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【ワンダーエッグ・プライオリティ】12話 感想

ついにワンエグ最終回といいつつ特別編に続くという形だったのでなんとも肩透かしを食らった12話ですが、こちらについてひとまず感想を書いていきたいと思います。(今回は若干、ネガティブな内容が多いので嫌な人は読まない方がよいです)
以下、いままでの感想です。

語り部の「情報の隠蔽」と登場人物の「不自然な行動」についての不満

「ワンダーエッグ・プライオリティ」(ワンエグ)は素晴らしい作品だと思いますが、今話はいくつか不満点が目立ったのでひとまずそちらを書きたいと思います。(素直な感想なので許してください)

まず、10話、11話でも感じていた問題ですが、12話の時点でも語り部の「情報の隠蔽」をしている点が気になります。特に上げるとするならば第9話で沢木先生の個展にいったアイが「小糸ちゃんはどうして自殺したの?」といった問いに対しての沢木先生の答えを10話、11話、12話までオープンにしていないというのが問題です。特に12話においては、アイは「沢木先生を信じている」ということがある種の成長であり、パワーの源である描写がありますが、視聴者に対しては、上記の情報が開示されていないので、アイの持つ情報から判断した沢木先生への解釈が第9話終わり以降共有できていないため、本来エモいはずのシーンで視聴者が置いて行かれている状態になっていました。

このあたりが核心的な点なので内容を引っ張っているのかもしれませんが、あまり行儀の良くない叙述トリック(文字通りの意味で信頼できない語り部)になっているように感じます。このあたりが本来のシナリオ通りなのか制作スケジュール上、特別編を作らざるを得なかったシナリオ・コンテ上の修正なのかわかりませんが、あまりうまくいっておらず不満点の一つです。

もう一つは登場人物の「不自然な行動」についてです。一番問題なのは桃恵やリカが彫像の少女について本当に生き返ったかどうかをまず優先的に確認しそうなのにペットの死ついてを話すのみになっているのがかなり異常な状況かと思います。あえて考えるならアカ達の刷り込みで、精神がそちらにむかないような洗脳があるといった解釈がありますが(それ自体も信用できない語り部問題につながる)それもおかしいので、物語のネタバラシの順番のためにキャラの行動原理が歪められているように感じました。

特に12話の冒頭では、リカ達が桃恵にクリア後、なぜ説明しなかったのかという質問を投げ変えていますが、「いやだ」という回答をしており、ここでも視聴者を尽きしていて明らかに意図的に不自然な行動になります。

アイについても、裏アカから聞いた過去のフリルを含む情報は命にかかわる重要な問題の割には共有されているようにも思えません(SNSで共有済かもしれませんが、リカと桃恵の話が共有されていないのでそれも不自然)。

10話でアカ&裏アカに真相を迫ったけれど、桃恵の恋バナを優先させて話がうやむやになってしまう、といった展開はそれなりに味があるので良いかと思いますが、それがそのまま放置されているのは異常だと思います。12話冒頭後は全員でもっと情報共有してアカ&裏アカを詰問する流れにならないのがおかしいと感じました。(1話くらいなら宙吊りも耐えられるけど2~3話はしんどい)

パラレルワールド導入における倫理的な問題

パラレルワールドの設定については第1話でエッグの少女が救われなかった段階でアカのセリフとして少し話が出ていましたが(それと第9話の寿の語り)、これも含めてガチのSF設定にするのはかなり困難があると思っていたのでここまでの展開は意外です。パラレルワールドの分岐については各個人が重要な決断をした場合、もしくはしなかった場合に分岐するといわれており、その場合、対象個人からみての全パラレルワールドはすべてのルートが網羅的に存在することになります。しかしそれは、網羅的であるばかりに逆説的に決定論的な世界になるという問題があります。(人々の決断のドラマが無価値になる)

またパラレルワールド感のエッグを通じての少女の情報の交換がなされるならばさらに状況が複雑になります。もっといえば、これはアイ個人の視点での世界分岐ですが、それが世界の人間分あるとするとお互いの決断の分岐の掛け合わせで膨大な世界が生まれつつ、なおかつ個人内だけでしか共有しえないパラレルワールドというものが生まれてしまいます。(小糸ちゃんと出会わない世界線とは誰の決断か?)

アイはパラレルワールドにわたってもう一人のアイを救うといっていますが、そこまで正義の幅を広げてしまった際の一番の問題は倫理感の問題が発生するという事です。例えば、パラレルワールドの倫理観の問題で代表的にはドラえもんの「のび太の魔界大冒険」があります。「のび太の魔界大冒険」のストーリーでは、もしもボックスで魔法の世界を作った後(もしもボックスはそのあと紛失)、魔法の世界が破滅の危機に陥りますが、のび太とドラえもんは再度手に入れたもしもボックスで、自分たちの世界に戻せるチャンスを得ます。そこで映画はいったんエンディングのようになるのですが、魔法の世界の今後についてドラえもんはパラレルワールドとして続いているという話をしており、それを聞いたのび太は、自分たちだけが元の世界に戻るのではなく、魔法の世界を救済することを選択を選ぶことになります。(フェイクのエンディングから改めて物語はクライマックスへと展開する)このようにパラレルワールドについては通常では推し量れない倫理観の問題が生まれてしまうことになり、本来この作品が焦点を当てていたテーマである、「少女やそれを取り巻く社会的課題や内面の成長や新たな生き方の提示」といったものから離れていってしまいます。(単純にエッグの少女の生命の価値をどう判断すればいいのか等)。

ということで、自分は前回の感想でもあまり深くSF的な設定で説明するより本来この作品が持つ、「メルヘン」や「寓話」的なニュアンス、あるいは藤子・F・不二雄のいうような「SF(少し不思議)」という形でSF要素はあくまでも、伝えたいメッセージ(寓意)を補足する形ぐらいがちょうどよいと考えています。

その他、単純に12話のストーリー展開として引っかかるのは、もう一人のアイがパラレルワールドからやってきて今のアイとの比較で成長を見せるというのは面白い発想だとして、今回のボスである沢木先生もパラレルワールドのアイからの生成されたもの(それにプラスしてフリル側での脚色付き?)と考えられるので、オリジナルのアイとパラレルワールド側の沢木先生が対峙して語り合っているのが、本質的にかみ合っていないと思います。今回のもう一人のアイがいたパラレルワールドは割と最近の世界分岐だと考えられるので、沢木先生の性格自体もそこまで変化はないはずです。そうするとオリジナルのアイの世界の沢木先生の人格も問題ありと思えますが、し一方で、その沢木先生はパラレルワールドのアイ主観の視点であったり、フリル側の脚色のもあるため解釈が混濁しています。これは見ている側がただ困惑するというやり方で作劇上ミスリードを促すうまさというより、あまりお行儀の良いやり方ではないと私は感じました。

それでも特別編に期待

今回の最終を見た後、モヤモヤが残ったので1話からざっくり見直しましたが、やはりこの作品はコミュニケーションの絵的表現や言葉選びで卓越したセンスがあると思います。たとえばアイが沢木先生が好きだったという設定にしてもアイ本人は一言も自分で言ってないんですね。さんざんこじらせた挙句に学校まで雨の中走っていっていうセリフが「私学校に行きます」っていうのは、心打たれるような絶妙な距離感とセンスを感じました。7話ラストのリカのお母さん対していう「でも捨てるのはいまじゃない」ってセリフのいいですよね、リカができるギリギリの素直さの発露だと思います。9話の「二人ならファンタジー」も詩情が残るいいシーンでした。11話のフリルのリップ音がだんだん怖く聞こえるのもビビりましたが秀逸です。全体のフォトリアルな背景美術とキャラクターのなじませ方なども抜群。などなどほとんどシリーズ通じては良いところだらけだったと考えています。

今回、最終回と思いつつ見ていたので色々と不満がありましたが、特別編ではさまざまな伏線や特に主題の回収などをまとめてくれると信じています。(そもそも、ワンクール作品の場合、伏線を撒いている側から見れば逆算して作りつつ全体を見渡すのが容易なため、作り手側から見ると視聴者が思うほど、伏線の回収は困難ではないと考えます)

個人的には色々、制作スケジュールの厳しさでできなかった部分を存分に発揮してくれると思いますので(できれば1時間スペシャルとかで)楽しみに待っていたいと思います。




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