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シロツメクサ |4|

広げた傘は小さくて、覆いきれない腕や脛を霧雨がしっとりと濡らしていた。

整備された明るいベージュの遊歩道。時折ウォーキング中の人々とすれ違うだけで、雨のせいか辺りは静かだった。どこまで続くか分からないその道をリンは出来るだけのんびりと歩いた。

小さな橋の上でリンは立ち止まった。

辺りには誰もいなかった。リンは橋の下を流れる小さな川をのぞき込んだ。両岸には明るい緑色の背の高い水草が水面から顔をのぞかせていたが、水面にはさざ波が立っていて、水中の様子はよくわからなかった。リンはただ音を聞くことにした。頭上の傘と草木と水面。

リンが橋に立っていると、男が通りかかった。

60代くらいで上下紺色のジャージを着ていて、グレーのキャップを被った男だった。彼は「何?」と言ってリンの視線の先をのぞき込んだ。リンは警戒心から体を強張らせたとっさに「何も」と言った。後に続く「無い、んです」という言葉が口の中で消えていった。男は「なんだ」と呆れたような口調で言うとすぐにその場を去って行った。

リンは再び歩き始めた。

今度はさっきよりも少しだけ速い足取りで。時間を見るために1度スマホに電源を入れた。見るとまた兄から何件か着信があったようだ。リンはそのままスマホを鞄にしまい込んだ。
4歳年上の兄は、大学受験に失敗してから部屋に閉じこもるようになった。両親はいつか立ち直ってくれるだろうという楽観視しながらも腫物扱いをしていたが、兄が社会に復帰しそうな兆しは今のところ無かった。
兄が引きこもるようになってしばらくすると、今度は父が長年苦しめられてきたうつ病が悪化し勤めていた百貨店を辞めざるを得なくなった。それ以来、働けない父に代わって介護職に就いた母は夜勤に出ることも多く、父と兄のために毎日料理や買い物や洗濯をするのはリンの役目だった。

雨は次第に強くなっていた。

遊歩道は終わり、あたりは民家の立ち並ぶ住宅街になった。細かい霧のようだった雨粒は大きく重くなり力強く地面を打ちつけていた。地面から跳ね返った雨がハイソックスを濡らし、靴底には水が溜まりはじめ、足取りを重くさせた。リンは水たまりを避けながら、これ以上靴下を濡らさないようにと、足元を見ながらゆっくりと一歩ずつ歩いた。

ふと顔を上げると突き当たりに広いグラウンド。その手前には小さな公園があるのが目に入った。

伸びきった雑草に覆われた公園には、わずかな遊具ときのこ型のベンチが片隅にあるだけだった。

#小説 #短編 #逃げたい #どこかへ #シロツメクサ

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