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76)伸び伸びと生きていける社会

昨日、理想の自分についての記事を書いたあと、「萎縮」という言葉が浮かんできた。

これまで生きてきて、多分に萎縮して生きていたとあらためて気づいた。

最近は、少しづつ心の中にある強張った思いはなくなってきているものの、まだまだ完全とは言い切れない。

萎縮は、不安や恐れといった思いが凝縮された塊のようになって、心のどこかに残っているという感じだ。

何かを始めようとするときに、すっとそこに飛び込めないのは萎縮する思いがブレーキを掛けるから。

強く何かを言われる経験が重なっていくと、それが萎縮の心を生むことになる。

自分が我慢すればいいという思いを持つことが萎縮する心を生み出す。

萎縮によって過度に遠慮してしまったり、「自分には無理」と思ってしまう原因になる。

萎縮した心は、自分の可能性を閉ざしてしまう。

しかし、それではもったいない。

萎縮した心を解きほぐす方法としては、第一に自分が好きなことを夢中になってするということがある。

誰にも邪魔されることなく、ある対象に没頭できているときは、心の中が伸び伸びとするものだ。

この伸び伸びした感覚が、縮こまった心を解きほぐす。

伸び伸びした気持ちが、充実感や達成感を生み出していく。

夢中になって心と身体を動かしていると、生まれ持った自由さが蘇ってくる。

何かを表現することで小さく固まった心を解きほぐし、伸び伸びとした自分を体感できるようになっていく。

幼い子どもが無邪気に絵を描いているような気分を、表現や創作を通じて取り戻していく。

表現とは自分の心を喜ばせるためにすることでもあり、まずは自分を伸び伸びとさせるためにするといいのかもしれない。

そして表現したことを介して他者と関わっていくと、萎縮した心を和らげていけるようになる。

萎縮を生んだ人間関係とは異なる関係性を結ぶことで、固くなった心を解きほぐしていく。

「共通する何か」があると、他者との関わり方が変わってくるもの。

同じ趣味や興味関心を持っていたりすると、互いの関係性を深めていくことができる。

そういった興味関心の対象は、性別や年齢を超えるものだから、共通する同じ何かを介していった方が関係性を深めていくことができるものだ。

「釣りバカ日誌」のスーさんと浜ちゃんように、釣りを介することで社長と平社員でも横の関係を結ぶことができる。

無造作に集められた組織の中では、縦関係とか組織のルールが優先されるが同じような価値観を持っていると、そういった「無造作さ」をまとめるためのルールが必要がなくなっていから、誰もが比較的自由な関係性を結べるようになっていくだろう。

そして、楽しめる対象を介して他者との関りを深めていけるようになると、比較的自由な人間関係を構築できていけるようになっていく。

人の生き方はそれぞれあるけれど、これからは夢中になって楽しめることがある人から、自由に過ごせていけるようになっていくのではないかと思う。

夢中になれることを軸にして、他者との関わりを増やしていけば心が萎縮するようなことも少なくて済む。

家族でも会社でも、誰もが同じ方向を持てるような「何か」があると、縦関係ではなく横の関係で付き合うことができるようになる。

同じような考え方を持った人たちで集まって何かをするようになっていくと居心地がよくなっていくし、そういった社会の中で過ごすことができれば不安や恐れを感じることも少なくなり、毎日を楽しい気分で過ごすことができる。

他者に気を使うことはあっても、心を萎縮させる必要はない。

最近、「一定の地域に居住し、共同体意識を持つ人々の集団」としてコミュニティーの話題をよく見かけるけど、それは当然の流れなのだと思う。

自分の興味関心を広げながら他者との関わりを深めていくことが、伸び伸びと生きていける社会として最善の方法なのでないかと思う。

人が精神を重視し行動を変えると環境も変わっていく。

そのためにも自分の理想を明確にしていく。

まだまだ先のことかもしれないけれど、同じ思いを抱く仲間が集まる環境(コミュニティー)ができていくことは自然な流れなのだと思う。








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