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第17回:「喜び」は陰陽でできている

太極図

この太極図は、私たちの思考のあり方が陰と陽の二つで成り立っているということを現わしています。

どういうことかというと、例えば、「大きい」という言葉の裏には「小さい」という言葉が存在しているし、「強い」という言葉は「弱い」という言葉で支えられていたりします。

もちろん、普段、私がテーマにしている「喜び」も「苦しさ」というようなネガティブな要素に支えられている意識だったりします。

そこで、今回はこういった「陰と陽」の構造を紐解きながら、「喜び」を選んでいくことの大切さを書いていこうと思います。

なお、太極図を厳密に説明するなら、「陰」と「陽」だけでなく、「陰の中にある陽」と「陽の中にある陰」の四つでひとつの構造になっていますが、今回はものごとは二つで一つで成り立っているということで話を進めて行きます。

「喜び」はネガティブな意識によって支えられている

下の表は、このサイトでよく紹介させて貰っている「パワーか、フォースか」という本にある「意識のマップ」ですが、表の中央の赤い線より上がポジティブな意識で、赤い線より下にあるネガティブな意識になっています。

赤い線や文字の色は分かりやすいように私がつけたものです。

この表を眺めていると人の意識はネガティブの「陰」の意識とポジティブの「陽」の意識の「双対構造」で出来ているということが分かります。

「双対構造」とは、二つの対象が互いに「裏返し」の関係にあるということです。また、この表は双対という視点以外に、ネガティブな意識の上にポジティブな意識が存在するというふうに見ることもできます。

とはいえ、人は基本的にその時々の状況に応じてポジティブやネガティブの意識を感じるものなので、普段の感じ方の傾向が、その人その人によって異なるということだけのことだったりします。

しかしながら、やはり人はネガティブな意識ではなく、ポジティブな意識でいた方がよいと考えるものです。なぜかというと、ポジティブな意識でいた方が、自分ためにも他者のためにもなるからです。

前向きな気持ちでいたほうが、人生を前向きに捉えられるようになるし、他者との関係性も良好なものになっていくのは当然のことといっていいいでしょう。

また、このことを魂の視点で考えてみたならば、魂はもともと「陽」の性質で生まれているものなので、私たちの人間に備わっている本質も本来は「陽」であるといってよく、人は潜在的に「陽」の意識に向かっていきたいという欲求があるといっていいでしょう。

「喜び」を選んで生きるという体験をこの世界でしている

魂は常に前向きで後ろ向きになるということをありません。しかし、陰陽で成り立っているこの世界に人間として身を置くようになると、常に前向きでいることは難しかったりします。

とはいえ、自分の自我とは別の存在する魂はそういった混沌とした状態の中であっても前向きであるため、私たちの意識が自分の魂に近づいていくことができると、どんな状況下にあっても前向きな意識で保てるようになってきます。

この世界を人間の視点で見れば、陰と陽があることに複雑な感情を抱だくものですが、魂にとってみれば混沌とした状況にある方が、魂そのものが持つ本質を詳しく知ることができるため、ここでの体験そのものがまさに「喜び」だったりするのです。

私が「喜び」を選んで生きるというテーマで記事を書いているのは、意図して「喜び」を選択することで、意識のベクトルを前に向けられるようになるということを伝えたいからです。

人は意図して「喜び」を選択していくことができたなら、意識をどんどん魂に近づけていけるようになるので、ネガティブなことを選択することがなくなっていきます。

前回も書きましたが、「選ぶ」ということは「捨てる」ということでもあるため、積極的に自分が欲しいと思うことを選べば、いらないと感じることも一緒に捨てられるようになります。この「選べば捨てられる」ということを理解することが、この陰陽の世界を上手に生きるポイントだったりします。

選択するということで自分の魂に近づいていくということは、彫刻家がいらない部分を削って作品を生み出していくことに似ています。私たちが積極的に不要な部分を手放していくとができたなら、自分自身の本来の姿を見つけることができるようになるでしょう。

この自分の本来の姿というのが魂の姿であるといってよく、私たちは不要と思うことを手放していくことで自身の魂に近づいていくことができます。

ただ気を付けなければならないこととして、この世界は焦点を合わせたことを引き寄せるという法則があるため、手放したいことを意識するよりも、必要なものを意識した方がスムーズに自分の本質に近づいていけるようになっていきます。

したがって、必要なものが何であるかを見極め、その対象に意識を集中させていくだけで、不要なものを落としていけるようになっていったりします。こういったことから、シンプルに「喜び」を選択して生きていくことが最善の方法であるということができます。

「喜び」を選んでいると「愛」を理解できるようになる

人はつまらないと感じることや関心を持てないことをずっとしていると無気力になってしまいます。

では、なぜ、人はつまらないと感じることや関心を持てないことを選んでしまうのでしょうか。その理由はというと、自分にとってかけがえのない「喜び」が何かを理解できていないからだったりします。

自分にとってかけがえのない「喜び」が何かを理解できないでいると、何かを選択しなければならなくなった場合に、目先の損得で判断してしまったりします。

しかし、自分が何に「喜び」を感じるのか、その「喜び」をどう実現していけばいいのかを理解することができると、関心を持てないことを選んでしまうことはなくなっていきます。

そして、楽しいと思えること、夢中になれることを意図して選択して生きるようになり、自然とやる気が満ちてきます。人はやる気が満ちると前向きな気持ちになって自分自身を肯定できるようになります。

また自分を肯定出来るような体験を繰り返ししていると、次第に自分のことが好きになって自信が持てるようになり、やがて自分という存在を受容できるようになっていきます。

人が自分を「受容」できるようになると、やがて自分を「愛せる」ようになっていきます。

また、「愛」とは「受容」によって生まれる意識であるだけでなく、「受容」から生まれる「理性」も必要な要素となっています。

「意識のマップ」

「意識のマップ」の「愛」の下に「理性」と「受容」という言葉がああるのは、こういった理由があるからです。もちろん「愛」の意識は「受容」や「理性」だけでなく、その下にあるネガティブな意識を理解できているからこそ生まれる意識でもあります。

つまり、「愛」はすべての感情を包括して成り立つものであり、様々なネガティブな意識を「受容」し「理性」に変えていくことで生まれる意識といっていいでしょう。

また、「愛」の言葉の上に「喜び」があるのは、「喜び」によって「愛」の意識を育むことができるようになるということを示していています。

つまり、人が「喜び」で生きることができると、「愛」や「受容」ができるようになっていくものなのです。

人は「喜び」があるからこそ「意欲」が生まれ「勇気」を持って行動できるようになります。もちろん「喜び」は人のエネルギーの源泉であるので、ネガティブな意識をポジティブに変える力も持っています。

「平和」と「悟り」は「陰と陽」を理解して生まれる

ここまでは、「愛」や「喜び」は陰と陽の意識の上で成り立っているということを書いてきましたが、「意識のマップ」の「愛」や「喜び」の上にある「平和」や「悟り」の意識も当然、陰陽の二元性の上に成り立っているといっていいでしょう。

「平和」は、陰の苦しみを理解できるからこそ生まれる陽の意識であり、「悟り」とは、まさに「陰」と「陽」を一つとすることで生まれる気づきであったりします。

そこで、次回は「平和」と「喜び」、「悟り」と「喜び」についてもう少し詳しく書いていきたいと思います。

*こちらは、記事の中で紹介した「パワーか、フォースか」です。読み応え十分で、たくさんの気付きを得られる本です。


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