感じた「大丈夫感」や「スッキリ感」には明確な理由はない。

もしかすると、単に過ごしやすい季節だったということだけかもしれない。

6月7月頃に強い不安感を感じたのには明確な理由があって、今はそれを手放すことができたから、不安に感じるような出来事をなくすことができた。

この一年で、心境の部分で大きく変えることができたのは、「不安を解消するために何かをする」というのではなく、「自分の喜びを原因にして生きる」ということ。

自分の喜びを原因にして生きることができれば、毎日、何かしらの「喜び」を感じることができるようになっていくわけだから、それが自分の自信に繋がっていくし、その結果、「大丈夫感」を強めていけるようになっていく。

しかも、この「大丈夫感」を日々味わっていくことができると、脳天気に過ごせるようになっていくものである。

「いまここ」と「脳天気」は言葉の持つ印象こそ違えど、同じ意味といってもいいかもしれない。

「明日のことを思い煩うな」とキリストがいったのも、キリストが、この世界の目には見えない法則を熟知していたからだろう。

「いまここ」に喜びと感じることをしていくことができれば、それで十分だし、そういった「いまここ」の連続が未来の姿になっていく。

「喜び」で生きていれば、必ずそこに量子飛躍が起こる。

「量子飛躍」とは、「原子内の一つの電子がある量子状態から別の状態へ不連続的に変化すること」という物理用語であり、これが転じて「急激に価値観や常識が変わり大きく変化すること」という意味を持つ。

つまり、「いまここ」で喜びと感じることをしていれば、必ず「量子飛躍」は起こるものなのだ。

そういった意味では、自分が楽しいと感じること、喜びと感じることを、「いまここ」でやっていけば、よりポジティブな「量子飛躍」が起こるといっていいだろう。

「量子飛躍」を起こすには、持続的な運動が必要である。

つまり、これまで継続してきたことが、「大丈夫じゃない」を「大丈夫」に変えると力となったのかもしれない。

自分の喜びを継続して生きること、それが「幸せ」になる方法といってもいいだろう。

これからは「量子飛躍」が起こる人が増えていくんじゃないかな、と思う。

これから起こる変化は、必ずいい方向に向かっている。

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