見出し画像

もしピアカウンセラーという国家資格があったら

#精神保健福祉士  を志す方々へ

もし、 #ピアカウンセラー  という国家資格が今日の日本にあり、待遇は精神保健福祉士と同程度。内容はソーシャルワークではなく、当事者への仲間としてのカウンセリングがメインのお仕事があれば、精神保健福祉士ではなくそちらの資格を取りたい、と思う人はどれくらいいるでしょうか?

ピアカウンセラーの資格を取りたいよ!と思う方は、精神保健福祉士を目指すことを諦めるか、心理士を目指すか、それでも続けるのであればカウンセリング以前にソーシャルワーカーとしての技術をまず身につけてからにして下さい。

精神保健福祉士国家資格は、あらゆる国家資格の中でも比較的簡単に取れる資格です。通信制専門学校でも取得でき、勉強は知識を詰め込むだけでもパスできます。私は精神保健福祉士の専門性の低下を危惧しています。

当事者体験をして、援助側になりたい、その中で一番精神障害者にピンポイントな国家資格は精神保健福祉士だったから、取るように頑張っています。

そんな動機の人が多いような感触があります。
動機は何でも良いと思います、上記も立派!

私が危惧しているのは、ソーシャルワークの専門性を知識としてだけ学び、それを用いる以前に、クライエントに共感しては自身の助言を押し付け、権利擁護の専門家が権利侵害を犯し、自身の信者を増やす…といったような専門家(仮)の増加です。

あらゆるサバイバル体験をして、社会経験をして、年齢を重ねたあとでも取得できるのが精神保健福祉士です。精神保健福祉士1年目でも、例えばそれが40代女性であれば、「私もOLしてたときはキツかった」「私も10代のときはリスカしまくっててね」なんて話をすると、クライエントに放つ言葉にはある程度の説得力が無条件で発生してしまいます。

私の敬愛する神田橋條治先生が言った言葉にこんなものがあります

正しいことを言ってそちらへ導くのは洗脳と同じですからね。

私はその当時とても衝撃を受けました、
なんなら私の内在に、洗脳したい、という気持ちがあったのでしょう。

あなたのおかげで助かりました

そう言われることで自分が救われたかった、自分が癒されたかった、そういうところは、援助者なら誰しも持っている感情かもしれませんが、それが一番になってくると、それはソーシャルワーカーないし援助者ではなく、洗脳者になってしまいます。

ソーシャルワーカーを志した頃、とある大学教授はソーシャルワーカーのことを松葉杖であると喩えていました。

その心は、松葉杖には自分の意思がなく、ただひたすらに持ち主を支え、持ち主の行きたい方向へ持ち主を導くひとつのサポーターである、というものだと解釈しました。

当事者体験のある援助者は、ときに松葉杖ではなく洗脳者になる危険性が、当事者体験のない援助者に比べて高いと思われます。

いわゆる #メサイアコンプレックス  に陥る可能性も。

ソーシャルワークの専門家である社会福祉士、精神保健福祉士はそんな甘っちょろいものではなく、技術が必要です。

共感性、カウンセリング以前に、ソーシャルワーク技術を用いた実践を行う精神保健福祉士が一人でも多く存在し続けることを望む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?