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#46 表面は同じでも中身は違う

私には、同じく愛着障害からくる複雑性PTSDを持っている友人がいます。彼女とはかなり深く話をしているのですが、「表面は同じだけど根っこが違う」ということを頻繁に感じます。

たとえば今、私も彼女も「親から距離をとる」ことを選択しています。同時にいつか来る「親との別れ」を憂いてもいます。

これは表面上の話で、一見同じことのように見えます。

ただその根っこはまるで違う。

彼女の場合、親とはできれば二度と関わりたくないと思っている。関わってきてほしくないから、距離をとっている。それでも親が亡くなったときには手続きやらなんやらで必ず関わらなきゃいけないことになるだろうから、それを憂いている。

私の場合、今でも実家に帰りたくて仕方がないけれど、親といると自分が疲弊してしまうから、距離をとらなければいけない。自己理解を深め、自分をきちんと立て直したうえで、自分のペースで会えるようになることを目指して、今は距離をとっている。だけれども距離をとっているうちに親が亡くなれば叶わない目標になってしまうので、それを憂いている。

表面上は同じことをしているように見えても、根っこにはこれだけの大きな違いがあるのです。

また、彼女は人に近づいていくタイプで、私は人から離れようとするタイプ。結果として、彼女は人との衝突も傷つく経験も多くなり、私は一向に人と親しくなれない。

お互いこれだけ違っているけれど、「解離」「恐怖」「不安」「暴走」「自殺念慮」「衝動」「大人とこども」「欲求」「甘え」など、一般的には理解しがたい感覚や仕組みを簡単な説明で共有することができます。感覚や選ぶ言葉、経験してきた環境が近いのかもしれません。

彼女がいるからこそ、ここまで自分のことが理解できているんだと感じます。彼女と言葉が通じるからこそ、根っこが違うからこそ、比較しながら「自分はこうかもしれない」と推測することができる。

結局は、やっぱり「人それぞれ」に尽きるんですよね。似ていても全く同じということはなく、むしろ似ているように見えるだけで、全く異なることが起きているのかもしれない。

この Sleeping grass ものんびり配信しているうちに、いつの間にかスタートしてから1年以上が経過しています。私の感覚を好き勝手ああだこうだ言っていますが、やはり「私の感覚」でしかありません。それ以上でもそれ以下でもなく。

だから、一例として捉えていただいて、ご自身や身の回りの困っている方と比較して、最終的にはあなた自身、その人自身を見つめる。そんなきっかけになればと思っています。

改めて、この配信を聴いてくださったあなたにお礼を申し上げます。

ちなみに、私と彼女のように精神疾患を持っている人同士が関わっていこうとすると、共依存になってしまうケースも少なくありません。どちらかに負担が大きくなれば、関係はすぐに破綻してしまいます。

私と彼女も、お互いの状態を知っているからこそ苦しくなり、近くにいられない時期があります。そんなときは無理せず離れる。落ち着いたらふっとまた話すようになる。それを繰り返して2年が経ちます。

ここまで維持できているのは、お互い共通のカウンセラーさんと友人たちがいて、うまくバランスをとれているからだと思います。人の心の話をすることは、大きな癒しになることもあれば傷つくこともある、リスクを伴う選択です。どうかご無理なさらないように。そしてどうか、無理させないように。精神疾患当事者からのお願いです。


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