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他人を見下さないと生きていけない世界なんて

目の前の夕日が綺麗である。

いつものスタバで、いつもの飲みものを少しカスタマイズし。
窓から少しずつ染まる空を見ている。


世界はこんなにも綺麗だ。

空の色は水色なのに、夕日の橙は雲だけがその色をまとっている。
少しずつ、夜のグレーも混じってきて時が流れてるのを感じる。


そう。世界は素晴らしい





…はずなのだ。





このカフェにくるときに、店の出入り口の真ん中で、立ち止まってる家族がいた。

周りはそのせいで渋滞し、彼らが急に動くものだから、ぶつかりそうな人もいた。


横断歩道の信号無視をする人を見たりとか。
子供が他人にぶつかってるのを、遠くから謝ってる母親とかを見た。


…世界は、素晴らしい。
そう、そうなんだ。

きっとみんなそう言ってる。
だから世界は素晴らしい。
みんなが素晴らしいと言ってるから、素晴らしいんだ。



たわごと、だよなぁ。





街を歩くと、マナーのない人が目に入り、やるせなくなる。

そして、
毎日を生きていると、「人の心を思えない人」に心を痛めてしまう。


その結果「どうしてこの世界に生き続けなきゃいけないのかなあ?」と真面目に考えてしまう。
嫌なものを見たり感じたりして、生き続けるのが、苦しいのだ。


自分も、不真面目に生きるのが「正しい」のか。
そしたら、他人も「同類」として見ることができるのか。


でもそれなら、どうして「道徳」の授業などをやったのか?
そんなの、将来守る人が少ないのであれば、やる必要なんて、なかったじゃないか。


きっと、自分の尺度で世界を見すぎてるから、こんな気持ちになるのだと思う。

その解決策は、
「いろんな人がいる、いろんな考えがある」って広い気持ちで見ることだと思う。

そうすれば、イラついたり、悲しくなることは少なくなるんじゃないかな。



でも、そうすると。
他人に失望して生きることになってしまうわけで。


「あの人は『人』だけど、最低限のことをできない、また『別の存在』だから」

と、「他人」を「人じゃないもの」として扱うことになるのだと、私は思う。


そうやって、毎日、多くの人を「区別」して生きるしかないのか。

…世界は、そんな、真面目に生きる人に冷たいのか。

よく。わからないよ。かなしいよ。



カフェの店員さんが
「いつもありがとうございます。」
と、微笑んでいる。

ただ、そういった「一言」や「笑顔」を大切にして生きていきたい…
それだけなんだけど。


それだけなんだけど、ね。

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