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2.森と人の役割

以前、「深い森へ還る」という記事を書いた。

そのあと、「そういえば、森における人の役割について書いてあった本があったな」と思った。

それから、しばらく記憶を検索していたら、本の名前を思い出すことができた。

「あの世飛行士 未来への心躍るデスサーフィン」(ヒカルランド)

この本は、臨死体験を何度も経験されている木内鶴彦さんと量子物理学者の保江邦夫さんの対談本で、木内さんは、森の中での動物の役割や人の役割について話している。

そこで、今回は森と動物と人の役割とは何なのかを、この本に書かれていることをもとに記事にしていこうと思う。


我々、地球上の生命は、栄養分を取り入れながら生命を維持しているといっていいだろう。

では、栄養分が一番集まる場所はどこになるかというと海であり、この地球には引力があることから、最終的には深い海溝の底にたどり着く。

深海には小さなエビがいて、そのエビは深海の栄養素を取り入れて生命活動を行っている。

このエビを食べて体を作っているのが深海魚であり、この深海魚を捕食するが、海中の中層の魚であり、さらにこの中層の魚を食べる上層の魚や、その上層の魚を食べる回遊魚がいる。

つまり、魚たちは栄養素を取り入れるために、海の底から順に捕食をしていて、最終的に海面近くに上がってくるという食物連鎖がある。

こういった魚の食物連鎖がある中で、さらにサケやマスは海から離れ、川を伝って地上にやって来る。

では、なぜサケやマスが川を遡って地上にやって来るかというと、栄養素を地上に運ぶためだと木内さんは語っている。

【サケの役割】

サケは海で育ち産卵するために川を遡上し、澄んだ水のある山の上流にまでやってきて産卵をし、死に絶える。

すると、その体が川の流れであちこち引っかかりながら腐敗して、分解されて、それが植物の栄養になっていく。

サケの身体は海中で得た栄養分で出来ているため、サケは海からの栄養分を山に運ぶという役割を持っていると考えることができる。

つまり、魚の食物連鎖は、海底に溜まった栄養素を段階を踏みながら、地上の山まで運んでいるということになる。



【クマやタヌキ】の役割

死んだサケをクマやタヌキは食べることになる。

クマやタヌキは、獲った食べ物を山頂近くで食べたいという本能があるため、海で育ったサケを奥深い山の中に運んでいく。

また、タヌキは一匹のタヌキがある場所に糞をすると、他のタヌキも同じ場所に糞をするという「ためふん」という習慣がある。

この「ためふん」に色々な葉っぱなどが混ざって腐敗すると、栄養素となり、それが雨に打たれて栄養素を含んだ水となって川に流れ込み、海に至って海溝まで流れ落ちていく。



【シカやイノシシの役割】

シカは山の中で草を食べ、小さい糞を尻尾でまき散らしながら歩いていて、その糞が植物の栄養になっていく。

また、シカが山で草を食べると藪ができないし、木と木の間があまり混まなくなって風通しがよくなるために木が育つ。

木がが育つと、次第に混みあってくるものの、木の芽を食べる動物もいるため、森の環境は保たれる。

イノシシは、固くなった土の中にいるミミズを捕食するため、牙で土を掘り土起こす。

このため、イノシシが柔らかい土をつくり、そこに木が育っていく。


【人の役割】

人間以外の動物は本能の働きで生きているため、その働きに偏りが出てくることがあり、生態系に乱れが起こることがある。

そこで、動物を育てることも殺すこともできる能力、植物を育てることも殺すこともできる能力を持っているのが人間であり、人間は偏りを正す役割があるという。

それ以外にも人間には出来ることは多く、そういった器用さが、生態系を守る役割を担っている。

木内さんは次のように語っている。

人間は生態系の循環を守るためのパシリをやっているのです(笑)。実はそのために畑を作ったりしているのです。昔から山は神様とされていて、山に対して誓いを立てたりします。なぜ山かというと、人間を含む生き物は、栄養素を山に運ぶような循環をつくるために存在しているからです。生き物は重力に逆らうことをやって循環させている。それを促進させるのが人間の役割です。

山にあるのは森であり、森で生まれた栄養分が川に流れ込んで海に至り、海の深いところまで沈んでいく。

深い海にたどり着いた栄養分はエビや魚の中に取り込まれ、食物連鎖によって、それまでの道のりを遡るかのように、森へと還っていく。

地上の動物たちは、様々な役割を果たしながらその栄養分を満遍なく広げていく。

人が山を神と見るのは、山にこそ我々動植物の生命を育むエネルギーが潜んでいるからであり、山や森が生命の循環の源になっているからといってもいいかもしれない。

森に神社が置かれ、鎮守されていたのもこういった理由があったからといってもいいだろう。

さらに木内さんは次のように語っている。

さて、この肉体にはどんな役割があるのか。ミトコンドリアが発生して、いちばん最初にできた生き物は藻だそうです。私たちの神様は藻なんです(笑)。藻以外にいそんな生き物が存在しているのは、藻を殺さないためです。藻を殺さないように殺さないようにやってきた中で最後に人間が出てきた。私たち人間は新参者です。人間以外の生き物は私たちの先輩です。人間にいろんな能力が与えられているのは、新参者として下働きをしなければならないからです。偉い人たちは働きません。藻は働かない(笑)。

ミトコンドリアは、ほとんど全ての真核生物の細胞の中に存在している。

真核生物とは動物、植物、菌類、原生生物(単細胞生物)のこと。

もちろん、我々人類の体内にもミトコンドリアは存在する。

藻のような単細胞生物を生かすために、動物性の単細胞のアメーバをつくって、それからまた分裂して、分裂して‥‥とやってきて、そのうち個々の細胞の働きを合体させた集合体、個体ができてくる。その集合体の最後の最たるものが人間であり、それゆえに人間の体の中にすべての生き物の歴史を持っています。赤ちゃんが生まれるときは、単細胞から始まって、動物という方向の中の全ての生命のカタチをクリアして、最終的に人間になります。人間は最初、女性形で、最後の最後に男になる。この世で一番の新参者は男です(笑)。だから、女性には頭が上がらないんでしょうかね。

近年の我々は山や森を軽視しているといってもいいだろう。

山や森に畏怖の念を抱かなくなったのは、近代に入ってからだ。

近代とは産業革命以降といっていいだろう。

産業革命以降、人の心のあり方が大きく変化してる。

我々の人間の本来の役割は、山や森を豊かにすることなのかもしれない。

我々が山や森を豊かにするお手伝いをすることができれば、地球上の動植物や海中で暮らす海藻や魚介類を豊かにすることになる。

そして、山や森を豊かにするというお手伝いをすることと引き換えに、我々は感謝の気持ちで、自然界から食物を頂くことができる。

前に書いた「深い森に還る」という記事の中で、老子の「無為自然」という言葉に触れたが、「無為自然」とは、我々が自然の中に還ることができたとき、無為になって生きられるようになるということなのではないかと思った。

人が自然を守る存在になれたとき、「無為自然」の心境で生きていけるようになるのかもしれない。

人が森に還ることができれば、自然と共に生きていけるようになるだろう。


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