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遥か遠きR.I.P ー『アルキメデスの大戦』

「黒い煙が立ち昇る中、空一面で何かがきらきらと光っていた。それはやがて海に向かって降ってきた。船体のアルミの破片だった。あれで死んでいった仲間も大勢いたと思う。上官が溺れかけている私を見つけて、ご自分が捕まっていたものを譲ってくださった。貴方はまだ若いんだから頑張りなさいと言ってくださった」



絶対にコケるだろうと思っていたけど菅田将暉が見たいので足を運んだ映画『アルキメデスの大戦』がめちゃくちゃアツかった。アツすぎたので、映画館を出てすぐ母親に「騙されたと思って観に行ってくれ」と連絡し、数日後には「なに!超面白かったけど!」と返事が来て、その母親もまた同僚に布教し、その同僚もまた「超良かった!」という好評の連鎖だそうで、ふふふんそうでしょと鼻が高い。
私もまた考えている。ずっと考えている。
主に山本さんと櫂少佐、櫂少佐と戦艦大和、それぞれの立ち位置を。

私は櫂少佐が山本さんに騙されていたとは思えない。山本さんは最後まで真意を黙っていたものの、それを櫂少佐が表面上の事情だけを聞いてはいそうですかと納得していたとは思わない。
山本さんは、最初から櫂氏に平山造船中将の見積案の再計算をしてほしいという体でお願いしに来ている。そしてなぜ再計算が必要かと言えば自陣の藤岡案を採用させたいからだ。つまり、空母。
山本さんは櫂氏にはっきり提示している。「戦艦は要らんが空母は要る」のである。
今日、山本五十六は帝国海軍でも非戦派だったと知られている。しかし太平洋戦争の幕を上げたのもまた山本五十六である。
『アルキメデスの大戦』についてはフィクションなので、ここにどこまで本物の山本五十六像を持ってくるかというのは野暮なことかもしれない。しかし本物の山本さんというのは大和建造計画にどこまで関わっていたかは知らないが、真珠湾奇襲作戦についてはだいぶ前から主張していたのだ。もちろんこれは非戦派山本さんの像を覆すようなものではなく、山本さんとしてはだらだら戦うと100パーセント負けるので開戦即終戦というスピード感で一気に決着をつけてしまいたいという意図があった。
そして真珠湾と言えば日本軍の航空部隊が米軍の戦艦空母を一日にして叩き潰してしまった、航空機が勝った作戦なのだ。そして航空機を飛ばすには空母が要る。
戦艦は要らんが空母は要る。これは戦艦建造計画を止めれば戦争そのものも止められるという話には全く繋がらないはずだ。
櫂少佐が最後までそれに気づかなかったとは思えない。

櫂少佐、山本司令官、平山造船中将。3人とも考えとしては共通している。
「対米戦は必ず負ける」
平山中将に至ってはこうも言う「日本人は負け方を知らない人種だ」。しかしそこから「凄絶な最期を遂げるための依代『大和』をあえて作る」という考えに至ること自体が「負け方を知らない」ということではないのか、と思う。
3人は3人とも「負ける」と確信していた。しかし3人とも「負け方」は知らなかったのではないだろうか。

正しい負け方とは何なのか、そもそもそんなものあるのか、私にもわからない。
わからないが、この3人については「徒花になる」以外の選択肢を持ち合わせていない、思い至れていないように私には見えた。それは櫂少佐ですらそう見えた。
ここに壮絶なジレンマがある。この映画は戦争を食い止めようと走り回る人たちの物語だ。しかし「やらずに済むならそれが一番」と言う山本さんも、「私や君のような人間はその先のことまで見通さなくてはならない」と語る平山さんも、一度自らの手で『大和』を生み出し平山さんの「真意」に一瞬でも心が揺らいでしまった櫂少佐も、「負け方を知らない日本人」の枠を突破できていないのだ。
結局開戦に向かうしかない人たちなのだ。

私は、櫂少佐が山本さんを恨んだとは思わない。
自分を海軍に招き入れたことも、大和建造計画阻止の要とさせられたことも、真意を語られなかったことも、最終的に山本さんが真珠湾攻撃を決行したことも、そこに怒りがあったとは思えない。なぜなら、大和はただ完成するだけではもはや足りなかったから。戦争が進みやがて凄絶な最期を遂げる、ここまで含めた平山さんの思想にこそ彼は共鳴したからだ。それはすなわち彼が戦争を選ぶ「軍人」となった瞬間だった。
山本さんもまた櫂少佐を恨んだとは思わない。
大和は開戦を待たずに竣工している。山本さんにしてみれば「先を越された」感覚だってあったかもしれない。しかし大和建造パズルの最後のピースを差し出した櫂少佐は、その瞬間初めて山本さんと同じ土俵に乗ったのだ。自分が見出した若き青年、純粋な天才が同じ「軍人」となった瞬間に山本さんは立ち会ったのだ。
ふたりは異なる咲き方を選んだだけで、足元には強い連帯感があるように思える。
彼らは自覚的に共犯関係で繋がっているように見える。

映画の最終局面、大和の甲板で敬礼し合うふたりの視線に、私は「互いに互いを良しとする」思いを読んだ。櫂少佐の存在に気づき目を細めた山本さんには、あるいは彼をこの境地まで連れてきてしまった罪悪感、畏怖の念もまた在ったかもしれない。山本さんが通り過ぎてもなお彼の背中を見つめていた櫂少佐は反芻していたのかもしれない、山本さんと自分が出会ってから今日この日に至るまでの全ての日々を。学生だった自分が死に魅入られた軍人となった過程を。

『アルキメデスの大戦』はメアリー・シェリー『フランケンシュタイン』の別ルートのような物語でもある。
死者を蘇らせる欲望に突き動かされたフランケンシュタイン博士は自らが作り出したものがあまりに醜く恐ろしかったために逃げ出してしまい、復讐されてしまう。博士は自らが作り出したもののことを「怪物」と呼んだ。
櫂少佐もまた戦艦のことを「人間が生み出した美しき怪物」と表現し、最終的には自ら大和を生み出すに至る。これはフランケンシュタイン博士と怪物の関係にも当てはまるように思える。
同時に、櫂少佐は山本司令官が生み出した怪物という見方もできると考えている。学生に過ぎなかった櫂氏を見出し海軍に招き、その彼が想像以上の成果を出してきたこと。山本司令官の目には櫂少佐が怪物に見えていたかもしれない。
櫂少佐は海軍の中で怪物となった。その櫂少佐は自らの手で怪物、戦艦を生み出した。
このようにこの物語は入れ子構造の『フランケンシュタイン』と見ることもできる、と私は考えている。
ただ異なるのは、生み出されたものが「美しかった」ということだ。



人の死に繋がるものであれ、「生み出したい」という欲望は存在する。人の死に繋がるものであれ、それを見て「美しい」と思うことがある。強烈に惹かれることがある。
潔癖な人ほど、それを許せないと思うだろう。しかしミリオタと反戦意識が両立しうるように、人間の美意識と倫理観というものはしばしば断絶するものであると思った方がいいのかもしれない。
殺人兵器を生み出した人は自らを責めるだろう。しかしそれでも、自らを呪いながらもそれに生涯を賭す人だっているのだろう。強烈に愛することもあるのだろう。


私は昔から広島県がとても好きで、度々旅行する。大和が造られた呉市にも二度訪れたことがある。

呉市にある大和ミュージアムには1/10スケールの大和の模型が展示されている。
私はこれを、ただただ、かっこいいと思った。素敵だと思った。たとえ、かつてこれに乗って3000人もの命が失われたのだという事実があっても、無残に転覆し沈没したという事実があっても、私はこれを、かっこいいと思った。心から美しいと思った。
美しいと思う気持ちは、止められないのだ。

大和ミュージアムには戦争賛美の批判もあるようだが、この大和の模型には「呉市がこの世界一の戦艦を造ったということを誇りに思う」という意味合いのメッセージが刻まれた碑が添えられている。
これには、反戦や戦争賛美という文脈では決してない切実さを感じる。
これを造った人がいたのだ。ここに。

平山造船中将の信念はフィクションだから言えることであって現実にそんなことを言われそんな信念のもとこの大和が造られたとなればたまったものじゃない。この艦にはかつて生きた名前ある3000人が乗っていたのだ。沈めるために造られた艦に乗って非業の最期を強制されるなんて冗談じゃない。あの博物館での展示を見ながら、私の隣でとある写真を指差して「この隣の人がそうかもしれないよ」と、きっと親戚や遠い知り合いを探しに来たのであろう年配の家族のことを思う。
冒頭に書いたのは展示室で上映されている生存者の証言だ。その人はまるで星を見ていたかのように話した。だけどそれはアルミの破片だった。それに殺された人だってたくさんいたのだ。
冗談じゃない、徒花なんて、依り代なんて、冗談じゃない。
ここにいたのは人間だ。大勢死んだ。沖縄特攻の目標も果たせずただ死んだ。沈んだ。私にはこれが悔しかった、証言ビデオで語られる一言一言に涙が滲んだ。悲しかった。
だけど大和はかっこよかった。それだけは、嘘偽りなく、かっこよかったのだった。

呉市は緩やかに丘へと上る街でもある。大和ミュージアムを出て、海上自衛隊の施設を通り過ぎ、実習生らしき純白のセーラー服の男の子たちとすれ違い、ゆるくゆるく歩いて20分。結構歩いたなあと海の方を見ると、造船所が見えてくる。かつて大和が造られた呉海軍工廠は今も民間造船会社の工場として存在している。
この造船所を一望できるところに、大和の記念碑が建っている。
かつての造船技術者たちのための碑なのか、大和と沈んでいった人たちのための碑なのか、どちらにしても、この街は決してあなたたちのことを忘れないと語っているようだった。

私はしばらくそこにいた。坂を歩いて疲れたので碑の隣にあったベンチに座り、水を飲んで休憩し、ひとしきり造船所の景色を写真に撮ったあと、もと来た道を歩き出した。


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