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ホリー・ガーデンとわたし

わたしにとってこの本は、もう顔も声も朧げにしか思い出せない、わたしの母親を確かめるためのものだ。

物心ついた時から、本棚にはこのピンクの表紙が並んでいた。母は読書好きだったが、何度も読み返したい本しか買わなかった。選ばれたお気に入りの本の中でも、この本は私にとっても特別だった。

もう何度読み返したかわからない。
はじめて読んだのは、小学生だったか、中学生だったか。もう私も20歳になったので、読んだ時に昔とは違ったことを感じる。時が経ったな、と思う。

高校生、退屈で寂しい入院生活、母に借りたこの本をデイルームで眺めていた。
看護師さんに、「ホリー・ガーデン」だから、おやすみの庭なんだね、と言われた。それからずっと、おやすみの庭なんだな、と思っていたけど、何の気なしに調べたら違った。ホリー(holy)とは、神聖な、清らかな、という意味だった。神聖な庭、清らかな庭。

おやすみの庭、も、神聖な庭、も
どちらも私にとって大切な言葉だ。

私は、じぶんの内面世界を庭に例えている。

おやすみの庭、も、神聖な庭、もぴったり、しっくり、なのだ。


一度、この本とはお別れしている。
母が家を出ていく時に、持って行ったのだ。

再び出会ったのは、専門学校に入学して、一人暮らしもはじめて、かなり不安定な時だった。

学校がつらいので、おまもりのように持って行って、授業を抜け出して3階のベランダで眺めていた。色んなエッセイや本を、ベランダで眺めていた。ヘッドホンで音楽を聴いて自分を守っていた。

ホリー・ガーデンはボロボロに、表紙がすりきれてしまった。それでも、またテープで補修して、持ち歩いている。

好きとか嫌いとか、そういう次元じゃなくて、必要だった。わたしに必要な本だった。
穏やかで、不思議にあかるくて、安らかだった。辛い時に逃げ込むための、わたしの、お庭だった。

お母さん、という言葉は、わたしにとって苦しいもので、呪いで、幸せになってねって言葉が忘れられなくて。それでも私も、お母さんには、幸せになって欲しい。不意打ちで母親のことを聞かれると、心がギュッてなるし、まだまだ傷は痛むときもある。それでも、思い出の詰まったこの本は、わたしのおまもりだ。

わたしが詩集も読むようになったのは、果歩ちゃんの影響も大きいように思う。
次は水泳をはじめるかもしれない。内臓を丈夫にしたい。
やるべきことに手がつかない時は、やるべきことをやらないというのはよくない、と自分に言い聞かせる。
お皿は熱いお湯で洗う。
曇天の日は、果歩ちゃんが好きな天気だな、と憂鬱な気分もましになる。

あなたには、おまもりのような本はありますか?20歳のわたしのおまもりは、この本です。

久しぶりに文章を書こうと思って、テーマを練っていたら、自然とこんなかんじになりました。読んでいただいてありがとうございます。
もし、この本を読んだことがあるのなら、あなたの感想が聞きたいです。



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