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人には旅が必要なわけ

今日のタイトルの中にある「旅」とは。

「可愛い子には旅をさせよ」という格言があるように、人は旅をすることで自分自身を成長させることができます。

では、なぜ人は旅をすることによって成長できるようになるかというと、いつもとは違う環境に身をおくと、「気づき」が生まれるからといっていいでしょう。

気づきとは、新しい考え方を得ることであり、人は新しい考え方を得ると視野が広がります。

この視野が広がるということは、ひとつのことを多角的に見られる力が付くということであり、その結果、たくさんの選択肢を持てるようになるということでもあります。

また、選択肢をたくさん持てるようになると、その場その場の状況にあった選択ができるようになったりします。

つまり、可愛い子に旅をさせれば、物事を柔軟に捉えられるようになり、臨機応変な対応ができるようになって、その結果、その子の成長を早めることができるようになります。

旅という普段とは異なった環境が、生きていく力を向上させ、可愛い子を大人へと成長させることができるようになるのです。

とはいえ、子どもが旅に出で様々な経験を通じて大人になってしまうと、親とは異なった考え方を持ってしまう可能性もあります。

子を旅に出してしまった結果、その子が旅先から帰ってこなくなる可能性もあるでしょう。

可愛いがゆえに旅に出したくないと思うこともあったりします。

ブッダは、大きくなるまで城の外に出ることがなかったと聞きます。

なぜそうなったかというと、ブッダが城の外に出て、普段とは違った景色を目にしてしまうと、親が知らなくてもいいと思っていることをブッダが知ってしまうからです。

ブッダの親にとって、ブッダは可愛い子であり、可愛い子だからこそ、旅には出さないという選択をしたわけです。

とはいえ、ブッダは、この世界の真理を知りたいという欲求があったため、親の意に反して家出をし旅に出ます。

そして、ブッダは旅を通じて、たくさんの気づきを得て覚者となって親の元に帰還し、また旅に出るのです。

ブッダにとっては旅とは、気づきの場所であるため、旅そのものを生きる場所にしたのかもしれません。

そういった意味では、旅という非日常が彼を覚者にしたといってもいいでしょう。

こういったことから、旅を「気づきを得る行為」と定義することも可能になります。

非日常という異空間に身をおくことで気づきを得ることができれば、それを旅ということもできるといっていいでしょう。

たとえば、読書や映画を観るといった行為から、何かしらの気づきを得ることができれば、それが旅となります。

あるいは、普段食べないようなものを意図して食べてみることで気づきを得ることができたなら、それも旅になるし、いつもと違った道を歩くことで気づきを得ることができたなら、それも旅ということもできるでしょう。

逆にどこか遠くへ旅に出たとしても、そこで気づきが生れなかったとしたら、それは旅とはいえないといってもいいでしょう。

普段とは異なる景色の中にいても、いつもと同じことを考えていては旅をしているとはいえません。

旅による充実感は、普段とは異なる経験から得られる気づきが生み出すものです。

気づきは人の心を動かすものであり、心が動かないのであれば、それは旅とはいえないのです。

我々の人生を旅に例えることがあります。

もし我々の人生が旅なのであれば、我々はこの人生でたくさんの気づきを得て成長したいという目的があるということになります。

そして、我々は未知なことから気づきを得て、その結果、多角的な視野を持てるようになりたいという思いがあるといっていいでしょう。

人が多角的な視野を持てるようになると、どんなことでも対処できるようになるものであり動じなくなっていくものです。

あるいは、多角的な視野を持てるようになると、自分という存在に対してもいろんな見方ができるようになっていきます。

また、気づきによって自己や他者、人と自然といった関係性で物事を捉えられるようになっていき、考え方が次第に個人の視点から離れていって、物事を俯瞰して見るようになっていき、全体を思考できるようになっていきます。

この全体を思考するということが、スピリチュアルな行為といってもいいかもしれません。

我々は多角的な視野を持った上で、そこから何かしらの真理を見つけ出したいという思いがあるといっていいでしょう。

つまり、我々の人生はそういった俯瞰的視野を獲得し、何かしらの真理を見つけるための場であるといってもいいのです。

旅とは非日常であり、気づきの生まれる場所です。

我々は、気づきが生まれる場所に身をおくことで、俯瞰的な見方ができるようになり、存在として大きくなっていくのです。

そこでもし、人生を旅と定義するのであれば、我々は、日々、気づきを得られるような環境に身をおくことが理想的であるということができるのです。

ではどうすれば、自分を気づきを得やすい環境におくことができるようになるかというと、「自分の好きなことや楽しいと感じることをする」、ということになります。

その理由はというと、自分の好きなこと楽しいと感じることには限りがないからです。

好きなこと楽しいことには、いつまでたっても終わりがありません。

人生を掛けて夢中になれることを見つけることができると、毎日を気づきの連続にすることができます。

その一方で、好きでもないことや楽しくないことをしていていては、気づきを得る確率が低くなります。

好きでもないことや楽しくないことをしていているとき、それは単なる作業になってしまうものであり、そこから新たな発見をしようとは思わなくなってしまうものです。

しかし、自分の好きなこと楽しいと感じることをすることで得た気づきは、その対象が何であれ、自分の視野を広げてくれるものであり、そうやって得ることの出来た視野の広さが、さらに新たな自分を発見させてくれるようになるものです。

そうやって、気づきという喜びを得ることで、新たな自分を発見し、日々自分自身を更新していくことで、人生という旅を充実させていくことができるといっていいでしょう。

旅の醍醐味は、その先に何があるか分からないことです。

旅先での出来事を予想することはできても、実際にそうなるとは限りません。

また、予想したことがそのまま起こるのであれば、そこに新しい気づきは生まれません。

旅には、未知がつきものであり、そういった未知が気づきとなります。

こういった未知から生まれる気づきを得るには、自分が好きなこと、楽しいと感じること、嬉しいと感じることをするのが最も効果的であり、効果的だからこそ、自分の喜びの道から外れると、何をしても上手くいかなっていったりします。

自分の奥の奥にいる存在(魂)は、自分がどんな旅をしたいかを知っているものであり、そういった旅のルートから外れると、上手くいかなくなるように仕向けるのです。

なぜかといえば、そうしなければ、気づきが得られなくなるからです。

魂にとっては、気づきは物凄いご馳走なのです。

逆に、何をやっても上手くいく人は、自分の魂の望む道を歩んでいる人であり、自分の心の声をちゃんと聞くことができている人です。

心の声を聞くことができているからこそ、未知なる旅を楽しめるようになって、ワクワクしながら前に進むことができるようになっているといっていいでしょう。

ワクワクしないことをしていては、旅は楽しめません。

旅は楽しもうとするからこそ楽しいのです。

楽しもうとすれば、そこに気づきが生まれ成長できるようになります。

楽しもうという思いがあるからこそ、旅という非日常の場を生み出せるようになるのです。

であるならば、人生という旅を気づきの生まれる場所にして、シンプルに楽しめることをしていけばいいのです。

人生はシンプルです。

心が喜ぶことをすれば、上手くいきます。

上手くいくということは、心が喜んでいる状態のことです。

そういった意味でも、楽しいと思えることをすることが大切なのだと思います。

旅は準備も楽しいし、当然、実際に旅に出るのも楽しいものです。

もちろん、旅先で何があるかは分かりません。

しかし、そういったハプニングさえ、振り返ったときに楽しめるようになったりするものです。

なので、自分を可愛い子だと思って、楽しい旅をさせてあげることも大切なのです。

誰もが、自分を楽しい旅に導けていけるようになる、そんな時代がもうすぐ来ることでしょう。

そんな予感がしています。

人生を旅に例えるなら、楽しむことが絶対条件です。

楽しもうと思う気持ちが生まれるからこそ、人には旅が必要なのです。

旅には気づきという成長がつきものであり、人生という旅にも気づきと成長が欠かせないのです。



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