yamabuki

日本の文化が好きです。本や映画や漫画などいろいろ思うことを書いてみました。子供のころの…

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日本の文化が好きです。本や映画や漫画などいろいろ思うことを書いてみました。子供のころの不思議な出来事などの忘備録

最近の記事

林檎

美味しい林檎はと聞かれればゴールデンデリシャスと答えていた。特徴のある形と大きさ多分頂きものだったと思う。甘酸っぱい味が好きで皮もたべていた。紅玉もよく食べた。秋の林檎は特に美味しい。お菓子作りに目覚めてからはアップルパイを何回か作った。最初に作ったのがとても美味しかったので、お店のが満足出来なくなった。シナモンを入れない。パイ生地と林檎の間にカスタードを入れて焼く。時間はかかるけど冷めたころが美味しい。だから、カフェではいつもチーズケーキだ。白雪姫のお話が気に入っている。小

    • あの花

      あの日見た花の名前を僕達は知らない。有名なアニメです。体調がすぐれなかったとき、よくネットを見てました。結婚してからあまり見ることのないアニメが見事に進化していました。もう夢中になって追いかけていました。あの花は特に印象的でした。超平和バスターズのような世界が私にもありました。場所も時間もバラバラですが、幸いにも災いに巻き込まれることはありませんでした。スージーちゃんという友達もできました。栗色の髪と淡い瞳が可愛い女の子です。小学校が違ったのであまり遊べませんでした。子供の遊

      • 今日 寒いね。

        いつも気になっていた、himeさんのイラストです。ここからどうしょう。今時の会話がわかりません。でも可愛い人は癒されます。何か引き付けられル人っていますね。何処が違うのでしょう。勤めてる時宅急便のお兄さんに癒されていました。あとヤクルトのお姉さんはお昼までの生命線朝が苦手な私の大切な補給手段、ジョアと野菜ジュースです。ダンディなおじさまもたまに見かけました。よその会社のお客様です。、えらい方向に行ってしまいました。色んな人に支えられていたんだなあと思います。

        • 花いちもんめ

          冬の遊びだった。祖母の家でよくした。周りの子供はみな顔みしりだった。最後の一人でじゃんけんして負ければ終了だ。負けて悔しい花いちもんめ相談しょうそうしよう。たまに盛り返す時がある。その醍醐味が楽しくていつまでも続ずいた。すると、体がポカポカしてくる。遠縁に当たる男の子も遊んでいた。その時は特に盛り上がった。帰り儀はに、またよんでな。と元気に帰った。春休みに行った時彼は呼ばれなかった。皆思春期を迎えていたのだ。私は納得がいかなかった。どうして一緒に遊んではいけないのか。街では男

          バリ島の海

          どうにもいじけている自分かいる。私のパスホートは真っ白だ。国内旅行もままならない中、海外なんて夢のまた夢30代はやたらと外国に行きたかった。子供が大きくなったら、絶対行くぞ、と思っていたが、いろんなごたごたがあってかなわなかった。バリ島についてはあまり詳しくない。でも美しい朝日だ。皆さんの写真や文章を見るのが大好き。色々考えさせられたり、今を一番感じられる大切なツールだと思う。noteの距離感もちょうどいい。コメントもスキしか返せないけど歓迎です。

          バリ島の海

          風見鶏

          神戸の異人館で初めて見た。くるくると目まぐるしく動いていた。泊まる所は会社の保養所だった。余り期待してなかったが、とても綺麗な所だ。始めての神戸は新鮮だった。駅の近くに露店の生地やさんで英国風のチエックの生地を買った。スカートにしてもらおう。何を食べたか憶えていない。団体行動の苦手な私はいつもくたびれてしまう。またゆっくり行きたいなと思いながら帰った。スカートは今も手元にある。今はデニムばかりはいている。最近歩き難くなった母に歩きやすい靴を買うように勧めた。足が軽くなったと言

          風見鶏

          花束

          また子供が花束をもらってきた。なぜか、一年ごとに変わる職場どうもそういう職場らしい。成長させるために敢えて移動する。何時まで経っても後輩が出来ない。いい加減先輩風を吹かせる年なのだが、でも花束が物語たっている。どれだけ信頼されていたか。いつも心憎い工夫をしこんでいた。愛されていたんだと思う。突然子供は自分のことを考え始めた。私は見守る事しかできない。結果オーライだったが、何かの拍子に運命が回りだす時がある。私は花束を貰ったことがない。酒屋さんが誕生日に花の鉢をプレゼントしてく

          ザクロの実

          下校にいつもと違う道を通った。静かな住宅街に大きな赤い実が落ちていた。落ちているものは食べてはいけない、と教わっていたので、それを踏みつぶしてみた。甘いいい匂いがした。何かわからないが食べれると思った。踏んでいると上級生が通り掛けに、それ食べれるのに何してると怒られた。事情を説明するとそれはしょうがないな。と言ってそこの家に入っていった。友達二人でかかきれないほどザクロをもらって、帰っていった。残った私はその木を睨み付けながら帰った。どうしても私もちょうだいと言えなかった。ル

          ザクロの実

          コロッケ

          殆どの人が好きな料理だと思う。母の数少ない得意料理だ。じゃか芋を煮て中身を作るとこまではよく手伝った。あげるのはやったことがなかった。一人で作っていざ油の中にいれるとぷしゅーとなかみが噴出しはじめた。どうすることも出来ずコシキで全部取り除いた。コロモのつけかたがおかしかったのか。それからコロッケは冷凍食品になってしまった。商店街のコロッケはどうしてあんなに美味しいのだろう。またチャレンジしてみようか。 .

          コロッケ

          じいちゃんの自転車

          門の前に自転車が止まっている。大好きなじいちゃんが来た。急いで幼稚園帰りの私は家に入る。兎に角嬉しかった。おおきくなったのう、と言って私を高く抱き上げる。父と違って祖父は背が高かった。何かをもらっていたが、それは憶えていない。私の話をにこにこしながら聴いてくれていた。じいちゃんはいつも自転車できていた。4時間ぐらいかかって、農家だった祖父は体力はあった。母も祖父のことを慕っていた。が父とは折り合いが悪かった。勉強が好きだった祖父は進学を両親に反対され田舎にとどまった。良く大阪

          じいちゃんの自転車

          カップケーキ

          子供が小学校の時ケーキ教室に通っていた。ホールケーキが主だったがある日マドレーヌを作った。バターの香りが良く甘さも控えめでとても美味しかった。早速作ろうとしたがケーキ型がないプリンの型で紙を敷き焼いてみた。意外と上手くいった。こんなに可愛い飾りはなかったけど、子供の友達には好評だった。少し残ったのでお土産にした。その子はとても喜んでくれた。今頃は自分が、誰かのためにケーキを焼いているかもしれない。もしそうだったら嬉しいな。

          カップケーキ

          神社

          ここは特別な場所でした。子供の頃から慣れ親しんだところ、優しい宮司さんのいるところでした。作りは良く似ています。歴史ある神社で当主も健在です。今度いつ行けるかわかりませんが。noteを始めて本当に良かったとおもいます。このように動けなくなるとは、思いませんでした。今住んでいる所はあまり制限がないのですが、都市部への移動はひかえています。お蔭で子供とは半年以上会っていません。なのでネットのことが聞けずに不甲斐ない状況です。このようにnoteで初詣も出来ました。これからもよろしく

          つばめ

          ツバメの巣は大事にされる。害虫を食べてくれヒナが孵るとかいがいしく世話をする微笑ましい姿が見れる。随分前にはとがベランダに卵を産んだ。二羽の親鳥が交代で卵を温めていた。時々見ていたがある日ヒナになっていた。二羽は可愛くなかった。思わず吹き出しそうになるくらい。いつか漫画にでてきた怪鳥のようだ。暫く見守る事にした。すると、カラスがヒナをねらいだしたので屋根を作った。けなげに物陰に隠れる姿が可愛かった。二羽には体の大きさが違う、羽も生え大きい方が羽ばたきの練習をしだした。そしてあ

          つばめ

          もち花

          小正月に飾る縁起物です。これも祖母の家でみました。柳の木にたくさんついた餅は梅の花のようにもみえます。古民家だった家は薄暗いので、そこだけ花が咲いたようにひかります。口をあんぐりと開けたままいつまでもながめていました。お正月の残りのもちを火鉢で焼くのも好きでした。香ばしいにおいと歯ごたえのあるもちは最高のおやつです。運が良ければぜんざいにありつけます。私が来るのをいつも楽しみにしてくれました。あの日々がなければ田舎を好きになることはなかったと思います。

          もち花

          主婦になって友達と呼べる人がいなくなってしまった。マンションの取り壊しでみんなバラバラにされてしまった。面倒を見てもらった人は遠くに引っ越してしまい残ったのは私一人、よくよく人間関係に恵まれない。まだママ友という概念がなかった。そこでとある施設でボランティアをすることにした。そこではいままでの常識は通用しなかった。本音でぶつかってくる人たち、癒されることに慣れていない私は戸惑った。人に傷つけられたものは人でないと癒されない、良く休みもしたが彼らは何も気にせず接してくれた。あの

          虎の掛け軸

          祖母の床の間に突然に表れた。私は前にかけていた水墨画と漢詩の掛け軸がそ好きだった。前のどうしたんと聞くと虎の掛け軸と取り替えて貰ったという十代の私でも前の方が価値があることが分かった。でも自慢そうにしている祖母に水をさすことはできなかった。何でも魔除けになるらしい。そういわれるとそのように見える。どうか守ってねと願いをかけた。祖母は相変わらず田んぼ仕事に精を出していた。

          虎の掛け軸