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フラワーエッセンスと自分史①

ずっと長い間、思っていたこと。
思いつつ、どう書いていいか分からず、
いつか文字にしよう、
いつかこの思いを届ける言葉を綴りたい。
いつかいつかと先送りにしていた。
(まるで恋文のようだ)
恋文ではなく、いや、ある意味、恋文に近いのか?と
ここまで書いて思ったりしてるが
(イントロ長すぎ・・(;'∀'))

フラワーエッセンスのことを書きたい!

フラワーエッセンスとは
「花のエネルギーを水に転写したもので、それを摂ることによって心が楽になるもの」・・・・なののだけど・・

のだけれど!

・・
私にとってフラワーエッセンスというものは、
(まあ、この言葉に凝縮されてはいるものの)
そんな簡単に言えるものでは無いって事なの。

例えば・・
恋焦がれている人に恋文的メールを出すとする。
想いが溢れて、言葉に出来ない。
書ける言葉は「好き」とか「愛してる」とかしか思い浮かばない。
でも、内に秘めたる想いは、「そんなものじゃねえ!!」的な。

私にとってフラワーエッセンスを語るというのは、それ程迄のもの。
そして、書く書く詐欺?で「いつか書く」と、自分にも人にも言ってた。
そして、今日、思った。
もう「いつか書く」は終わりにする。
「今、書く。」(めちゃ長くなるかもなので、何部かに分けます)


フラワーエッセンスの事を説明するには、
私自身の辿った歴史(過去)を避けて通れない。
何故わたしがこんなにフラワーエッセンス療法というものに力を注いでいるのか。
殆どの人に伝えていない蓄積された時間と経験があって、
それを書いていこうと思う。

自分にとって「フラワーエッセンス」を説明するのは、ここに鍵が埋めてあるので、それを掘り起こし、改めて見つめ直すと共に、
未来に向けて今此処ににフラグを立てておく。



繊細すぎた幼い頃。

わたしの幼い頃の記憶は「恐怖」と「寂しさ」で埋め尽くされていた。
恐怖感は、例えば扉(当時は襖)を開けると、その向こうには漆黒の宇宙空間があって、自分はそこに放り出されてしまう・・という謎の恐怖。
あるいは、襖の向こうで骸骨が踊っている。
という謎の恐怖。
父の実家の大きな仏壇を開けたときの「違う世界に繋がってる」恐怖。
お葬式で唱えられる「お経」の恐怖。幼いわたしは「お経」というものが、この世とあの世を渡すものだと何かで察知していたらしい。

ちいさな自分に出来ることは、ひたすら怖くて、泣き叫ぶ事だった。
あまりに泣くので、親はとても手を焼いたと、大人になってから聞かされた。
泣き叫ぶ私に対してフォローは無く、困り果てた親が取った手段は、無理矢理、泣き止ませることだった。叱ることで、叩くことで。

「泣くと叱られる。泣くと叩かれる。」事を覚えた私は、ひたすら泣くのを止めようとした。
が、怖い、悲しい、寂しい、は、感情なので、幼い子にとってそれを強いるのはある意味拷問だったりする。
泣くのを堪えると泣き吃逆が出る。
「泣きやめ」と、母は言う。
泣き止まねば叩かれる。

感情は横隔膜に蓄積され、私は本来ある自分と乖離することを覚えた。

いまから思えばHSCだった。

当時、小学校では、体育館に集まって(当時は講堂といっていたような)全校生徒で映画を観る会があった。
一年生か二年生だったと思う。
題名も忘れてしまったが、父と子の話だったか 内容も覚えてないけれど、観るのが悲しすぎて辛すぎて涙が止まらなかった。
周りを見ていると誰も泣いていない。
暗いから私が泣いているのは誰も気づいてないけれど、私は映画を観て泣いている自分を恥じた。
泣いてることを知られてはならない。
覚えているのはその感情のみで、その前後は霧の中だが、その辺りから泣くことを封印したのだ思う。

感情を封印すると、それ以外の歓びや怒りも同時に封印されてしまう。
義務教育中、そしてその後も、感情を忘れたままぼんやりと成長していった。


・・
フラワーエッセンスの事が出てこないまま、今日はここまで。

次回に続きます。


幼い頃の私。

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