アニメ「無職転生」3話まで感想

現在放映中の無職転生のアニメを3話まで視聴。今回のアニメ化は演出・映像ともに素晴らしいと感じましたので、現段階で思うことを書き出してみたいと思います。

なろう系としての無職転生の特徴

まず、なろう系としての本作の特徴を整理し、その後にそれらがアニメ版でどう生かされているのかを考えたいと思います。なお、私自身はweb版をだいぶ昔に既読済みのため多少のネタバレを含む記述になりますのでご注意ください。

まず、一般の「なろう」というサイトとその作品の特徴について考えてみたいと思います。なろう系作品はそのランキングをベースとしたプラットフォームの特性上、最初の段階でなりふり構わず読まれることが生存戦略として必要条件となっています。よくあるやたら長い作品タイトルなどもそのためですが、大きくわけて以下のような特徴を持っていると思います。

(欲望の露出)エログロなど描写など一般作品より過激
(チート&単調成長)スマホ読者に合わせたストレスのない物語展開
(ゲーム的テンプレ世界観)ステータスやファストトラベル、無限収納等
(良くも悪くもさきの読めない展開)自由度が高く文字数制限もない

それぞれについて無職転生のケースに当てはめて考えてみましょう。

(欲望の露出)という点に関しては、本作も踏襲しており、主人公の前世が無職のキモいオジサンという設定で心の声(地の文)が非常にゲスいというところがやはりなろうならではだと感じます。人によっては嫌悪感のある内容ですが、このリアルな等身大のダメ人間がダメでありつつも長い時間をかけて成長していく、といった点が本作はなろう作品の読者とニーズにあっているといえるでしょう。※監督のインタビューではこれを「おまおれ感」として大事にしているようです。

(チート&単調成長)については赤ん坊から魔力を鍛えることができたり無詠唱が使えたりといった要素がありますが、(ゲーム的テンプレ世界観)ではないため主人公がイチから魔法やファンタジー世界の設定を発見していくという描写を丁寧に描きいています。さらに成長した際は自分を超える強者や難題に何度もぶち当たり多くの挫折を経験し成長していくという話のため、なろう系では珍しい鬱展開やストレスを感じさせる展開があり(一般作品では普通ですが‥)それがいい意味でなろう系らしくない重厚な物語として珍しく成功している作品になっているといえます。

(良くも悪くも先の読めない展開)という点では本作は、かなり何箇所かぶっとんだ超展開、いわゆる「ターニングポイント」と呼ばれる展開があります。最初に訪れるターニングポイントを読んだときはわたしも思わず「は?」と声が漏れました。それが悪いというわけでなく本作の大きな魅力になっているのは作者の腕力だと思います。ふつうの商業作品でいえばある程度、それまでの話の流れの継承や、間の空き過ぎない伏線の回収があったり、単行本単位での起承転結など意識されて当然ですが「なろう」というプラットフォームではその限りではありません。本作のように細かいところをひたすら細かく描く一方、主人公の一生を描く文字数にとらわれない壮大な大河ドラマができたというのは「なろう」というプラットフォーム作品ならではの良さではないかと思います。(※ネタバレ:とはいえ悪い意味では序盤にでてきた幼馴染ヒロイン【シルフィ】が大したフォローもなく、かなり長いあいだ放置されていたのでシルフィどうなっちゃったんだろうと思って心配していました…。)

まとめると、本作は「なろう」のプラットフォームの良さを活かしつつ、テンプレを超えて変態主人公が成長する壮大な大河ドラマという他に類をみない稀有なエンタテインメント作品といえるかと思います。

といった点をふまえて以下はアニメ作品としての感想になります。

重厚なファンタジー世界を本気で描く戦略の勝利

本作を小説版から読んでいる一人として、まず一番驚いたのは本作の「真面目さ」です。ルディのゲスいモノローグがメイン(そこが魅力でもある)がこのような正統派ファンタジーの表現を全面に押し出していること。これがまずなるほどと唸らされる点です。
例を上げれば楽曲の「旅人の唄」からして非常にファンタジーテイストあふれる世界観になっており、

いわゆる動きの作画として魔法の描写は圧巻。

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さまざまな背景や小物の美術も並々ならぬ力の入れようになっています。

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ここで重要なのは単に目を引くようなリッチな作画を見せつけるという意味だけでなく、この作品にとって王道ファンタジーのテイストにすることが演出上、非常に重要だったということです。

その理由として、本作の醍醐味がルディが「知識ゼロから手探りでこの広大な異世界を理解していく」=「本気の人生のやり直し」という本作の大テーマである以上、必然的にその掴み取った世界そのものが【チープ】なものであってはならないという物語上の要請が強く働いているからです。しかし口でいうのは簡単ですが、ここまでのものを作るのは監督の才能だけでなくヒト・モノ・カネを準備できる体制が十分できていないと不可能です。この点において、本作の製作チームの作品に対してまっすぐ向き合い深い理解と手の抜かない本気が非常に好ましいと感じました。

歩くこと、そして歩み寄ること

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本作ではアニメ作品では珍しく「歩くシーン」を非常に丁寧に描いています。これは「知識ゼロから手探りでこの広大な異世界を理解していく」=「本気の人生のやり直し」というテーマがある上で必然的な演出となっていると言えるでしょう。第三話のOP曲は専用映像ではなく、物語の延長上のシーンになっており、そのシーンこそが外のシーンに踏み出したルディのシーンです。わざわざOP映像と差し替えてまでルディが獲得したこの新しい世界を美しく描くことでテーマの説得力を増しています。そしてその後にシルフィとの出会いへとつなげる演出が見事です。さらに付け加えていえば、いつものOP映像がはいってしまうと物語全体をダイジェストで俯瞰した映像(まだ出てきてないキャラなど)が入ってしまうため、「知識ゼロから手探りでこの広大な異世界を理解していく」という演出方針からみると割と邪魔になってしまうケースがあり、それらを避けているという意味でも非常に計算された手法だと感じました。


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また歩くという世界の発見以外に「人間関係の再構築」=「人生の本気のやり直し」という演出も随所に見られます。
例えば第2話でルディがロキシーに馬で初めて外に連れ出されるシーンも馬がゆっくりと歩きその歩行に合わせてセリフや村人たちとの交流が徐々に描かれています。人間が何かを変えるとき、一歩を踏み出さなければいけませんが、そのあとの二歩目、三歩目も続いていくわけでそこを丁寧に描いているところが素晴らしいです。このシーンはいきなり魔法を放つ現場にカットを飛ばしてもシナリオによっては成立するのですが、テーマとしては魔法の派手な描写よりもむしろこちらのシーンの方に本気を感じました。

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第三話ではシルフィとの仲直りやパウロとの関係もふくめて歩み寄ることの重要性が描かれていました。

「ボイス(声)を巡る物語」

ここで言いたい「ボイス」とは自分の奥深くに眠っている本当の願望、伝えたいこと、表現したいことという意味で「ボイス」といいます。これについては内田樹氏のブログから以下引用いたします。

http://blog.tatsuru.com/2019/09/02_1348.html
内田樹の研究室「Voice について」2019-09-02 より一部引用
 
 みなさんも多分、「自分のボイス」に出会った経験があると思うのです。例えば、子供のときに、小学校か中学校か、すごく仲のいい友だちが出来て、親友になった。あるいは、もう少し大人になって、はじめて恋人ができた。そういう初めて親友ができたときと、初めて恋人ができたとき、時間を忘れて話しますよね。駅のベンチとか土手の上とかで、それこそエンドレスにずっと二人で話し続ける。自分の話をするし、相手も自分の話をする。そのときに話すことはしばしば「この話、生まれて初めて人にするんだけれど・・・」という前置きで始まりますよね。
 これまでに友だちや家族に向かって話したことのある「いつもの話」をまた繰り返すわけじゃないんです。親友や恋人にする話はそういう「手垢のついた話」じゃない。全く新しい、できたての、それまで、一度も脳に浮かんだことがなかったような過去の記憶がふっと生々しく蘇ってくる。あるいは、同じ出来事についてなんだけれど、まったく違う視点から、違う解釈をする。「これまでずっとあの出来事は『こういう意味』だと思っていたけれど、それとは違う、もっと深い意味があったんだ」いうような話を始める。
 そして、そういう話はだいたいオチがないんです。勢い込んで話し始めるんだけれど、途中でぷつんと途絶してしまう。でも、それでも平気なんです。そういう頭も尻尾もないし、オチもないし、教訓もないような話が次々と湧き出て来る相手のことを親友とか恋人とか呼ぶわけですから。そういう話をしているときに、人は「自分のボイス」に指先がかかってきたことを知る。
 子供たちを見て、「まだ自分のボイスを発見していないな」ということは聞いていると分かります。独特のボキャブラリーや、独特の話し方をしていても、「前にして、受けた話」を変奏して繰り返しているなら、その子はまだボイスは持っていない。オチがあったり、教訓があったり、笑いどころのツボが決まっていたりするような話をしている人間はまだ自分のボイスを持っていない。
 ボイスというのは、単なる「声」ではないんです。自分の中の、深いところに入り込んで行って、そこで沸き立っているマグマのようなものにパイプを差し入れて、そこから未定型の、生の言葉を汲み出すための「回路」のことです。

アニメ版の大きな人気の理由としてルディの心の声の声優さんが杉田智和さんが演じているということが挙げられます。杉田さんの芝居によってルディの心の距離感をうまくコントロールしているのが本作のこれまでの成功の大きな要因でしょう。しかし、アニメ化によって気がついたのですが、この作品には【4つのボイス】がありそれが作品のテーマと深く結びついていると私は考えています。

第一の声はルディの子供としての素の声です。(CV:内山夕実)
この声はルディが外の世界と向き合うために作り出した外部とのアダプタとしての声になります。この声でルディが敬語を主に使うのも表面的な部分を担当しているからに他なりません。

第二の声はルディの心の声です。(CV:杉田智和)
この声は内心の本音を出していると思われていますが、意外と本当に伝えたいことを表現できていない声なのではないかと考えました。この声は、内心の声の割には、深い意味での本心が出ることは少なく、視聴者に対しての狂言回しの役目もしており、どこか自分自身を客観的に、フザけたように語っています。そして第二話で描かれていますが長い引きこもり生活によって外部に向かって声を出せない状態(だしても聞くものがいないため声がだなくなった)というのも大きく影響しています。実際、トラックにはねられそうな高校生に対してもうまく声をだせないシーンがありました。

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第三の声は事前に申し上げた「自分のボイス」(内田樹氏のいうボイス)
こちらの声は声優さんがついてなにか今後語るということはないのですが、この第三の声を発見することがこの作品の大きな裏テーマになっているのではないでしょうか。それはアニメという作品上、第一の声(CV:内山夕実)と第二の声(CV:杉田智和)の伝えるべき内容が近づくほど第三のボイスに近づくように思います。第二話でいうと、終盤ロキシーとの別れにたいして「ありがとう」という一方、「尊敬する」という似たニュアンスの言葉で表現されています。このシーンが感動的なのは2つの声の思いが接近して「自分のボイス」が生まれようとしているから心に響くのではないでしょうか。

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逆にいえば、将来的に第一の声(CV:内山夕実)と第二の声(CV:杉田智和)が全く同じセリフを同時に読み上げるといった演出があれば熱いこと間違いなしだと思います。なので、本作は第一の声と第二の声の距離感に注目して今後見ていくのも良いかと思います。

そして最後に第四の声は「人神(ヒトガミ)」の声です
これは原作未読の人にはネタバレになりますが、「人神(ヒトガミ」と呼ばれる夢のお告げをする天の声(超越的存在)のことを指すと私は考えます。人神のアドバイスは前半ではルディの将来を予測して危険を回避させたり、よい出会いを促すなど当初味方のような振る舞いをして現れます。しかし、物語後半はルディの人生をもて遊ぶ邪悪な存在として描かれています。これをボイスという観点で読み解くと本当の想いが心の底から沸き立ち、苦労の末獲得する「第3の声(自分のボイス)」とは真逆の、天から降ってくるお告げとしての声、つまり「この声の言い分にしたがっていれば幸せになれる」という形で現れてくる声との対立の描写といえます。一歩一歩、世界を歩き、人と歩み寄ることで獲得する自分のボイスと対極にある人神との闘いはまさに本作のテーマから一貫したラスボスに相応しいといえるのではないでしょうか。

と長く書いてきましたが、無職転生のアニメでは「声」に注目!!ということが言いたかったのです!

だからこそアニメの今後が楽しみ

以上、挙げていったテーマの深い理解のもと、脚本・演出・コンテ・作画・音響がとてつもなくハイクオリティな状態でアニメがみれるということが本当に喜ばしくワクワクが止まらないですね。また4話以降書きたいことがでてきたら書いてみようと思います。

おまけ

まったくどうでもいいですが、3人のヒロインではエリスがやっぱ一番いいかなぁと思っており、エリスが登場する4、5話?以降が非常に楽しみです。

ティザーPVのエリスはめちゃかっこいい。オオカミっぽいモンスターをくるっと回って切り裂くシーン(0:48~)あたりは最高! まだ本編では本格的な戦闘シーンがないですが、そちらも期待大ですね!

おまけ2

あと鼻の穴の描き方が好き!

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