小さくて凶暴な拳

「うーん、困ったね」
「どうしたんですか、先生」
「人間の世界でいう『良い子』の作り方を調べているんだけど、なかなかうまくいかないんだよ」
「良い子?」
「『相手に暴力暴言をすることなく、他の個体を思いやることが出来る個体』と言ったほうが分かりやすかったかな?」
「なるほど、そういうことですか」
「この個体にとって暴力暴言に結びつくようなものは取り除いたはずなんだけどなぁ。無気力な個体か、周りに無関心な個体ばかり増えていっちゃうんだよね。困った困った」

「先生」
「ん?」
「この個体の親が見当たりませんけど」
「あぁそのことか。実はその個体のプロトタイプが凄く荒れていてね。もしかしたら原因が親にあるんじゃないかと思ってさ、別のところに隔離してたんだよね」
「親が凶暴ということですか?」
「そういうわけではないんだけどね」

「君はこの個体が荒れる理由はなんだと思う?」
「不満があるからとかじゃないですか?」
「確かにそれもあるね。他には?」
「他、ですか? 元々そういう性質を持った個体とか?」
「まあそれもないわけではないかな。他には?」
「他は、思いつかないです」
「凶暴に見えるのは、『怒り』の強さが目に見えて大きいからだ。では、『怒り』という感情はどこから生まれるのだろう。そう思って調べたことがある。そしたら面白いことに、人間の怒りというのは複数の感情が合わさり、その人間が元々持つ感情の容量を超えた時に現れる感情らしいんだ。こんな面白い現象、今まで僕は見たことがないよ」
「感情の容量?」
「そうだな。ここに入れ物があるだろう。これに水を入れる。この水こそが感情。この感情が入れ物から溢れた時、怒りというものが他者の目にも見えるようになる」
「この水、もとい感情はなんですか?」
「悲しみ、恐怖、不安、イライラ、他にも色々。負の感情が多いかな」
「人間からこれらの感情を取り除いたら幸せになりますかね」
「ははは、それはどうだろうね」

「あともう一つ。感情が裏返ることがあるって知ってるかい?」
「いえ、知りません」
「この個体は親と呼ばれる個体が大好きだったんだ。尊敬もしているし、信用もしている。子と呼ばれる個体というのは、親は自分のことは何でも分かってくれていると思い込んでいる。うーん、同一視ってやつかな?」
「なんとなくですけど分かります」
「しかし、親と子は別個体であり、同じではない。全てが分かるわけないんだ」
「まあそれはそうですね」
「親はこの個体を叱る。世間体を気にしたからかもしれないし、相手を傷付ける子になってほしくないという願望からだったのかもしれない。しかし、叱ったところで何も変わらなかった。後から知ったんだけど、この個体が暴力を振ったのは好意を抱く者に拒絶されたからみたいなんだ」

「この個体は暴力がいけないことは分かっていたらしく、自分のしたことにたいしてかなり罪悪感を持っていたと報告されているんだ。いけないと分かっていも抑えきれなくなるほどの感情。僕達には想像できないよ」

「この個体が親に求めていたのは安心感と慰めだったのではないかと言われていてさ、叱咤とは全く真逆で驚いちゃったよ」
「ならばそうしてほしいと伝えればよかったのでは?」
「伝えなくても伝わると思っていたんじゃないかな。もしくは伝えるための能力や技術が足りなかったかもしれないね」

「好きな気持ちも、尊敬も、信用はちょっとしたことで裏返る。その感情は好意が高ければ高いほど大きなものになる。小さな感情の器では受け止めきれないだろうね」
「先生は、感情が裏返ることを避けるために敢えて離したんですね」
「そういうこと。でも上手くいかないんだよ。何故だろう」

「なんというか不器用ですね」
「感情を複数持てて、それらを組み合わせたり激化させたり沈下させたり出来るという点は純粋に凄いと思うんだけどね。僕達には絶対に出来ないことだからさ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?