紀行文 20/01/01

守屋神社へ

位置:長野県伊那市高遠町

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参道石段の石灯籠
笠の割れを金属のボルト状のもので継いでいる.
石と鉄の技術複合がみえる.

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本殿脇の祝殿?と石灯籠
石造物という物体物件にはある形式が備わっている.
年代や由来を考えるのにその形式は参考になる.その形式も,関係する者たちの承認や合意という過程があっての形であると想像するとき,物体物件に働いている力の加減が,何となく感じられてくる.
守屋神社で観察された祝殿と思われる石祠とその前にある石灯籠?の形式をみてみる.
奥の石祠にあっては,流造という屋根をもつ家型の形式がみえ,これが通例の形と考えられる.一方,手前の石灯籠?は,脱落した笠や火袋(?)がそのまま竿の裏に置かれて祀られているようにみえる.
石灯籠?の上部と下部が分解され,配置されることで,その奥にある石祠の各部分(本体となる室部,屋根,基壇)の形式が注目される.石灯籠(?)にみられる宝形造の部分や陣笠のような笠の部分は石祠の屋根にあたり,火袋の部分は室部にあたるという対比が可能となる.
手前に立たされた灯籠(?)の竿は,卵塔に模され,そのすぐ裏の灯籠(?)の笠とその下部は五輪塔の形式にも一脈が通じてしまう.
ここにそのように置かれ残されているのはなぜか,灯籠?が通例の形式ではなく,不完全ともとれるような形式で置かれ残されているところに,個人の発案は感じられない.それを祀った家族親族や地類あるいは氏子らからなる集団のコミュニティの承認と合意があったことをその形式が告げている.例えば,火袋が落ちたから,火袋が盗まれたからといった不可抗力によって,そのように置くことになったという消極的な理由であっても,ここには,その消極性を寛容し,消極性から積極性へと物体物件を転回する力が働いていることが感じとれる.
ここには,神意とは何か,という集団の解釈が生じている.「解釈」という述語では仏教的なニュアンスを帯びてしまうのであれば,神への斟酌あるいは参酌が生じている.こうした心遣いが生じているのは,笠が落ちたことに働いた力や、笠が盗まれたことに働いた何者かの力に対してでもある.その力を布置し,形式に留めるべく顕現した物体物件がこの石灯籠?であるという集団による斟酌がみえている.
この場に働いているのは神人ひっくるめた力であって,神意による「どうしようもない」ものと,人為による「どうにかなる」ものの境は案外、曖昧であるような気もしてくる.

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