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60.望みが人を成長させ、経験が魂を成長させる

我々は、常に望みを持って生きています。

我々がなぜ望みを持つかというと、望みが達成されるとそこに喜びが生まれるからです。

人の営みは、生活の中で当たり前になっている習慣的なものから、数年かけて行うような中長期的なものまで、すべて望みを起点にして成り立っています。

朝、顔を洗うのは洗顔することでサッパリしたいという望みがあるからであり、長期間勉強して試験を受けるのも憧れの学校に入りたいという望みがあるからです。

では、我々は「喜び」によって何を得られるようになるかというと、自分自身を成長させることだったりします。

受験に合格するといった「喜び」が、自分の成長を感じさせるものはもちろんのこと、朝の洗顔のサッパリ感といったことでも、気持ちを前向きにさせる効果があり、それが自身の成長に繋げていたりするものです。

特に、自分から何かを望んでする行為は、すべて自分の成長に繋がっているといっていいでしょう。

喜びによって生まれる成長の体験は、自分に自信を与えてくれるものであり、自信を得れば得るほど、望みの規模を大きくさせていくことができ、その結果、成長の規模も大きくさせていくことができます。

そういった意味では、どんなことでも望んだことを行動に移し、何かしらの「喜び」を体験できるようになると、確実に自分自身を成長させていけるようになっていきます。

その一方で、望んだことを諦めてしまったり我慢してしまうと、成長のチャンスを失ってしまうことになるため、自分の可能性を縮小させてしまうし、自己肯定感を下げることになってしまうため、「喜び」の少ない人生を歩んでしまうことになります。

こういったことから、どんなに些細な望みであっても、その望みを達成させようと挑戦していくことが大事であり、たとえ、それが達成できなかったとしても、なにかしらの形で満足感や納得感という喜びを手に入れることができれば成長に繋がっていくものです。

喜びは氣づきに繋がります。

人は氣づきを得ることで、成長することができるようになります。

人はおそらく、何かを望みそれを行動に移し、喜び(氣づき)という報酬を得ようとするプログラムが設定さていると考えることができます。

以前の記事にも書きましたが、人は魂の成長を求めてこの地球にやってきているため、「望み」→「行動」→「喜び(氣づき)」というサイクルが魂の成長には欠かせません。

人が何に望みを抱くかは千差万別です。

なぜかというと、人はそれぞれに課題が異なるからです。

望みは大抵、自然発生的に生まれるものです。

ある人は野球に興味を持つし、ある人は物理学に興味を持ったりします。

人がそれぞれに異なることに関心を抱くのは、その人その人の魂の課題が異なるからであり、さしたる理由もなく望みが自然に生まれてくるのは、達成すべき課題が異なるからです。

こういったことを踏まえると、他者から強制されたものではなく、自分の内側から湧き出すような望みは、可能な限り行動に移した方がよく、そうすれば、それが自分や自分の魂の成長に繋がっていくものです。

このため、明確な理由がないのにもかかわらず、どうしても挑戦してみたいという強い欲求を感じたことは、必ず挑戦するべきだし、それを挑戦することで得られる氣づきが自分自身の成長に繋がっていきます。

もちろん、挑戦したことが空振りに終わることもあります。

最初はワクワクしながら取り組んでいたのにもかかわらず、途中でちょっと違うな、と感じて辞めてしまう場合もたくさんあったりします。

個人的な経験でいうなら、僕はいろんな望みを持ち、たくさんの挑戦を繰り返してきましたが、今、心から楽しいと思えることは、これまで挑戦してきたことの全体の一割もありません。

しかし、全体の一割もないとはいえ、今は心から楽しんでできることを見つけることができたため、これから先、いろんなことに思い悩まなくてもいいという状況を創り出すことができています。

そういった意味では、いろんなことに挑戦したからこそ、自分を知ることができたといえるし、無駄と思えた九割の挑戦さえも全くの無駄ではなかったということができます。

自分の内に秘めた可能性を探り当てるには、どんなことでもやってみないと分からなかったりするものであり、やってみれば必ずそこに何かしらの氣づきを得られるようになるものです。

魂の成長の目的には「自分を知る」ということも含まれています。

このため、自分が望んだことが上手くいったりいかなかったりする経験さえも、「自分を知る」という「魂の成長」に繋がっているということができます。

望みは自身を成長させるためのきっかけであり、自分を知る機会を作ってくれるアイテムといっていいでしょう。

我々は、現在、魂で生きるか自我で生きるかの分岐点にいるということができます。

我々が自我で生きれば、今の社会の延長の未来を生み出すことになるでしょう。

しかし、一人でも多くの人が自分に宿る魂の存在に氣づき、魂の要請に従って生きていくことができれば、これから先の未来を大きく変えることができるようになります。

魂の要請とは、自分に優しく他者にも優しくなって、自分の喜びを大事にし、他者の喜びを尊重していくということです。

優しさとは柔らな強さであり、柔らかな強さが調和のある平和な社会を創造することになるでしょう。

望みが人を成長させ、経験が魂を成長させます。

「喜び」は魂の成長の証です。

この証を知るためにも、まずは内側から湧き上がってくる望みを叶えられるように努めて、氣づきを得ながら自分自身を知り、自分の喜びを周りに提供できるようにしていくことが大事なのかもしれません。



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