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76.「いまここ」で生きれば世界が変わる

毎日、字を書いていて、自分で納得のいく字が書けたときは、「集中して書けた」という納得感を得られたりする。

この「集中して書けた」という納得感は、「いまここ」の状態になれたということでもある。

おそらく、剣道とか弓道、茶道とか華道などの「道」のつくスポーツや芸事には、共通して「今と自分を一致させる」ことが欠かせない要素としてあるのだと思う。

もちろん、「道」と名の付くスポーツや芸事以外のことでも「今と自分を一致させる」ことができるようになることが理想である。

しかし、今と自分を一致させる入り口として、「道」と名の付くスポーツや芸事をすれば「いまここ」になれる瞬間を感覚的に掴みやすくなるのではないかと思う。

僕は、書道を始めてまだ3か月くらいなので、さらさらと上手な字を書けるわけではないため、いつも「丁寧にゆっくり書く」ことを心掛けている。

しかし、それでも書いている途中に雑念が湧いてしまうことがあり、雑念が湧いてしまったりすると、そのほとんどが失敗に終わることになる。

しかし、結果的に上手に書けていなかったとしても、雑念を湧くことなく、最後まで集中して書き切ることができた場合には、満足感を得られたりする。

つまり、字を書く満足感は上手く書けたかどうかではなく、集中して書けたかどうか、「いまここ」になれたかどうかにあると思う。

そういった意味でも、書道を始めたことで「いまここ」の感じを前よりも掴めるようになったと思う。

マインドフルネスは、今に集中できる精神状態を意識的につくることを目的としていて、その方法として、ひとつ一つの動作をゆっくりと行い、意識を「今」に向けさせている。

太極拳も、ゆっくりと身体を動かすことで、今と自分を一致させようとしているといっていいだろう。

人は、どうしても目に見える結果を求めてしまうものだし、いい結果を出来るだけ早く得ようとしてしまうものだ。

しかし、いい結果を早く得ようとすればするほど、たくさんの雑念が生まれてしまい、その雑念によってたくさんのミスが生まれてしまうため、結果的に遠回りになってしまう。

しかし、急がば回れじゃないけれど、どんなことでもゆっくり丁寧に行ったほうが、最短・最速の結果を得られるようになったりする。

【急がば回れ】
物事は慌てずに着実に進めることが結果としてうまくいくということ。

「急がば回れ」という言葉の背後には、「いまここ」の精神が存在しているといっていい。

しかも、「いまここ」の状態になることができれば、自分の想像以上の力を発揮できるようになったりする。

「急げ早く」でやっていると、予想以上の結果が出ることはない。

「急げ早く」からは、焦りが生まれるためミスを頻出させることになる。

現代人は、「ゆっくり丁寧に」ということを教わることが少ないように思う。

覚えなければならないことがたくさんある一方で、丁寧に学ぶ時間を与えられていない。

しかし、どんなことでもゆっくり丁寧に行えば「いまここ」の状態になることができ、結果的に心身ともに満足感を得られるようになるものであり、そういったことを、教えたり教わったりできる社会が生まればいいと思う。

「ゆっくり丁寧に」も、何度も繰り返していくうちに、スピードを上げていくこともできるものであり、「ゆっくり丁寧に」という基礎を身に付けることができれば応用も効くようになっていく。

原因を「急げ早く」にすると、結果が雑になるのは当たり前ことだし、原因を「ゆっくり丁寧に」にすれば、結果がよくなるのも当然のことなのだ。

そこでもし、生活の質を上げていきたいと思うなら、原因を「いまここ」にして生きればいい。

これは、昨日の記事で紹介した「いまここ」になれたときの状態を説明した図であり、この図の赤い針のようにピンと真っ直ぐ立った状態になることができれば、人は「いまここ」の状態になることができ、どんなときでも心地よく過ごせるようになる。

しかし、「急げ早く」で行動すると、赤い針が未来の側に傾いてしまうから、動作にブレが生じてしまう。


あるいは、過去の失敗に意識を向け過ぎてしまうと、赤い針は過去の側に向いてしまうことになるため、この場合にもブレが生じてしまうことになる。

瞑想中も、上手に「いまここ」になることができると、赤い針が真っ直ぐ立つけど、雑念が生まれてしまうと赤い針が「未来」や「過去」に傾いてしまう。

瞑想中も、もちろんそれ以外のときでも、赤い針が真っ直ぐに立って「今」を指した状態になることができれば、緊張とリラックスのバランスが適切にとれるようになって、高い集中力を維持できるようになり、心地よさを感じられるようになる。

「幸せ」の要素の一つに、「高い集中力で何かに夢中になって過ごす」ということがある。

そこで、一人でも多くの人が「いまここ」の状態で夢中になって生きられるようになると、「幸せ」を体感できるようになっていくため、この世界のあり方も変わっていくと思う。

そして、「いまここ」で生きる人が増えれば増えるほど、精神性の高い幸福感のある世界を生み出すことができるようになっていくことだろう。

そういった社会を創出していくためにも、一人ひとりのマインドが「急げ早く」ではなく「ゆっくり丁寧に」に変わっていけばいいと思う。

アフリカのタンザニアやケニアといったヒスワリ語を使う人達の言葉に「ポレポレ」という言葉がある。

この言葉には、「ゆっくりは、かえって前に進む」とか「ゆっくり進むことで、より遠く、そして深い世界に行くことができる」といった意味があるそうだ。

「いまここ」とは、まさにヒスワリ語の「ポレポレ」の状態を指すものであり、我々が「ポレポレ」で生きるとき、精神性の高い幸福感に充ちた世界を生み出すことができるようになる。

「ゆっくり丁寧に」には、「深くて高い精神性」を生み出す力が潜んでいる。

このため、本気で結果を求めるのであれば「急げ早く」ではなく「ゆっくり丁寧に」の姿勢が欠かせない。

我々がもし「精神性の高い幸福感に充ちた世界を創る」という結果を求めるならば、「いまここ」や「ポレポレ」の精神を身に付けることが必須であり、逆説的だが、それが最短・最速の道になることだろう。


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