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共に歩む小道。そして仲間。

最近、私は「カタカナ言葉」をちょっと、多用しがちだ。
エンゲージメント、イノベーション、コンセンサス、、他にも色々。
その言葉たちに、なにか私の想いや背景が詰まっている訳ではなく、面接とかでなんとなく使いやすいから、使う。
そして、たまに思う。
私もアナタも、なんか、マネキンぽいなー、と。
色のない言葉で作られているように感じちゃう。

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株式会社Compath
コンパスの「人生の岐路のお供」という響きに、
com(共に)path(歩む小道)という語意を。

Compath。コンパス。
改めて社名を聞いたとき、ちょっと、どきっとしてしまった。
色が見える言葉に、久々に出会った気がして。
設立者のお二人の色がのった、想いがこもった、素敵な言葉。社名。
これから、たくさんの人の色が重なっていくのだろうな。
そんなことを思っていると、なんだか心の奥がじんわり温かくなる。

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はじまりの場

6月6日、株式会社compathの設立パーティ(@ZOOM)にお誘いいただき、参加してきた。

笑顔とあたたかさに包まれた、驚くくらいあっという間の3時間。
少しだけ、この会に参加しての私の気持ち、心の動きを書きたいと思う。


複数の尺度をもつ豊かさ

キャプチャ2

私はここ数ヶ月、就活なるものをしている。
そこで感じるほんの少しの違和感が、今日、少しわかった気がした。
一元的な価値、尺度への違和感。だったんだと、思う。

たとえば、「成長」という言葉の一元性
就活頻発ワードランキング1位と言ってもいいだろう「成長」。経営者も社員の方も、就活生も、みんな成長という言葉を本当によく使う。
成長環境。どういう風に成長していきたいか。成長意欲はあるのか。

成長という言葉の概念さえあやふやな中で、疑いなく使われたり、
「あなたにとって「成長」とはなんですか?」という質問が、何かちょっと高尚な質問として扱われたり。
でも、それらの質問や答えのほとんど全てが、「市場の中でのスキル的・視座感的成長」「企業の中での昇進・昇格面での成長」「競争社会における成長」といった一元的なものに帰着していく。
私が、「何か市場で活きるスキルをつけるときはその過程もこだわりたい」「心に余白を持って生きていたい」「目の前にある仕事がどのような意味を持つのか、常に自分の心に問いかけていたい」そんな類の話をすると、やる気がないと見放されるか、「もったいない」と言われる。「あなたは圧倒的成長ができるポテンシャルを持っているのに、全てのリソースを仕事に費やさないなんてもったいない」みたいな。(とても恐れ多いし有難いのだけど)でも、その”圧倒的成長”は、市場の中でのことであり、”もったいない”というのも、その尺度でのことなんだろうなあ、なんて、へりくつに考えたりしてしまう。

幼い頃は、絵が描ける、スポーツができる、野菜づくりが得意である、傷ついた友人を慰めることができる。そんな、人をみる尺度が身近に多様にあったはずなのに、なぜ社会人として市場に放たれた瞬間に、こんなにも一元的になるのだろう。人生における「市場の中での成長」「市場の中での価値」の色が濃すぎる気がして、人の価値をそれらで測るような考えさえまかり通っていて、なんだか、もやもやしていた。(勿論、「民間企業」の説明会や面接が前提だからというのもあると思うけど)
お金を生み出せるか否かが、その人の価値を決めるなんてことはないはずだし、そもそも同じ「仕事」でも、1次産業、2次産業、3次産業で仕事ができる人か否かの尺度なんて全然違うはずで。。

少なくても私は、たくさんの生き方のかっこよさの尺度をデンマークで見てきたからこそ、自分の「スキル」が全寮制生活で全く通用しないショックを受けたからこそ、どう生きるか、といった本質的な部分を問い続けるタフさと仕事をこなしていくタフさの尺度が違うことを感じたからこそ、たったひとつの尺度で人や自分を判断し価値づけをしたり、驕ったり、落ちこんだりしたくないと思っている。今回会に参加する中で、この考えを持っていて良いんだ、と改めて思えてとても安心したし、前に進む勇気が出た。
複数の尺度を持って生きていけたら、ある特定の尺度に測られ続ける環境から少し立ち止まって余白を持てたら、きっと、見える世界はもっと彩られると思う。私はそんな世界を自分の目で見ていたいし、その世界をたくさんの人と共に見ていたい、と、社会人の方が抱いた学びや気づきを聞いて、お話を聞きながらフォルケの生活を思い出して、改めて思った。

そしてもちろん、色んな尺度を知るということは、自分の固定概念や思考の枠組み、箱を知るということであり、そこが、全ての一歩目なんだ。と、お二人と、ゲストの方のお話から信じられた。

変わるということ、揺れ動くということ。

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周知のとおり、世界はすさまじいスピードで動いていく。
VUCAなんて言われる時代。様々な問題も複雑に絡まり合っている。予測困難なことが次々と起こる中で、自分という確固たるものや意見がないと、不安になってしまったりする。それなのに、いつだって自分というものは、よくわからないし、自分の意見を持つことさえ放棄したくなることもあったりするかもしれない。(というか、私もそう)

でも、自分の思考を停止させてしまったら、あとは、固まっていくだけ、箱に閉じこもっていくだけな気がしていて。
そしてまた、自分という存在の一貫性やアイデンティティに執着し続けるのも(自分らしくあらねばと思って、他者との関わりを絶つ、みたいなこと)、それはそれで、ある種の枠組みに閉じこもっていくだけな気がしている。

何かに出会い、思考している限り、自分という存在は人との関わりの中で少なからず変わっていく、と私は思っている。私は、「箱」や「枠組み」の中で好き勝手やることやジブンラシクあることが「自由」なのではなくて、その箱を出てみたり、箱を問いなおしたり、また改めて「箱」を作ってみたり、そしてその箱に閉じこもりそうになったら、また問い直して解きほぐしてみたり、その揺れ動きこそが、「自由」だって思っている。
それで、この揺れ動きは、他者との出会い、経験、対話なしにはあり得ないと思っていて。だから、私は「自由」であるために、この「自由」を楽しむために、他者と積極的に関わること、社会と関わること、(フレイレの言葉を借りるなら「社会との関わりを積極的に受け入れる」こと)、そして自分自身の変化を恐れないこと、それを受け止めていくこと。その揺れ動きを、タフだけど楽しんで生きていたいなあって思っている。

私が、フォルケや、おふたりの作る学校にとても魅力を感じるのは、だからこそ。自分ひとりではなく、人と共に立ち止まる価値が、ここにあると思う。箱を知ったり、色んな尺度を知るために、共同生活をし対話をし、自分の人生の中に色んな景色や人が編み込まれていく。そして同じように、他の人の中に「わたし」が編み込まれていく。その、何とも言えない歓びが、このような学びの場で得られると信じている。

さいごに

本当は、もっっっっとキーとなるお話や考え方、心を動かされた瞬間があったのだけど、書き切れないのでこのあたりで、、!><

”Compath設立パーティ”という3時間の場、設立者のお二人をハブに、共に歩む仲間が集まっている場が、私はとても好きだった。たくさんの人が、お二人がこれまで抱えてきた様々な想い・葛藤を飾らずに話す姿を仲間として誇りに思っていることを伝えてくれて(@breakout)、そこに溢れる愛情?信頼?に心が温かくなった。
私も、お二人がこれまで本気で考え抜いたからこそ抱いたと思われる問いと、その感性を、シェアして分かち合ってもらえたことに、とても嬉しくなった。

これから私も、お二人が目指す社会に向けて、関わり方のグラデーションはあれど、皆さんと共に歩んでいけたら嬉しいと思ったし、その仲間であれたら、とても幸せだなと思っている。

そんな素敵なお二人とCompath。私の言葉じゃ魅力は語り切れないので、是非お二人のnoteものぞいてみてもらい、一緒にお話できると嬉しいです。

ではでは、皆さんお互い体調には気をつけましょう~!