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「戦後日本の作曲家Ⅰ」制作ノート

ピアノと声楽でたどる 戦後日本の作曲家Ⅰ
 バ ス:大西 凌
 ピアノ:志賀俊亮
 解 説:藤原征生

2021年1月30日(土)
西宮市フレンテホール

 本日は、ご来場、誠に、ありがとうございます。
 ことさらに読点で区切らせていただくのも、他でもありません、この難しい状況下に、公演を実施できること、お客様にお越しいただけることへの感謝の念が尋常ではないからです。なぜこんなことになってしまったんだろうという戸惑いも含めて。
 「戦後」という時代区分が、70数年という長期間となっています。その期間、少なくとも日本の国土が戦場になってはいないわけですが、日本にしか当てはまらない、元号みたいな区分なのかもしれません。
 「戦後」という括りで、現在バリバリに活躍している作曲家と、本日取り上げているような作曲家を同列に語ることは、非常に困難で危険なことである…それは、他のジャンルでも同じことだろうと思いますが、藤原氏もお書きのように、今日取り上げる彼らは、まさに「戦後」の作曲家といえるでしょう。
 少し上の1920年前後に生まれた鮎川信夫や黒田三郎らの詩人たちによる詩誌「荒地」は、戦時中に文学者の多くが、抒情から愛国に流れ、結果的に戦争遂行の言葉を流布してしまった反省に立ち、抒情や音律的快感を排した新しい言語表現を形成しました。
 小説で第一次戦後派と呼ばれるのは、さらにもう少し上の、野間宏、椎名鱗三、埴谷雄高らと、「荒地」同世代のマチネ・ポエティクの人たちということになっています。興味深いことに、野間宏らが戦争体験を踏まえたどっしりと暗鬱な世界を形作ろうとしたのに対し、後者の中村真一郎や福永武彦は直接的には戦争を題材とせず、どちらかといえばモダニズム的、実験文学的な傾向にありました。
 戦争という同じ歴史的事実を透過しても、体験の違いや受け止め方の違い、表現スタイルの違いはあまりに多様で、一括りに語れるものではありません。しかしその奥に通底するものは何か、その違いの本質は何かということについて、時間を経て、当事者のほとんどが冥界の存在となった現在だからこそ、冷静かつ客観的に俯瞰し、現在あるいは次代の表現に向けた考察ができるのではないでしょうか。にもかかわらず、特に音楽において、それらを実演で振り返ることが非常に稀なことになっているのは、残念極まりないと思っていました。
 (公財)西宮市文化振興財団が、コロナ禍によって劇場に満席の観客を迎えることができない芸術家たちへの機会提供という意味合いもあって、会場費等の減免を行うというプロジェクトがあり、志賀さんに相談したところ、この企画の提案を受けました。この場を借りて、(公財)西宮市文化振興財団への感謝を申し述べたいと思います。
 今回集まったのは、まさにぼくが考えたい、聴きたいと思っていた人たちの作品です。特に中田喜直は1950年に歌曲集「マチネ・ポエティクによる4つの歌曲」を作曲しています。マチネ・ポエティクは、日本語による定型押韻詩を試みた思潮でした。必ずしも成功したとはいいがたい試みでしたが、日本語の韻律とは何かということを、五七五から始めるのではなく、外国語の詩作の手法を援用しようとした実験でした。日本語の美しさとは、日本の旋律とは、リズムとは何か。それを理知的に追究することは可能か、いかなる方法によって? という問いを設定することで、何に向かってかは定かではないですが、現在にも大きな可能性が連続しているように思います。
 この「戦後日本の作曲家」は、何回か続けたいと思っています。あまり知られていない曲を取り上げることにも大きな意義がありますが、この試みを通じて、何か大きな展望が開けてくるように思います。どうぞお力をお貸しください。

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