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バスを待ちながら


 駅前のバスターミナルには、ちょうど影になって大通りから見えにくい階段があった。私たちはいつもその真ん中あたりに座って、からだを寄せて手をつなぎ、帰りのバスを何本も見送っていたね。きみがこの街を出る一年後も、私が出る二年後も想像しないまま、今夜手を離さなければならない瞬間を恐れて、ただひたすら、お互いのことを考え続けた。

 デリケートな私たちは翌年の同じ季節にお別れした。
 大人になる前の恥ずかしい姿だけを晒して。

 今になっても時々、インターネットの検索サイトやSNSに、きみの名前を打ちこんでみるけれど、どこにだって出てこない。仮に見つけたとしても、それは大人になったきみであって、わかっているけどまるきりの別人だ。学生のときに書きためた詩集を夜中に引っ張り出して、あの頃の気持ちに浸ってみたいのに、いくら声に出して読んでもうまくいかないのは、私が大人になりすぎたからだ。

 愛情をもてはやせるときがよかったね。
 それだけで生きている時代は平和だった。

 一人になることが死ぬほど怖かったのに、一人でコーヒーを飲んでいるときが一番落ち着くようになったのは、あのときの私には多分理解しきれない。バスを待ちながらきみと一緒に聞いたバンドのアルバムをiTunesは今もなお何遍も流してくれる。帰省した街を歩いて、あのバスターミナルの階段を見るたび、時々、ばったり会わないかと思うんだけど、そんなことはマンガじゃないから起こりえないね。

 きみの今の人生が、せめて私と同じだけ幸福だったら。



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