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59.「妄想」も「祈り」も同じ意味

今日は「妄想」も「祈り」も同じ意味ということを書いていきます。

どういうことかというと、「妄想」も「祈り」も「望む」という行為で一致しているということです。

あるいは、「望む」という言葉を「希望的観測」という言葉に置き換えることもできます。

つまり、「妄想」と「祈り」では、その態度的姿勢こそ異なるものの、行為としての内容はほとんど一緒ということです。

妄想≒祈り

人は何かについて想像を巡らせるときには、目を瞑るものです。

祈りを捧げるときはもちろんのこと、妄想するときも目を閉じます。

では、なぜ目を閉じるかというと、目を閉じることで余計な視覚情報を遮断し想像することに集中できるようにするからです。

この「思いを巡らせる」ということが、「望み」であり「希望的観測」ということができます。

人が持つ素晴らしい能力のひとつとしてあるのが想像することです。

我々は、この想像する力があるからこそ成長できるようになるものだし、人という種としての進化を可能にすることができます。

もちろん、想像することで恐れや不安を生み出してしまうこともあるし、継続して恐れや不安を想像していると、自分という存在を縮小させてしまうことになります。

こういったことから、人はポジティブシンキングをした方が、当然、前向きに生きていけるようになるものだし、その方が楽しい人生を送っていけるようになっていくものです。

また、想像するときのその姿勢がどうであれ、自分の気持ちが明るくさせるためは、想像力をふんだんに使っていく必要があるといっていいでしょう。

ここからは、僕の個人的な考えになりますが、僕は「祈り」よりも「妄想」の方が、自分の気持ちを明るくさせる力があるのではないかと思っています。

なぜかというと、祈りよりも妄想の方が想像の自由度が高いと考えることができるからです。

人が何かを祈るときは、現在の状況を憂い、その状況が好転するようにと願う場合が多いため、負の要素が祈りの中に入りやすかったりします。

しかし、妄想は現状がどうであれ、「こうなったらいいな」「ああなったらいいな」と思いを巡らせるため、祈りに比べると負の要素が少なくなります。

もちろん、妄想も負の状況を好転させたいという思いから、妄想することもありますが、妄想だと今の置かれている状況を一旦脇に置くことができるので、自由に思いを膨らませていくことができたりします。

しかも、妄想は祈りに比べると切実度が低いため、結果に対して執着心を持つことがなくなるし、実際にそうなったときの様子をワクワクしながら思い描くことになるため、そこに楽しさが多く含まれるし達成感を味わうこともできます。

「引き寄せの法則」のコツは、完了形で想像することと、結果に執着しないということが上げられます。

なぜ完了形が大切かというと、「そうなって欲しい」という未完の思いは、そのまま「そうなって欲しい」という未来を生み出すものの、「そうなった」という完了の思いは「そうなった」という現実を生み出すからです。

執着しないということも同様で、結果に執着するということは、「そうなっていない」という状況に焦点を合わせることになってしまうことから、結果的に「そうなっていない」という状況を生み出すことになってしまいます。

妄想だと執着心を持たなくてすむため、あとは放っておくことができます。

そして、妄想を十分に楽しむことができたなら、あとは目の前のすべきことに向き合って「いまここ」で生きていけばよかったりします。

他にも、妄想にはリラックス効果もあるという利点もあったりします。

といったわけで、ここまでは妄想することのよさを思いのままに書いてきましたが、もちろん祈りが悪いというわけではありません。

人は、祈りを捧げることで心が澄んでいくようになります。

澄んだ心で何かを思いめぐらせるということは、そこに邪念が含まれていないため、人が持っている純粋性を祈りの中から見出すことができるようになります。

妄想は自由度が高い分、邪念が含まれてしまう可能性もありますが、祈りには、そういった雑味が含まれることは少ないといっていいでしょう。

また、祈りの思いの中には慈悲の心とった人が持つ純粋な思いが含まれているため、そういった純粋な思いが祈りによって結晶化されると、奇跡のような出来事さえ起こす力を持っています。

そういった意味では、祈りは妄想に比べると自由度は低いかもしれませんが、思いに対する純粋性は妄想よりも大きいといっていいでしょう。

なので、妄想と祈りのどちらがいいかというのではなく、その時々の状況に応じて、上手に使い分けることが大切だといっていいでしょう。

妄想と祈りに共通していることは、あくまでも「心地よい未来を想像すること」であり、そういった想像が未来を創造するということです。

妄想も祈りも人を前向きな気持ちにさせるものであり、この前向きな気持ちになることがとても大事なことなのです。

妄想も祈りも未来を観測するという行為です。

我々が、何かを観測するということは、素粒子の振る舞いを決定させることであり、その観測をもとにして未来が生みだされて生きます。

大切なことは気持ちが前向きになれるようなイメージをすることであり、今、この瞬間を前向きな気持ちになることができれば、喜ばしい未来を創造できるようになっていきます。

そういった意味でも、想像するという人が持つ能力をふんだんに使っていくことができたら、人生は必ず楽しいものになっていくことでしょう。

前向きな気持ちが、前向きな行動を促がすものであり、前向きな行動が、明るい未来を創造します。

明るい気持ちを作るための一つの方法として、「妄想」や「祈り」を使っていくのもいいかもしれません。

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