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コーチングは誰のためのもの?

コーチングは誰のためのもの?
もしこんな質問があったとしたら、即答したい。

すべてクライアントのためのもの

そんなの当たり前だろ!と思われるかもしれないし、えーそうなの???と思う方もいるかもしれないけど、

コーチングはすべてクライアントのためのものだと、あえて断言したい。

そうでなければいけないし、そうあるようにコーチは己を自己管理しないといけない。急に何を言い出すかというと、実は今日コーチングを学び始めた時からの友人と電話でそんな話をする機会があったので、熱い思いをそのまま自分への戒めとしても書いてみたい。

そもそも、コーチングってどんなものかというと、

・コーチを鏡のように使って、自分のことを知る
・一人では見れない自分の奥底の感情に気づく
・〜ねば/〜すべきという、社会からの呪いのような言葉から己を解き放つ
・レッテルでわからなくなってしまった自分自身の願いを自分で知る
・褒めたり愛でたりできない自身をコーチと共に自ら抱きしめる
・目標を設定して自らを奮い立たせる
・傷ついた心を、自分の力で癒して立ち上がる
・やりたいと思いつつ、つい後回しにしてしまいがちな怠け心に打ち勝つ
・諦めていた本当の願いを思い出す
・嫌なことを言われて落ち込んでいる自分に火をつけて這い上がる
・正体不明な何かに押し潰されそうなとき、冷静にそれを見つめ直す

私自身がコーチもクライアントもしてきて、コーチングとはこんな時間だと思っている。

すべて主語は、「クライアントが〜」となるので、コーチングの時間、60分はすべて目の前にいる一人の「クライアント」のために存在する。

これをコーチは肝に銘じないといけない。

目の前のクライアントが社会的に地位のある人だったり、
これからクライアントになってくれるかもしれない人だったり、
尊敬してやまない憧れの人だったり、
会社で目上の立場だったり、若い部下だったり・・・

クライアントという立場以外に、他の立場・役割を持った人だったとしても、「プロのコーチとして」、華やかな洋服やバッグ、整った身なりは、引っ剥がして、みんな一律ユニクロのジーンズとカットソーを着せて、目の前にいる「〇〇さん」そのまんまを見る。

「〇〇さん」自身の願いや叶えたい夢や悩み、どうしていいかわからないもどかしさなどだけ見ないといけない。

ただ!
これはかなり難しくて、コーチは人間だ!ロボットでもAIでもないから、どうしてもキラキラな洋服や身につけている調度品を見ちゃう。そのまんまを見るには、鍛錬と訓練と、こうありたいと忘れず意識し続ける必要が大アリだ。

だって、嫌でしょ?

自分の話を聞いてもらうために、時間とお金を使って、コーチを雇って、今よりもっと成長したい、理想に近づきたい、楽に生きたいと願っているのに、その目の前にいるコーチが、

「この人、お金持ってんだろうな」
「今月1人クライアントさん卒業しちゃうから、もう一人ほしいな」
「この人と繋がっていたらいいことありそうだな」
「このクライアントさんから他の人を紹介してもらえそうだな」

とか思ってたら。

さすがにそこまで露骨じゃなくても、

「今日いいセッションだったなって思われたいな」
「また次も受けてもらえるように優しめでいこう」
「この人すごい人だな、いいコーチだなって思ってもらいたいな」

とか思ってるコーチ、嫌じゃん!

いやいや、私自身を見てよ!私の着てる服とか顔とか、お財布とか見なくていいから、私自身を見てよ!って思うでしょ。

今日コーチ仲間とじっくり話をする機会があって、話しながら、とても当たり前だけど、絶対に忘れちゃいけないねって話していた。

どんな状況でも、「コーチングの時間」は、目の前にいる「クライアントさん」ためのもの。その人そのものを見るもの。
たとえその人に、私を評価判断する役割があったとしても、
私をコーチにするか悩んでいる一面があったとしても、
相手が私よりずっと社会的立場が上の人でも、

それはそれとして、コーチングの関係においては横並びで、コーチはクライアントの自己実現のために全力を尽くすパートナーとして共にいたいね!

そんなことを再確認して、改めてコーチングの奥深さと、同じくコーチをしている方々への尊敬と敬愛を感じた一日だった。

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