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4.微睡(まどろみ)の中で耳を澄ます

雨音は、無音よりも静けさを感じさせてくれる。

今朝の雨は、そんな静寂をこの世界に与えてくれているようだった。

雨に耳を澄ましていると、意識がここからは遠くにある海に飛んでいく。

雨が波打つ水面に次々と落ちていく様子が浮かんでくる。

薄暗いグレーの雨雲に包まれた空と、その空に同化してしいる灯台が寒そうに佇んでいる。

海面はまるで呼吸をしているかのように上下に動き、何千何万何億何兆という無数の雨を一斉に受け止めている。

低気圧が生み出した強い風が、無数の雨粒を斜めに、時には横に運んでいく。

雨音が、そんな遠い海を連想させる。

休日の雨は、今日はゆっくり休みなさい、もう少し寝ていなさい、と語りかける。

好きなだけ寝て普段の疲れを癒しなさい、と静かに訴えかけてくる。

眼を閉じて微睡を楽しみなさいと誘ってくる。

時折、窓を強く叩く雨が、今日は何も頑張る必要はないといわんばかりに、動こうとする思いを打ち消していく。

「今日は、少なくとも、雨が降っている間は、降参してもいい、」と思う。

雨が降っている間は、無理に動かなくていいんだ。

少し冷たい部屋の空気の中で、温かい布団に包まれているという心地よさに、幸せを感じることができる。

冷たい雨風を凌げる家があることに感謝の気持ちが自然と湧いてくる。

もう少しこの幸せを味わって、それから温かいコーヒーを飲もうと考えながら、しばらく雨音に耳を澄ます。

雨足がさらに強まっている。

まだまだゆっくりできそうだ。

強くなった雨音が、普段だったら聞こえてきそうな外の音を掻き消してくれる。

近くの通りを走り去る車の音、アパートの前の通りを歩く人の靴音、鳥のさえずり、休日の朝に必ず聴こえてくる隣の部屋からの洗濯機の稼働音。

強くなった雨が、いつもの日曜と異なった静けさを演出してくれている。

雨がつくり出した静寂が、心地よさを感じさせてくれる。

都会で暮らしていると、常に音が存在している。

たくさんの音があるということは、人と人との距離が近いという証拠。

人は動けば音が立つ。

人と人の距離が近ければ、音が錯綜するのは当たり前のこと。

ちゃんとした、例えば奥深い森の中に一人でいるときのような静けさを感じることは、ここでは難しい。

無音を無音として体感できる時間を、たくさんの人が暮らす街で見つけ出すことは難しいのだ。

むしろ、強い雨が降る日でないと、自然が生み出す静寂を感じることはできないのかもしれない。

雨音に耳を澄ます。

静寂の中に自我が消えていく。

雨音が自分になり、自分が雨音になる。

ガラス窓に当たった雨粒が雫となって流れていく。

雫はアルミサッシに到着すると、他の雨粒と合流し、ひとつの流れとなって雨粒という自我が消える。

我々は、一時的に雨粒になったに過ぎず、本当は境界のないひとつの大きな水の流れなのかもしれない。

水の流れに合流した雨粒は、長い時間をかけて海へと還っていく。

雨粒という自我が存続できる時間は、水蒸気の塊である雲の中の微細な一部が冷えて固まり、その重さで地上に落ちるまでの短い間だけでしかない。

自分が雨粒であると認識できるのは、空から地上へと落ちていく、その瞬間だけしかないのだ。

そのつかの間の一瞬だけ、自分という自我を感じて落下していく。

その短い瞬間だけに自我という違和感を覚え、違和感をどう捉えればいいか格闘し、格闘している間に自我が消滅していく。

そして、自我が消滅してしまうと、自我があったことさえ忘れてしまうのだ。

雨粒だったたくさんの自我は、やがて大きな海へと戻っていく。

大きな海には流れがあり、うねりがあり、海面は潮の満ち引きや風の作用で波打つけれど、そこに分離はない。

海面を強く照らす陽射しによって、表面の水が水蒸気となって上昇し、雲の塊となって上空の空気に冷やされて氷となり分離が起こる。

氷はその重みで落下し、外気の温かさで雨粒となって落ちていく。

分離という体験は、極々僅かな一瞬でしかない。

高い空から地上へと落ちていく、ほんの短い時間。

真っ黒な大きな雨雲から生まれた何千何万何億何兆の雨粒は、分離が起きた瞬間から地上に至るまでの僅かな時間に、自我に戸惑い、違和を感じ、混迷している間に、やがて消滅させられてしまう。

分離という体験は、雨粒にとってはとても長い時間のように感じたりするものだが、実はまばたきのような時間でしかない。

記憶が、短い時を長く感じさせている。

雨粒という記憶は、幻のようなものでしかない。

分離という体験を終えてしまえば、それは消えてなくなっていく。

分離という混迷と喧騒は、いずれ消えてなくなっていく。



鳥の鳴き声が聞こえる。

どうやら雨足が弱くなったようだ。

雨に濡れたアスファルトの上を滑るように走っていく車の音が聞こえてくる。

窓の外が、明るくなってきた。

そろそろ起きてもいい時間だ。

湯を沸かしコーヒーを飲んで、体内を温めよう。

今日の、これからのことは、コーヒーを飲みながら考えればいい。

今日は静かに過ごしてみるのもいいかもしれない。

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