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卒業論文をLGBTにした理由

この3月で無事に大学を卒業できそうなのですが、この1年間がっつり取り組んできた卒論について言葉として残しておきたかったので、noteで独り言としてつぶやきます。

専攻について

まず、私は文系学部の中でも知名度の低い「文化人類学」という分野を専攻しています。ざっくり言うと「自分とは異なる文化(コミュニティ)の中に入って、その文化を深く理解する」学問です。「よくわからん!」となるかもしれませんが、人間が営む文化なら基本的に何でも調査対象になるという、非常に懐の深い分野です。文献調査を土台にフィールドワークを行い、そこで出会う人々と関係を築きながら聞き取り調査を行います。

もともとこのゼミを選んだのは、正直なところ「やりたい勉強が定まっていないから」でした。私の学部にはいろんなゼミがあって、歴史や文学にも興味があったのですが、「4年生になるまでその興味が続いているのかな?」という不安がありました。そのため「卒論は何やっても大丈夫!」という(ちょっと怪しげな?笑)先輩の声に後押しされたのでした。


マイノリティについて学びたい

卒論のテーマは「セクシュアルマイノリティ」にしよう!と去年の3月頃に決めました。

表向きの理由としては、「差別や偏見をなくしたいから」。

うわあ、偽善っぽい…。

でもそれも偽らざる本心ではあります。大学で勉強していろんな経験を通じて、「偏見なんて持ってないよ」と思っていた自分にもそういう気持ちがあるということに気づきました。でも大枠のイメージではなく個人の経験を知ることができれば、自分とは違うと思えるものに対してもっと理解が深まるのではないか、と思ったのです。

でも、一番の動機は別にありました。

もしかしたら、私もセクマイかもしれない

教授にも、他のゼミ生にも、もちろん親にも言えなかったけれど、それを確かめたかったのが一番の理由でした。


「アセクシュアル」との出会い

アセクシュアル、あるいはAセクシュアルという言葉を聞いたことがある、という人はいるでしょうか?

これは「他者に性的欲求を抱かない人」を指すセクシュアリティで、性的マイノリティに含まれるものです。

私がこの言葉を知ったのは、大学3年生の春でした。恋愛関係に悩んでいた時期で、「こんなふうに感じる自分はおかしいのではないか」と思い、ネットでいろいろ情報をあさっていました。そこで初めて「アセクシュアル」という言葉や「セクシュアルマイノリティ」について知りました。

同じように感じる人たちがいる、自分は別に変でもおかしいわけでもない。

その情報に行き着いた時に涙が出るくらい、ほっとしました。

それから1年経って、せっかくやるなら自分が今一番興味のあることを勉強したい、将来のことを考えたい。そう思って、卒論に取り組み始めました。


挫折、失敗、行き詰まり…

本格的に取り組み始めたのは夏休み頃でしたが、まず方向性を決めることに苦労しました。

「LGBT」といっても何に軸を置くのかによって、読まなければいけない文献も、調査の方向性も変わってきてしまいます。私は、セクマイも他の人と変わらない、特別視するようなことじゃない、と伝えることで、読んだ人にもっと身近に感じてほしいと思っていたものの、それを伝えるためにはどうすればいいのだろう、とかなり悩みました。

そして性的マイノリティの概念や歴史、これまでに起こった事件、裁判、運動など、知らなければいけないことが多すぎて、何が何やら訳分からん!と軽くパニックになりました。原稿を執筆する中でだんだんと理解できるようになったものの、どのトピックを入れ、どれを外すのか、ということを考えるのも大変でした。

秋からは原稿執筆の報告をしていきましたが、先生からは「テーマを何に絞っているのか伝わらない」とか「これじゃあ卒論にならない」とか言われて、正直心が折れそうでした(泣)

でも、一番大変だったのは調査に協力してくれる人を探すことでした。当初の予定では、セクマイサークルなどでお手伝いさせてもらって信用を得てから、その中で協力してくれる人を探そうと思っていました。しかし、新型コロナウイルスの影響もあり、イベントもほとんど開催されず、コミュニティに入るということができませんでした。

そのためいろんな団体に、こういう研究目的でこういう話を聞かせてほしい、といったことをメールにしてとにかく投げ込みました。数撃ちゃ当たる作戦です。

しかしこれがなかなか難しい。

セクシュアリティは本当にプライベートなことで、よくわからない大学生からメールが来ても、なかなか信用してもらえないですよね。調査依頼書とかも作ったんですけど、半分くらいは返信もなかったです。相手の立場になれば仕方ないことではあるんですが、これがけっこう辛かったです。

その中で5人もの方に協力してもらえたことは本当に感謝してもしきれません。2、3回インタビューをさせていただきましたし、メールでのやり取りもあったので、けっこうな負担だったと思います。本当に本当にありがとうございました!


初めてのイベント参加

冬になってから、人生で初めてセクマイが集まる交流会に参加しました。インタビューに協力してくれた方の団体のイベントで、調査のお礼も兼ねて、当日のお手伝いをさせていただきました。正直大したことはできなかったのですが、スタッフの方が喜んでくださって本当に嬉しかったです。

また当事者の方にたくさん会えたことも嬉しい経験でした。そのうちの一人とは同年代ということもあって仲良くなれて、その後連絡を取り合っています。

卒論を通じてこういった縁ができるというのは、大学生活で忘れられない思い出になりそうです。


卒論がんばってよかった!

正直、このテーマにしたことを後悔した時もあったし、上手くいかないことのほうが多かったのですが、結果的にはやってよかったなと思います。

本は20冊近く読んだと思うし、インタビューするのも原稿にするのも、考察するのも本当に大変だったし、最終的に結構なページ数になっていたし、そこそこ自分を褒めていいような気がします。

先生方には、まだまだ足りないところがあるということはしっかり指摘されましたが、一応評価はしてもらえそうです。

先生に言われて一番嬉しかったのは、「難しいテーマに果敢に取り組んだ」という言葉です。「果敢」なんて私から最も遠い言葉だと思っていたけど、諦めずに挑戦したことは誇りに思っていいのかなと、そう感じました。

LGBT関連の研究はけっこうやり尽くされている感じはあるので、目新しい考察なんてできなかったし、まだまだ理解が足りていないところもあると思うし、1年に満たない研究では物足りなさは否めません。学士論文なのだから、と目をつぶってもらっている部分もたぶんいっぱいあります。

そして、こんな論文書いて意味あるのかな、これってただの綺麗事だよな、とも思います。

それでも少しはセクマイの存在が身近に感じられるものにできたのではないかと思います。私の卒論ごときで社会を変えることなんてできないけれど、私の周りの人にはちゃんと伝えられたと思います。

どんなに立派なお題目でも、いつかは守れなくなる。だったらせめて守れるうちは守りたい。『本と鍵の季節』(米澤穂信)

この言葉を励みに1年間頑張れたことは、これからの人生できっと糧になるだろうと信じています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは(。・_・)ノ

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