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教科の授業でデジタル・シティズンシップに取り組みたい理由

Google for Education認定トレーナー&コーチの笠原です。

先日、昨年度、日本私学教育研究所の紀要が公開になりました。

昨年度、一年委託研究員として取り組んできた内容をまとめた文章が上記の紀要には掲載されています。紙面が限られているので本当に概要しか説明できていないのですが…。

自分が昨年度一年間で行ってきたことは、簡単に言えば、「国語科の授業でデジタル・シティズンシップ教育を実践できないか」ということです。

内閣府の「Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」の中で教科の中でデジタル・シティズンシップの推進については言及されていますが、現行の教育課程では当然ながらその観点はありません。

とはいえ、一人一台端末の時代が始まってしまった以上、デジタル・シティズンシップの育成は必ず必要になります。

現状の実践だと「探究学習」や「特別活動」としてデジタル・シティズンシップの取り組みは多く行われている印象です。そのような中であえて自分が教科の授業での取り組みにこだわっている理由を紹介します。

継続と反復

教科の授業での取り組みが必要な理由として一番感じていることは「継続と反復」のためには、子どもたちが圧倒的に時間を割いている教科の授業で取り組むことが必要だと考えるからです。

例えば、Common Sense Educationのレッスンプランでは、6つの領域を各学年ごとに螺旋的に学んでいく形になりますが、このレッスンプランでカバーしている範囲をしっかりと取り組もうと考えると、探究学習や特別活動だけでは時間が足りません。

教科の授業の中でデジタル・シティズンシップに関することに取り組むことができれば、日々の生活で直面する問題について定期的に考えていくことができるチャンスが増えると考えます。

教科の授業としての真正性

デジタル・シティズンシップ教育で扱う題材は、実際に子どもたちが直面するジレンマです。だからこそ、国語科の授業に関して言えば、授業で真剣に話したり書いたりする題材になりうる、オーセンティックな課題であると感じています。

今の教育に関するルールでは、教科の授業では、学習指導要領で示されている教科の内容を保証する必要があります。もちろん、学習指導要領自体の文言は非常に解釈の幅が広く取れるものとなっているので厳しい縛りでは在りませんが、いくら「よい教育だ」と思えることがあっても教科で教えるべき内容であると言える理路がなければ、教科の授業でやることには問題があります。

その点を踏まえたとしても、デジタル・シティズンシップの授業は、(少なくとも国語科では)教科の内容を保証するための題材として、真正性が高く取り組む意味があると言えると自分は考えます。

取り組みが広がれば

デジタル・シティズンシップの取り組みをやってみて思うこととしては、取り組む回数が増えるほどに、子どもたちが主体的に考えられるようになるということです。

特別活動だけでやるよりも教科の授業で、一教科の授業でやるよりも複数の教科で、そういう広がりが増えていけば、よい連携の効果が生まれるように感じています。

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