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シロツメクサ |6|

雨が小降りになった。

公園を後にしてリンは再び歩き出した。

遠くまで続く緑色のフェンス。
その向こうには見たこともないくらい広いグラウンド。次第に空全体が明るくなりはじめて、濡れた地面がキラキラと輝いた。誰もいないグラウンド。テニスコートといくつもの小高い丘が遠くに見える。あとは一面の広大な芝生。それを囲うようにフェンスの際には無数のシロツメクサが生い茂っていた。子供の頃、兄のサッカーの試合に連れて行かれる度に河川敷の斜面に座りながら母が冠を作ってくれた、あの白い花。

リンは歩いた。
どこまでも続くフェンスに沿って。
ふと遊歩道を見つける。
小さな橋。
ジョギングする人の姿はもうない。
真っ青な歩道橋。
コンビニ。
改札。

ホームに入ってくる黄色い電車。

電車に乗り、閉ってゆく扉を振り返ったときに初めて駅名が目に入った。新検見川。
リンは座席に深く腰掛けた。
耳に詰め込んだイヤホンから音楽が流れ出すと、急激に睡魔に襲われた。強引でどこか高揚感のある眠り。誰かに体ごと包み込まれているような、暖かい重力。

うたた寝の合間に薄く目を開くと、そこはすでに見慣れたいつもの駅だった。

急いで降りたホームに人だかりが出来ている。

人だかり、と言っても数人が立ち止まっている程度で、ほとんどの人が通り過ぎてゆく。その人々の足の隙間からリンは覗き込んだ。

ホームの緩やかなカーブと電車の車体のあいだのいびつな隙間から人の上半身だけが見えていた。

-ジン?-

リンは駆け寄った。

彼はホームのへりで微かにもがきながら、今にもずり落ちてしまいそうな体を両肘で支えていた。顔からは血の気が引いていて、陶器みたいな肌はより一層青白くて、本当にそこにすべての永久歯が収まっているのか不思議に思うくらい小さな顎で食いしばっていた。

心臓を掴まれたようにリンの胸は痛んだ。鞄を捨て、彼を掴み上げた。白いシャツ越しに掴んだ彼の肩は、がっしりとしていて、すごく熱かった。

リンはジンの目を覗き込んだ。

-違うんだね-

ジンは呆然と宙をみていた。

-ジン・リー。いつになったらあなたを抱きしめることが出来るの?-

リンとジンの額には汗が滲んでいて、大きく肩を上下させ、吸っては吐いてを繰り返すふたりの荒々しい呼吸は、ぴったりと同じリズムを刻んでいた。

どんな音も耳に入らない。
ジンはなにも答えない。
他にはなにも目に入らない。
まるでジンとリンのふたりだけがこの世界に存在する唯一の存在みたいに。


とはいえリンは、同時に彼に駆け寄った数人のなかのひとりに過ぎなかった。電車は止まり、駅員が駆けつけ、ドアと言うドアから人々が顔をのぞかせていた。

介抱される彼の体には特に怪我は無いように見えた。ぐったりとして座り込む彼と、心配そうに見つめる人、人。そしてあの子。いつもジンの隣にいる女の子だ。リンが見ないことにしていた。あの子だ。彼女はジンを抱きしめた。

リンは立ち上がり、投げ捨てた鞄と落としていたイヤホンを大切に拾いあげた。


その夜。
キッチンの小さな窓からは澄んだ空気が流れ込んできて、真っ暗な空の向こうにはオレンジ色の光の粒が輝いていた。

リンはグラウンドの脇で摘みとってきたシロツメクサを小さなグラスに差して、その窓辺に置いた。

#短編 #小説 #シロツメクサ #駅

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