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ドリー・ベルを覚えているかい?

こんばんは。
下書きがあんなに溜まっているのに早めにアウトプットしようとおもいます。

映画フリークの友人R氏と一緒に映画朝活をしてまいりました。
観た映画はエミール・クストリッツァ監督『ドリー・ベルを覚えているかい?』です。
アップリンク京都にて。

R氏「あなたユーゴスラビア好きだよね?」
わし「うん!論文書いたしね!」(※卒論ユーゴスラビア紛争関連)
R氏「今度ユーゴスラビアの映画やるらしいけど行く?」
わし「行く」

即決。
というわけで先日行ってまいりました。

ほんとは『アンダーグラウンド』も観たかったんですけど日程都合が合わず・・・
『ドリー・ベルを覚えているかい?』になりました。
あらすじは以下の通り。

サラエボで家族と暮らす少年ディーノ。生活は苦しいのに共産主義を信奉する父親は、酔っぱらっては子どもたち相手に政治談議を繰り返し、日々のやりくりに疲れた母親は、そんな夫にいつもあきれ顔。父の話に興味がないディーノは、夜な夜な離れの小屋にある自室にこもって、ウサギのペロを相手に催眠術の特訓をしていた。さらには地域の若者たちでバンドを組むことになり、その練習も始まった。そんなある日、外国映画に登場するドリー・ベルという名のストリッパーに心を奪われたディーノは、町のごろつきのシントルから見知らぬ女を匿ってほしいと頼まれるが、彼女の名はなんとドリー・ベルというのだった。一つ屋根の下で暮らすことになったふたりは、いつしかひかれ合うようになるが……。

https://eiga.com/movie/100423/

舞台は現ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都で、まだユーゴスラビアの1都市だった頃のサラエヴォ。
この映画が公開されたのはチトー大統領が亡くなってから1年後ですが、作中の文化の自由度の高さから見て、映画の設定はチトー存命中の話だと私は考えています。

この映画のポイントは、このストーリーが少年ディーノのひと夏の物語であること。
誰の思春期にも起こりうる「イベント」というか「事柄」を夏休みという思春期の少年少女たちが1年のうちで自由に過ごす(これも言い方ですね、難しい)期間の中でうまく表現し、それぞれがばらつくことなく作品を構成しています。
その事柄やイベントとは、まず「趣味」をつくり没頭すること。これが地域の若者たちでバンドを結成する。サラエヴォの地を音楽で活性化させることを目的として作られたバンド。そしてうさぎ相手に催眠術を仲間内で練習すること。
次に「恋愛」。「ドリー・ベル」に出会うことで、ディーノは「女」を知ります。それは童貞を卒業することだけではなくて、男同士の競争に負けて別れを味わうまでの一貫の流れで、「女」という生き物を知り、自分の無力さを知ります。
そして親との関係。あらすじの中の父親は、家族会議では次男のディーノをクソクソ言いながらも次男にとって一番の理解者になります。そして父親にとっても次男が一番の理解者になります。作中で父親は持病で入院するのですが、死期を悟っているのかいないのか、ディーノに催眠術をやめろ、恋に邁進しろ、と父親なりの言葉で殻にこもるのではなく外にでることを促します。

この事柄はそれぞれディーノが「自己と向き合う事」につながっていきます。うさぎのペロを相手に催眠術の練習をするディーノは、仲間内で「日々あらゆる面で、少しずつ向上を」と呟きながら日々を進んでいきます。それは自己暗示のようで、実は自己に向き合う行為になってゆきます。
恋を知り、恋に負け、自分の非力さを痛感しながら少年は大人になっていく。

人生のちょっとしたタイミングで自問自答とかするんでしょうね、ディーノは、「ドリー・ベルを覚えているかい?」と、初心を思い出すような感覚で。

『ドリー・ベルを覚えているかい?』はクストリッツァ監督の幻のデビュー作なんだとか。それにしてはかなりエモい映画ですね。
少年ディーノの不良性がよく物語に活きていると思います。

話は変わりまして、作中に出てくる父親役の演技がとてもすきでした!
社会主義ではなく、共産主義にあこがれ続け、その終焉も何となく悟っている、ユーゴ人らしい男。
その男が見せる父親の一面の表情がとてもよかったです・・・観る方はそのあたりも注目して観ていただきたい。

2024年初映画in映画館、よいスタートです。

日々 あらゆる面で
少しずつ 向上を


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