あの日の、よふかしのこと。

とある年、仕事を辞めた。


デザイナーになりたかった。

高校も大学も芸術へ進んだ。

しかし大学側にはデザインもさせてあげる、と言われたにも関わらずそんな時間は与えられず、親に一生分のごめんなさいをして中退した。これが挫折でこれが転機にもなった。

フリーターになり、友達のバンドや自主イベントで創作をしながら知識を蓄えさせてもらい、武器にした。

そしてもうひとつの夢だった、服屋、という商いごとに絡めて夢を一気に叶え、しがないながらWEBデザイナーという肩書きの職業になる。

しかし、いつぞやその流行の潮流や企業ブランドの方針に追いつけなくなり、その時にやれる事はやりきった気になってしまった。


自分が誰よりも鉄砲玉気質な事は幼い頃から理解している。

「したい事をしないと」気が済まない。

天職だと言ってくれた社長には涙され役職もいただき、有難いことに引き止めにもあったが、年齢的にも冒険がしたかった。デザイナーながらテキストでの評価が高かったため、文章が書きたかった。広告関係の会社への転職を考えた。

ただそれだけ。

後先考えなければその後、体たらくを数ヶ月過ごすことになるよ、とあの時の私に教えてあげたい。


退職し、実家に戻れば、ダラダラと求人サイトを見て寝る。

そうなればいよいよお金がつきそうになり、スナックなのか音楽バーか得体の知れない夜の店でバイトをし、深夜に帰宅し昼に起きる。そんなテンプレのような毎日を過ごす。

それも3ヶ月かかろうかというときに、ようやく焦りを感じ始めた。面接に行くも上手くいかず、眠れない日々が続く。

とある日、某動画サイトであらぬコンテンツに出会った。

【オードリーのオールナイトニッポン】

ハッキリ言うと、私は若林氏の顔ファンだった。

生粋の上方生まれの私は、東の漫才で笑った事がほとんどなかった。

学生時分はライブハウスに通い、ほぼテレビを見ていなかった。字幕の出る番組も、ボールを測る番組もいけ好かなくて、いつのまにか大きな大会には興味がなくなっていた。

大阪住まい特有女子のあるあるで劇場に通っていた時期もあったが、アイドル扱いされていた芸人さんより、早々な年齢でニッチな方々に嗜好を変えた。よってオードリーのネタもほとんど見た事がなかった。


そんな頃合い、2010年ぐらいなのだろうか。

たまたま見ていた番組でファミレスのメニューを食べまくる企画で逃げたけど電車を逃し戻ってきた若林氏を見て、顔ファン(クソ女ファン)になった。

今思えばそれがなんらかの伏線だったのかもしれない。知らんけど。ただ黒縁メガネ姿が刺さっただけなのだ。


そんな事もあったなとアプリの再生ボタンを押し、そういえば、とまた思い出す。

私は小学生から生粋のラジオっ子だった。阪神大震災から防災用に購入されたデジタルのラジオという代物を手に入れ、AMの深夜ラジオでいらぬ単語を覚え、FMで背伸びした音楽を聴きながら勉強をしていた。

だから動画でなく耳を澄まして楽しむのは得意。

いざ再生を始めると自分の成長過程において植え付けられた感覚を思い出すと共に、今よりはるかに尖りに尖っていた若林氏のトーク、はたまたテレビでのあの印象しかなかった春日氏のふらっふらのトーク、そして馬鹿みたいなコーナー。曲はかけないスタイル。

一瞬で落ちた。リトルトゥース(リスナーの呼称)になった。

過去数年分、神回と検索しては聴取し、久々に涙が出るほど笑った。

そしてまたオードリーの内輪ネタという、人生において決して覚えなくてもいい単語を再び覚え始める。いわゆる登場人物、今やオードリーANN内で古典落語と言われるエピソードトークの数々。


その生き方、考え方、話し方

全てがリアルだった。テレビで見るそれとは違う、迷える深夜に寄りそっていてくれる。ただそれだけのことなのに。

「救われた」という言葉は非常におこがましいが、確実にそばにあってくれた。

つまらない無職生活に、過去のANNをひたすら追いかける。いつのまにかそれがルーティン化したある夜に、ふと鉄砲玉娘は思いつくことになった。


メディアの仕事がしたい、と。


芸能人に会えるから、などいったミーハーな考えは1mmもなかった。ただ、どこかの片隅に自分の関わる創作を置いておきたかったのだ。それが事務でも経理でもなんでもいい。

すぐに脳内をフルに奮い立たせ、求人サイトでかたっぱしから検索して応募した。アドレナリンが出まくり、あの夜は眠れなかった。ハッキリとあの感覚を思い出せる。


あれから数年。

本気で人を楽しませるという現場で闘う人を陰ながら沢山見てきた。

メディアの現場は大層勉強になる。もっと若ければ極めたかったと思ったことも山ほど。やり甲斐を感じたし、やり残しすらある。

今でもエンタメの類を鑑賞するたび、その興行に関わる全ての人へ感謝の気持ちを持つ。


誰か1人でも楽しんでもらえたら、

私もこの気持ちを忘れずに誰かに届けたい。

かくゆう現在の私は服屋でWEBデザイナーの仕事をしている。

ちなみに元サヤ職に戻ったのはまた別の感情が突き動かした事であるがこれもまたメディアに関わっていた時に思い立ったことであり、全くの無関係ではない。ネガティブな感情でもない。


よふかしすることに出会ったあの日から。

時にバカバカしく、時に感情をMAXにし、そんな歳の重ね方も悪くないなと思わせてくれる。

あいも変わらず、毎週土曜の夜を待ちわびている。


ちなみに、冒頭に書いたクソ女ファンだったのはあながち間違いではなかったと実は今も思っている。


というのも、あの時に逃げた若林氏に「つらかったら逃げてもいい」と言われていた気がした。芸人として最悪だったのかもしれないが、そんなものは視聴者の受け取りようであるので、都合よく肯定的に捉えている。

そんな彼がこの本を出した時、正直さみしかった。

もがいてあがいて、それが治った完結編。

しかしながら現在の彼は深夜の原宿をチャリで走り代々木公園でよなよなバスケに勤しんでいるとのことで、ナナメの角度がかわっただけなのでは。。。ますます楽しみにしてしまうのが、悪いリトルトゥースである。


ちなみにオードリーだけでなく、今はたくさんのラジオを聴いている。パーソナリティのみならず、職人も命を燃やす。沢山の生き様が垣間見えて面白い。

他力本願ではあるが、つまらなくなってきた最近の日々の中で、また誰かが自分の人生に刺激を与えてくれるのではないのだろうかと期待している。

そして自分の鉄砲玉気質に荒らされるだろう。わかってる。そんな人生はまだまだ続く。たぶんきっと。

そんな日常を語彙力もないくせにつらつら綴りたいと、note始めてみました。noteなんてもったいない、チラシの裏使いでいいんですけど。ごめんなさい。

なんとなく、どうぞよろしくお願いします。

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