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インフルエンサーとは3次元のヴァーチャルリアリティーでないか。


インフルエンサーとは何か。

インフルエンサーとは「自己顕示欲の権化」「商品紹介しているいかがわしい存在」だとずっと思いこんでいた。
そのような存在の人達の投稿を見ると、自己顕示欲を満たしたいであろう内心を想像して”恥ずかしいな”と感じ、その世界と距離を置いていた。

自分は25歳の社会人であり、高校時代にはインフルエンサーは存在しなかった。大学時代も特に触れてこなかった。
社会人になり目に触れることも増えてきた。

本日ある記事を見た。(最近好きな)まつきりなさんが所属されている芸能事務所のCEOの方のnoteである。
https://note.com/sosuke_official/n/n18271012e86c
https://note.com/sosuke_official/n/n984324563148

この記事を読んで思考がめぐりたどり着いたのが、インフルエンサーとは自分の人格を半分のせたヴァーチャルな存在なのでないか。
つまり、3次元に存在するヴァーチャルリアリティーではないか。という考えである。
(日本語的におかしな表現なのは100も承知だが、この表現が自分の中で一番腹落ちしたのでご承知ください。)

ここで自分のなかの「ヴァーチャルリアリティー」の定義は、ゴーグルをかけて没入体験することを具体的に指している。
これは夢を見ていることに近いと思っていて、誰かになりきり、IF(もし〜なら)の世界を擬似体験することができる。そこでは何でもうまくいく。

3次元ではそうもいかない。
努力しても思い通りにいかないことの方が多い。

インフルエンサーは私生活を切り取りSNSにのっけている。
食事シーンや肌の手入れ、悩み、過去の失敗、直面する現実。
受け手は共感、同感、親近感を得て、そこに自分を乗っけることができる。
身近さ、弱さを知ることで自己投影しやすくなる。
一方で自分とは違いキラキラしている部分もある。

インフルエンサー=「もう一人の理想的な自分」になっていくのである。


もう一人の自分


本当の実名アカウントを1次アカウントとするのであれば、仮想的な自分、”こうありたい自分”を乗っけた2次的なアカウントはよくある。

昔は(今も)2次元でアカウントを作り理想の自分を振舞うことはできたし、ゲームやブログなどでアバターは見た目から設定まで色々カスタマイズできた。別人格の自分を作れた。コスプレなどもそれに近いのかもしれない。
ただしそれでは、自分が思い描いた理想までにしか辿り着けない。

このような二次的アカウントを作る行為が高次化して、3次元に表出したものがインフルエンサーなのではないかと思う。
今まではせっせと自分でカスタマイズして作っていたヴァーチャルリアリティー(理想の自分)が、3次元にAIを搭載した別人格として勝手にいくつも存在するのである。自分で作る必要もないのでお手軽に手に入る。

ネット上のアカウントを持つのと違うのは、その人が勝手に成長してくれること、新しい世界を見せてくれることである。
自分が思い描ける世界観でプロデュースした「理想の自分(アバター)」の外側へ連れて行ってくれる。
インフルエンサーは自分が一歩手が届かない新鮮な世界との出会いを、毎日のように自動で届けてくれるのだ。

その結果、身につけているものが手に取りたくなる。同じものを食べてみたくなる。仮想現実を追体験することで理想の自分に追いつくことができる。

マーケティングなどでいう、「ユーザーが本当に欲しいものは言語化できないし想像できていない」理論にも通じるところがあると考える。
インフルエンサーを追いかけていると、言語化できない痒い所に手が届くのだ。

自分が同感できるインフルエンサーを見つけることで別人格を獲得するに成功し、追体験で消費することにより少し追いついたような感覚を味わえる。

これは誰かになりきってIFの世界を擬似体験できるヴァーチャルリアリティーと同じではないか。

少し違うのは現実の自分にも変化があるということである。
つまり、3次元の世界で実利がある。

恋愛関係すらも発信してしまう

インフルエンサーと呼ばれる人には恋人関係すらも打ち明ける人は少なくない。
これに関しては以前から「彼女や彼氏と付き合ってますと発信する価値ってあるのだろうか?」とずっと疑問だった。芸能人では基本御法だし、メリットもない、アンチが湧くだけと思っていた。

今考えると納得できる。
インフルエンサーとは自分であるのだから、恋愛関係が見えることすらもプラスになり得るのである。自分が恋愛して嫌な気持ちになる人はいない。

むしろ擬似的な恋愛体験となるのだから、フォロワーとしてはイケテナイ奴とは付き合って欲しくはない。いけてる人と付き合っているのは価値にもなるから、そのような人と付き合っている時には公表してセルフイメージを上げていくのである。
(これによりカップルチャンネルが存在したり、彼氏彼女が投稿に登場することもあるのは、恋人をひた隠しにする芸能人との境界線でもあるのではないかと思っている。)

インフルエンサーとしてではなく、アイドル的なポジションで認識しているフォロワーが多い方だと炎上や人気下降に至るケースもあるのであろうが、恋愛関係まで公表する事により没入できる度合いは高まり、インフルエンサーとして他者に与える影響(購買を促す力)も高まるのであろう。

このように考えた理由

ここまでの思考に至ったのは、自分の体験によるものである。
最近ある人の肌ケアに感化されたり、別の人のファッション理論に感化されたりで現実世界の自分が変わってきている。少しだけ理想の自分に近づいた。

(そもそも人は自分の体験の内側でしかモノを語れないのだなと実感しました。)

最後に:インフルエンサーの視点での考察も交えて

逆の側面(インフルエンサー側)から見ると、稼ぐ手段として利用している人、承認欲求を満たしているだけの人、芸能界デビューするための手段と考える人、かっこいい人可愛い人と繋がるナンパツールにしている人もいるのだろう。
まあ、それは新たな職業が新たな経済活動を生んでいるということで勝手に納得した。
それに消費者にとって価値があるとすれば、それは付加価値であり、存在意義がある。
美味しいりんごであれば、生産者が自己顕示欲を求めてリンゴを作っていても商品自体には価値がある。

発信者の行動源泉まで言及するのはナンセンスだし、そもそも受け手側自身も”可愛くなってチヤホヤされたい”とか、”おしゃれな自分で注目されたい”など、自己顕示や自己実現の欲求に素直であるからこそインフルエンサーに惹かれるのである。

現時点で自分が考える、本質的なインフルエンサーとは、
”フォロワーを魅了し追体験を提供することで、その方々の現実生活の質を引き上げる存在”である。

人気があるかないかは関係ない。一人一人によって理想など違う。
ユニークであることが価値であり、弱みすらも共感のタネである。
このインフルエンサーと呼ばれる存在が世の中に増えることは、もう止められないだろう。



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