見出し画像

【人は最も語らねばならないことを語ることができるか】(2011年6月神戸女学院大学での講義録)

【人は最も語らねばならないことを語ることができるか】(2011年6月の講義録)
2011年6月27日、神戸女学院大学の「アート・パフォーマンス」でお話しした際の原稿です。
このころは、ゲストスピーカーとして1回だけの講義でした。
担当教員は、小林昌廣先生です。
改めて、このような機会をありがとうございました。
(写真はPearl Primus dancing, likely at Cafe Society Downtown. October 25, 1945. Courtesy of the NYPL.)
   ★
 今日は、この授業で既に2回続いた身体をめぐる話を引き継いだり離れたりしながら、そもそも人は、自分が今最も痛切に感じたり思ったりしていることを、十分に語り、表現し、伝えることができるのか、ということをめぐって、いくつかのケースを見て行きたいと思います。
 私がダンス、主にコンテンポラリーダンスといわれるものを専門にしていることから、パフォーマンス、身体表現という観点から、身体、人間のからだというものは、どのように表現する、物語る、ということができるのか、ということが大きくなると思います。
 この問いかけの背景には、2つの考えがあります。1つは、皆さんも小さい頃からよく言われてきたと思いますが、思ったとおりに書きなさいとか、真剣に考えれば書けるはずですよとか。つまり、思っていること、内面が外に現れること、表現は直結すると。でも、そうでしょうか。人は、思ったとおりに表現できたり、よく考えればよく表現できたりするのかな、という疑問です。
 2つ目は、その表現のことですが、人間が言葉を持った以上、叙述、何事かを述べ伝える、語るという行為は、言語に集約されたように思われていますが、表現は言語によるのだけではありません。「身体表現」とか、それは「言語化」なのでしょうか。端的に言えば、ボディ・ランゲージ、ノンバーバル・コミュニケーションというのはボディとかノンとか言いつつ、言語化しているのではないのか。それらは言語という媒介を通じた行為なのだろうか、言語化以前という段階を考えられないか、ということがあります。

 先週は舞踏家の岩下徹さんがいらしたそうですが、舞踏の創始者といわれている土方巽の身体~当時は「肉体」という言葉のほうがよく使われましたが~について、評論家の澁澤龍彦がこう書いています。
「舞台の上に、裸の男がごろりとひっくり返って、背中をまるめ、手脚をちぢめている。それは生の方向と死の方向とを同時に暗示した、未生の胎児の眠るすがたのようでもあり、またカフカの短編のなかの甲虫のようでもある。やがて裸の男はむくむくと起きあがり、一本一本数えられそうな肋骨を浮き出させて、からだを屈伸させはじめる。ふいごのように胸と腹が大きくはずむ。そうかと思うと、小児麻痺のように痙攣的な、衝動的な手脚の不均整な動きを示しつつぎくしゃくした足どりで舞台の上を歩き出したり、脚を棒のようにして急に立ちどまったり、意味のない短い叫び声をあげたりする。」(1960年夏に、日比谷の第一生命ホールの舞台で初めて土方巽を見たときの描写 (『病める舞姫』、1983・白水社、白水Uブックス所収。解説))
 まさにそのような、物語ることなく、ただごろんと転がっているだけの、何ものにも従属せず、何も目的としない「器官なき身体」(アルトー)が一つの理想形ではないかという憧憬のような思いがあります。言語とか、何か形に残るものとして記述される以前の、思いにもならない、未生の何ものか、というものをつかみたい、というような欲求です。
 少し逸れますが、「表現」という言葉の持つ問題もあります。むしろ「表出」という言葉を使うべきではないかとしたのは吉本隆明さんですが、今はその議論に深入りしている時間はありません。
 身体は物語るのか、物語るとすればどのようにか、表現しないということは無徴であるのか、ということをめぐって、今日はいくつかの事実…災厄、物語、歴史的事柄、という出来事と、詩、いくつかの舞台芸術、ダンスそれぞれの表現の向き合い方について、見ていきましょう。

 まずはやはり、東日本大震災のことからです。
 東日本大震災のあとのさまざまな芸術や文化の動きについて、何か総括的なことをいう能力も資格もありませんし、まだその段階にもないでしょう。
 私の目にした範囲では、「日経エンタテインメント」という雑誌が、6月号で「エンタテインメント界はどう動いたか」というクロニクルを出しています。この号には、福山雅治の24時間ラジオでの発言の記録、EXILEのATUSHI、井ノ原快彦(よしひこ)、AKB48の高橋みなみ、作家の冲方丁(うぶかた・とう)らのインタビューも掲載されています。
 そして、「現代思想」という雑誌の5月号も、「東日本大震災 危機を生きる思想」を特集しています。
 さて、6月18日の土曜日にびわ湖ホールで見た、Noismという新潟市のレジデンシャルダンスカンパニーの公演で、主宰者・金森穣の「Psychic 3.11」https://noism.jp/works/psychic-3-11/  という作品が、完結した形を持たないような終わり方をしていたように、それはまだ終わっていないどころか、まだこれから始まる何事かがあるかもしれない、そんな状態にあるのだと思います。その点で、阪神・淡路大震災と、かなり様相は異なっていると思います。
 その作品は、改訂再演だったそうですが、以前はなかった金森自身のソロパートが追加されたそうです。それについて、アフタートークで、金森自身が舞台で踊るのは久しぶりだったことについて、「じっとしていられない感じ」だと言っていました。おそらくこれは、何の衒いもなく、率直な思いだと思います。なるほど、ダンサーは、居ても立ってもいられないと、踊るのだ、ということですね。
 そのアフタートークの対談者であった黒田育世という、これまた非常に優れたダンサーですが、彼女はアメリカン・インディアン(ネイティブ・アメリカン)の言葉を紹介していました。大意ですが、祈ることを侮ってはいけない、ただ、祈るだけに留まってもいけない。踊りなさい、踊ることは実践だからだ。という言葉です。
 金森は、東日本大震災について、今作品の中でどう対していくかとか、ぱっと答えられるような言葉はないが、自分が与えられた環境の中で、当たり前のことを当たり前にやっていく。この状況を生き抜くこと、と言ってもいました。
 黒田は、ちょうど震災の当日、野田秀樹という劇作家の『南へ』という演劇作品の振付担当として東京芸術劇場にいたそうですが、その上演が4日間だけキャンセルになった。そのことを野田がいまだに「しこり」に思っているということを紹介しました。
 野田自身、どう考えていたかは、「シアターガイド」という雑誌の6月号~小さな雑誌ですが、ここでも「劇場へ行こう-舞台のチカラ」と題して、劇場や劇団関係者のコメント、そしてニューヨークの9.11の時にアメリカの劇場街ブロードウェイの人々はどう対応したか、という記事が載っています~にインタビューが掲載されています。東京都との調整もあって、4公演を中止した。「自分はずっと芝居をやってきた人間なので、観客が来てくれる以上は上演することが至極真っ当なことだと思っていて、実際,電話が通じなかったため震災当日にも来場者はいらしたんです。もし公演会場が福島や岩手だったら、間違いなく上演は不可能だったでしょう。けれど、やれる場所と状況があるなら、それはやるべきだと僕は考えます」「予想外だったのは原発事故の深刻な現状が明らかになってきたことです。上演中の『南へ』は、噴火するかしないかわからない火山と、予兆とも思える地震が劇中何度も描かれる作品。…地震の場面になると強い緊張感が客席に走る。また震災前は観劇後「今回は難しかった」という声が多かったのに、再開後は一度も言われなかったのも印象的でした」
 これは、演劇を、演劇だけではないでしょうが、享受する場合のどれだけ「わが身に置き換えられるか」という基本的で素朴で初歩的ではありますが、真実な姿勢のありようを示しているように思います。

 続いて、震災後の現代詩についてふれてみます。4月末に発売された「現代詩手帖」5月号に掲載されていた作品を紹介しましょう。
      ★
 密葬     須藤洋平
彼女をおぶり避難所まで黙々と歩く。
乾いた風が肌を擦りひりひりと痛んだ。
不意に彼女、僕のあごをさすって、
「おんちゃん、おひげきもちいい?」
僕は思わず笑って、
「うん、きもちいいよ」
と返した。すると続け様にあごをさすって、
「おんちゃん、おひげほんとうにきもちいい?」
「うん、きもちいいよ」
今度は変に改まって言った。
彼女、小さくふふんと笑うと、
微かに震え、じんわりと温かくなった。
際やかな寒さに身を震わせながらも、
足はしっかりと地を摑んでいた。
      ★
 この号に掲載されている作品の中で、出色の出来、素晴らしい作品だと思います。ここでは、身体にかかわる事柄を中心に、読んでいきましょう。ごく日常的な情景のひとコマを切り取ったような、短い作品です。
 まず、「おぶる」という動詞から、ある重みを感じることができます。「彼女」といわれている対象が、老婆か少女か恋人か、母か娘か、まだわかりません。そしてこの「歩く」は、坂道を登っているのではないかと、特に書かれてはいませんが、そんな想像が沸いてきます。
 風、肌、痛み、この風が心地よいものではないのはなぜだろうと、その身体感覚の奥にある何ものかを想像することができます。
 不意に、という言葉から、この男が、何か考え事をしていたのか、ぼーっとしていたのか、とにかく心ここにあらずという体であったことがわかります。彼女の手のひらがあごに触れる、という触感を感じることができます。
 次の会話から、この「彼女」が少女であったことがわかります。「おんちゃん」は、「おじちゃん」がなまった、一種の幼児語的な愛称だと思っていいでしょう。実際に血縁のあるおじさんなのかどうかは、ここではわかりません。無精ひげのように伸びていたのでしょうか、ざらざらとした触感、これは風のひりひりとした痛みとは違っていたようで、「思わず」と、反射的にというような感じで、「きもちいいよ」と答えます。これは、実際に気持ちいいということもあるでしょうが、「彼女」へのある種の挨拶、あるいは、不意に話しかけてきてくれた彼女の言葉によって、日常とか現実とかに引き戻してくれたことへの感謝とかありがたさとか、そういうものが言語化される前の反射的な笑顔、応答であったと思います。
 彼女があごをさするのを止めないのはわかるとして、「ほんとうに」と念を押すのは、どうしてでしょう。それに対して、「僕」が、「変に改まって」同じ答えを繰り返したのは、なぜでしょう。
 抽象的な言い方ですが、これは生の実感とでもいうほか、ないのではないでしょうか。「彼女」は、何のためにか、避難所に向かっています。どこかからの帰りなのでしょう。「おんちゃん」におぶられているということは、お父さんやお母さんはどうなっているのか。説明されていません。想像する、想像させられることになりますね。そういう彼女の「ほんとうに」という言葉に、「僕」は、改まって、威儀を正すようにして、答えるわけです。
 すると、彼女は、安心するのですね。ここは美しい瞬間です。人間同士の対等な応答によって、彼女は何かを得るのです。そして、安心して、眠りに落ちたのでしょう、彼女のからだの力を抜いた体温が、改めて実感されるわけです。
 改行があります。演劇の暗転のように、この空白の一行によって、すべてを変えることができます。ここで「僕」がどのような姿勢の、心構えの、転換があったか、想像することができますし、読者もここでふと佇まいを変えることができます。
 僅か15行の短い作品ですが、これは、確実に言葉にできない、ならない何ものかを摑み、あらわにしている作品だと思います。そして、その何ものかによって、足がしっかりと地を摑むことができたことを実感したという、「僕」にとって、そして多くの人にとっての記念碑的な作品です。
 さて、タイトルに戻ります。「密葬」。さて、どういう解釈が待っているのでしょうか。
 一篇の、何も事実の事柄を語っていない詩から、私たちは、いろいろなドラマ、物語、事実を想像します。密葬は、どこでいつ行なわれていたのか。誰を葬るものだったのか。葬られた人は、「僕」と、「彼女」と、どういう関係の人だったのか。……
 極端な解釈をすれば、「彼女」の密葬であったのではなかったか、とさえ想像させてしまうような作品です。なぜそんな解釈が可能かといえば、この詩人が、ほとんど自分の皮膚で感じられる限りのことしか表現していないからでしょう。客観的に状況をみるという視点を、放棄しているように見える。客観的な事実など、どうでもよくて、彼女のぬくもりを感じる背中を中心とした感覚から言葉を出している。
 この極端に一人称である語り口、ナラティブが示す世界の広さ、狭さが、印象的です。他者の存在を意図しないかのような(作品である限り、そのようなことはありえないはずですが)極小空間で、物語られていないかのような言葉、その言葉から生み出される世界の密度の濃さ、それが強いていえば、表現としての緊密さを生んでいるといえるでしょう。
 さて、今みてきたのは、詩という言葉の芸術ですから、言葉以外に私たちが感じたり見たりしたものは、すべて私たち読者の脳か心だかの中にあるといっていいでしょう。今私たちがこの「密葬」という15行から受けたものは、すべて私たちの中で起きたことです。

 逆に、私たちの外で物事が起き、流れていくものとして、舞台芸術や映画などを挙げることができます。
 今日は、有名なシェイクスピアの初期の悲劇「ロミオとジュリエット」の、「バルコニー」の場面を見て、表現媒体の違いによって、受ける印象がどう違うか、身体や声の使い方はどうか、身振りやマイムといった身体言語を含めた言語以外の部分での伝達性というものはどうか、また、舞台を構成する要素の多さや少なさは、表現力というか、伝達力とどう関係があるかなど、とにかく見比べてみてほしいと思います。
 見比べるのは、ウィリアム・シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の、以下の3つの上演です。
 ・蜷川幸雄演出、藤原竜也、鈴木杏
 ・ジェラール・プレスギュルヴィック作、小池修一郎潤色・演出、宝塚歌劇団星組、柚希礼音、夢咲ねね
 ・ケネス・マクミラン振付、ウェイン・イーグリング、アレッサンドラ・フェリ
 これについては、さほど説明を必要としないと思います。人によって受け取り方や感じ方は違うと思いますし、どれが一番好きかというのも異なっているでしょう。時間があれば、これについてたっぷりディスカッションをしたいぐらいです。
 一点、バレエを見てもらったことで、身体が言語的に使われるということを、比較的簡単にイメージしてもらえたのではないかと思います。身体表現というものが、言語的なものと、言語外のものと、両方あるのではないかということに着目してもらえたら、身体表現ということについて考える目的の、ほとんどが達成されたようなものです。
 たとえば、セリフ、演技、衣裳、舞台美術、音楽性、動き…といった項目ごとの採点表を作って、演目ごとに比較して、一番合計ポイントが高いものが、一番感動的で、伝達力が高く、表現性が高い、といえるかどうか。おそらく足し算のポイントでは、腑に落ちないようなことがあるのではないかと思い、興味深いところです。なぜでしょう?
 技術やわかりやすさ、構成要素の多さ、そういうものだけでは測れない何ものかの存在を、私たちは感じているということではないでしょうか。それによって、感動というようなものが生まれてくる。その何ものかを、明らかにして計測することは、できるでしょうか。

 続いて、いわゆるモダンダンスの作品を見てもらいます。モダンダンスは、一般的に自我の内面の吐露を重視した、表現性の強いダンスであるといわれています。また、女性、黒人といった、1900年代初頭当時のマイノリティによる、抑圧されたものの解放という側面を大きく持っています。
 今日ご紹介する「奇妙な果実」は、同名の詩によるダンス作品です。まずその詩がすごい内容ですので、読んでみましょう。そしてこれは、ジャズシンガー、ビリー・ホリデイが歌ったものです。まずはビリー・ホリデイの歌う「奇妙な果実」を聞いてもらいましょう。1939年の録音、ビリーが24歳のときの歌唱です。参考までに、「風と共に去りぬ」の刊行が、1936年です。
 同じ時期に彼女が歌ったスタンダードナンバーに比べて、フレージングが非常にシンプルで、装飾音等のアドリブ、遊びがほとんどないことが、かえって印象的です。
 そして、次にダンスを見てもらいますが、言葉の取り扱い、動きのテンションが、どれほどの激しさを持っているか、言葉と動きの対応が濃いのか薄いのか、ダンサーの立ち位置・視点がどこにあるのか、言葉の内容に比べて、激しさがどうか、というあたりをチェックしてもらえればと思います。さらに、このダンス作品から、言葉を抜いたらどうか、成立するのか、というのも考えるに値すると思います。
「Strange Fruit」
Pearl Primus(1919-94) 振付、
  ダンス:Dawn Marie Watson
  1943年作品、2007年The American Dance Festivalでの上演。
  DVD “Dancing in the Light – Six Dances by African-American Choreographers” 所収
Southern trees bear strange fruit (南部の木には奇妙な果実がなる)
Blood on the leaves and blood at the root (葉には血が、根にも血を滴たらせ)
Black bodies swinging in the southern breeze (南部の風に揺らいでいる黒い死体)
Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木に吊るされている奇妙な果実)
Pastoral scene of the gallant south (美しい南部の田園に)
The bulging eyes and the twisted mouth  (飛び出した眼、苦痛に歪む口)
Scent of magnolias sweet and fresh (マグノリア(ミシシッピ州、ルイジアナ州の州花)の甘く新鮮な香りが)
Then the sudden smell of burning flesh. (突然肉の焼け焦げている臭いに変わる)
Here is a fruit for the crows to pluck (カラスに突つかれ) 
For the rain to gather for the wind to suck (雨に打たれ 風に弄ばれ)
For the sun to rot for the trees to drop (太陽に朽ちて 落ちていく果実)
Here is a strange and bitter crop.     (奇妙で悲惨な果実)

 さて、ここでは「奇妙な果実」の男性による朗読、リーディングが使われていましたが、これがビリーの歌だったらどうだったでしょう。なぜパールは、ビリーのよく知られた歌を使わなかったのか。それも、表現の強さ、深さがどこから来るのかを考えるときに、重要な鍵になると思います。
 こうして、様々な大きな感情の揺れを伴う現代詩、シェイクスピアの演劇・ミュージカル・バレエ、そしてモダンダンス、とさまざまな「表現」を見てきましたが、私が素朴に抱いた感想は、表現の要素が多ければ伝わるということでもないということ、そして表現しようとすればするほど、動きが小さくなったり、硬直したり、断片的になったりするということへの、不思議さです。極端に言えば、あまりに表現したい/すべきものが大きくなりすぎたときには、人間の身体というものは、停止ないし硬直するしかないのでしょうか。
 意外に私たちは、そのようなことを、日常的には経験しているのかもしれません。たとえば絶句というのがそうですし、「心余りて言葉足らず」という言葉が見られるのが古今和歌集(905年)の仮名序だったりするわけです。日本の和歌論は、ことば(詞)=表現と心のつりあいを主題としていたといってもいいほどです。
 また、「ただ転がっているだけの肉体」という、まるで達磨大師が9年間座禅を続けて手足が腐ってしまった、というような伝説的な存在のありようを、舞踏の土方巽が体現し、また彼自身も彼に続く多くの舞踏家も、障碍を持つ人の麻痺した身体を理想形としたり、衰弱体なる理想形を置いたりしていたことも、思い出すことができます。
 表現しようとすればするほど、萎縮してしまう身体。表現しようとすればするほど、伝わらないという私たちの享受機能。それを前提として、なおもこれからこの時代において芸術家たちはいわゆる「表現」を続けていくのか。東日本大震災の災厄が続いている中、そしてそれはまだまだ続くのでしょうが、どのような表現が可能かということは、すべての人に突きつけられる厳しい問いだと思います。よく言われることですが、「行方不明」として何千という数で語られる存在の一人ひとりを想像してしまうと、詩や演劇や歌や絵画やダンスどころではあるまいというのも確かでしょうが、そこから考えたり感じたりすることを始める表現というものの可能性が生まれつつあることも確かでしょう。
 表現そのもの、身体そのもの、人間そのものについて、メタな問いかけを繰り返しながらでないと、ひとことの言葉も、一挙手も一投足もできないのではないか、そんな思いがあります。そして、私たちが本当にこの事態を正面から真剣に受け止めた上で表現というものを始め直すなら、何かしらこれまでとは違う表現が生まれてくる可能性があるということも、歴史的に見て、ありうることです。
 阪神・淡路大震災のときにも痛感したのですが、こういう大きな災害、災厄がありますと、芸術なんて、演劇なんて、ダンスなんて、と卑下する方向に向かいがちです。
 しかし、穿った見方をすれば、その卑下や絶望には、芸術が被災者に何かできるはずだという前提があるように思います。感じたり思ったりしていることは表現でき伝わるはずだとか、真剣に考えていれば、表現できるとか。しかし、表現というものが、実は大変不自由なもので、思うようにならないものだ、ということを自覚していれば、却ってそのことが、行き場のない感情を抱えている人たちとの共通感覚となって、元々の意味でのカタルシス(元来は医学用語で、薬剤を用いて吐かせたり、下痢を起こさせる行為をいった。そこからオルペウス教などで魂の浄化を指す語となった。アリストテレスは悲劇の効果のひとつとしてカタルシスに言及)となるのではないかと思います。
 すべてを失った、と絶望している人の目の前に、一体どのような出で立ちで向き合うことができるのか。今は、そのことが問われるのだと思います。自らもすべてをかなぐり捨てて、無から考え立ち上がり始め、この身体と生命だけは残ってわが手にあるのではないですか、私も同じだ、と呼びかけるようなところからしか、何かを共鳴させることはできないのではないかと思います。

「密葬」 「現代詩手帖」2011年5月号から。
須藤洋平 (宮城県本吉郡南三陸町在住)1977年、宮城県生まれ。早稲田医療専門学校東洋医療鍼灸学科卒業。1987年、小学校4年の時にチック症が始まる。1989年、中学校入学。チック症がエスカレートしていく。2002年、東北大学病院にて、トゥレット症候群と診断される。この頃より、詩を読み、書き始める。現在もトゥレット症候群に併発した根の深い神経症からくる鬱病と闘病中。2007年、第12回中原中也賞受賞。

Pearl Primus 1919-1994 トリニダード・トバゴ生まれ。マーサ・グレアム、ドリス・ハンフリーらにダンスを学び、教育社会学、人類学を学ぶ。カリビアン及びアフリカンダンスを芸術的価値のあるものとしてアメリカの観衆に紹介することからダンスのキャリアをスタートさせた。”Strange Fruit”は、1943年初演。

奇妙な果実
(きみょうなかじつ、原題:Strange Fruit)は、ビリー・ホリデイのレパートリーとして有名な、アメリカの人種差別を告発する歌である。原詩はルイス・アラン。この曲が書かれたころ、まだアメリカ南部では黒人をリンチにかけて首を縛り、木に吊るし火をつけて焼き殺すという蛮行がしばしば見られた。「奇妙な果実」とは、木にぶら下がる黒人の死体のことである。「奇妙な果実」は、ニューヨーク市ブロンクス地区のユダヤ人教師エイベル・ミーアポル(en:Abel Meeropol)によって作詞・作曲された。1930年8月、彼は新聞でトマス・シップとアブラム・スミスという二人の黒人が虐殺されている場面の写真を見て衝撃を受け、これを題材として一編の詩「苦い果実(Bitter Fruit)」を書き、「ルイス・アレン」のペンネームで共産党系の機関紙などに発表した(ミーアポルはアメリカ共産党党員であり、フランク・シナトラのヒット曲を生みだすなど作詞・作曲家ルイス・アレンとして活躍する一方で、ソ連のスパイとして死刑になったローゼンバーグ夫妻の遺児を養子として引き取るなど、社会活動も精力的に行った)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?