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認知行動療法は私には合わなかった話

私が以前通っていた精神科の病院では、診察とカウンセリングのほかに、デイケアというのがありました。内容は、希望した患者が教室のようなところに集まって、心理学の授業を受けるというものです。

色んな心理的アプローチを学んで自分に合うものを見つけて実践したり、他の患者と感想を言い合うことで人とのコミュニケーションを練習することができます。私はここに一年ほど通っていました。

フロイトの無意識の話から、アダルトチルドレン、機能不全家族、認知行動療法、マインドフルネス、フレーミング、ヨガ、リフレクソロジー、カラーセラピー、引き寄せに至るまで、一通りのことを学べてとても勉強になりました。

その中で、認知行動療法を学んだとき、とても面白いけど、私には合わないなと思いました。今日はその話です。認知行動療法については、いろんな心理学の方がわかりやすく解説してるので、詳しくはそちらを見てもらえたらと思います。


例えば、職場で怒っている人がいて、「私のせいかもしれない」と思ったとき、認知行動療法ではそれを認知の歪みとして「他に嫌なことがあって機嫌が悪いだけかもしれない」「大きな声を出しただけで怒ってないかもしれない」と、他の可能性もあると考えるように促します。

このとき、私はかなりひねくれているので、

「確かにあの人の機嫌が悪いだけかもしれない。でも、私に怒っている可能性も同じだけある。事実、あの人の機嫌が悪かっただけだとすると、じゃあ勝手な解釈で私が傷ついたことは、間違いであり無駄だったのか?」

と考えてしまうんです。

この考えについて、また認知行動療法を使って「いや、私が傷つくことは間違っていないという可能性もある…」とやってるとエンドレスになってしまいます。

だから、私には合わないなと思いました。

それよりは、「私に対して怒っている」という考えを認めて、「私のことであんなに怒ってて、嫌だね、めっちゃ怖いね、苦しいね。あー怖いのやだねー。」と自分の気持ちに寄り添って味方になってあげるほうが私には合ってました。幸い、私のカウンセラーさんもそのように接してくれました。

自分が自分の味方になると、結果的に「あの人が私のことで怒ってても私は私の味方だから大丈夫」と怖がってた自分が安心します。そして安心すると、真相はどうでも良くなるんです。

「あの人が機嫌悪いとしても、私に怒っているんだとしても、それはあの人の問題で、私の価値は変わらない。私は私の仕事をやるだけだ」というふうに、自然と認知の幅が広がる感じです。

これは、その病院で言われている「自分関係を良くする」ということなんですが、「最初に感じた自分の考えを否定しない」という意味で近いやり方では、論理療法というものがあるそうです。

論理療法については最近こちらの記事で知りました。

もちろん、これは専門家でもなんでもない私個人の感想であり、認知行動療法が間違っているわけではありません。世の中には色んな心理学的アプローチがあるので、自分に合うものに出会えるのが一番かなと思います。


【追記 2023/3/16】
うまくいきそうな方法を思いついたのでメモ。

「確かにあの人の機嫌が悪いだけかもしれない。でも、私に怒っている可能性も同じだけある。事実、あの人の機嫌が悪かっただけだとすると、じゃあ勝手な解釈で私が傷ついたことは、間違いであり無駄だったのか?」

と、私のようにぐるぐる考えてしまう場合、真実がどれかではなく、どれだったら嬉しいか?と考えるといいかもしれない。ただし、不安なときはどれを考えても不安なので、やはりまずは、不安な自分を受け止め、気持ちが落ち着いてから考えを広げていくのがいいと思う。