拝啓 20年前の私へ

「20年前のちーちゃんから30歳の千裕さんに手紙が届きましたよ」


母からの連絡には、フェルトペンで書かれたのであろう拙い子供の書く漢字で私の実家の住所と宛名が記された茶封筒の写真が添付されていた。何をそんなアンジェラ・アキみたいな話……と首を傾げかけたところで、ばちんとその記憶は蘇ってきた。小学4年生、ちょうど20年前、国語の授業で「20年後の自分に宛てて手紙を書く」という時間があったこと。あの時先生は確かに「この手紙は20年間大切に保管されて、必ず20年後に皆さんのもとに届くようになっています」と言ったこと。
あれのことか。まさか本当に届くようになっていたのか。

「送ろうか?」という母の提案に、じゃあせっかくなのでと、郵送をお願いした。手紙は諸々の救援物資とともに届いた。私は地元で取れるお米が好きでそれはこの大阪のスーパーには売っていないのだった。


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映画『インターステラー』には、ロミリー博士が紙とペンを使ってワームホールの仕組みを説明するシーンがある。博士は小さな白い紙を縦に見せ、上と下にそれぞれ「×」という印をつける。それからその二つの×印が重なるように紙を折り、印めがけてペンを紙に突き立てる。ぶすんと紙に穴が空き、「これがワームホールだ」と語る。つまり、遠く離れた二つの×印を一気に接続させるペンの穴。折り曲げられた時間。

届いた手紙は、確かに20年の歳月を経てはいたものの、私には、ワームホールの小さな産物のように思われた。20年前の私と30歳の私という二つの印が今このとき、ぴたりと重ねられ、私と彼女の間を貫通したような気がした。そしてその貫通した穴から手渡された一通の手紙。20年前の私の文字、こんなに拙くて、不恰好な形をしていたんだね。あなたはきっと、書き損じないように慎重に慎重に、この宛名を書いたのでしょう。

封筒の口に手を付ける。すっかり変色したセロテープと、20年間貼り付いて頑強になった糊を注意深く指先で剥がし、中を覗き込む。出てきたのはコピー用紙に印刷された1枚の便箋だった。「20年後の自分へ」と題されて。




20年後の私、お元気ですか? 20年前の元気な私をおぼえていますか?


今、私が書く文字よりももっと丸くて大きな、鉛筆書きの字が目に飛び込んでくる。そこには、30歳になって受け取るであろう私への果てなき期待、10歳の自分が持つ夢を30歳の私は絶対に叶えてくれているだろうという、目も眩むほどにきらきら光る期待、自分の持つ夢の行き先、それから20年後の世界がどう変わり、どう進歩しているのかぜひ見てみたいという思いが、たった1枚の便箋の中に押し込まれていた。こんなに大きな字のくせに、たった1枚の字数のくせに、生きる希望に溢れ、光る未来を疑わず、どこまでも無垢に20年後の自分を信じる拙い文章は、今の私が何千字もかけて、あらゆる語彙の限りに必死に書く文章など軽く吹き飛ばしてしまえるほどのエネルギーに満ちていた。


ずーっとユメみてたこのころじゃなくって、それがユメじゃない自分でいるのかな?


10年しか生きていないあなたは、私は、こんなに、世界が美しいものと、こんなに、自分という存在が素晴らしいものと、叶わない夢はどこにもないと疑うことも知らぬ、全き無垢な少女だった。10年しか生きていない私にとって、世界とは、こんなに希望に満ちて美しいものだった。


私のねがいのゆめは、かなっているのかな。それはアナタが知っているハズ。だって20年後のアナタは今のワタシなんだもん! だからねアナタには、ワタシのゆめを本当にしてほしいの!


ああ、と思う。便箋を握りしめて、30歳の私は目を閉じる。
私はこの子に対して、この子の未来に対して、責任があった。この子が私に託したものを受け取り花開かせる責任があった。私は、この子が望む大人になる努力を今の今まで続けていなくてはならなかった。この子の夢を、無碍にするべきではなかった。この子が持っていた夢に対して、一度でも誠実に、挑戦するべきだった。たとえ何も知らぬ、世界のことなど何も知らぬ、自分の町以上の世界のことなど何も知らぬ少女であったとしても、この子は確かに私だった。望んだことは、努力さえすれば全てが叶うと、それが自分ならできると、全き無垢に信じていた私だった。私はこの子を知っている、知りすぎているほどに知っている。覚えている。20年前の元気なこの子を、私はちゃんと覚えている。

覚えているよ、もちろん。あなたがこの手紙を書いたあの授業のことも、覚えていたよ。これが20年後に届くのだと思うとわくわくして、終始楽しく手紙を綴ったことも、覚えていたよ。あなたは国語も好きだったし、書くことも好きだった、自分のことも好きだった。覚えていたよ。30歳になった私は、過去その時々の私のことを、あなただけじゃない、中学生になったあなたのことも、高校生だったあなたのことも、そのほとんどを、覚えているんだよ。あなたはまだ自分がそんなものを持っているとは知らなかった、この人並み外れた記憶力のおかげで。


ごめんね、と、目を閉じたまま思う。ごめんね、私はあなたが望む大人にはなっていなかった。ごめんね、私はあなたの夢を、きっと半分も叶えていない。ごめんね、あなたのことを覚えていたのに、私はこんなに不甲斐なかった。ごめんね、美しかったあなた。あなたの美しさを、そのままの形でずっと持っていられたら、そのままこの30歳まで持っていられたら、今の私もどんなにか、美しかったことでしょう。強く在れたことでしょう。

全てが懐かしい。あなたの全てを、懐かしく思う。




「将来何してるだろうって/大人になったらわかったよ/何もしてないさ」ヨルシカは歌う。けれどそうだろうか。私は本当に、今、何もしていなくて、今までも、何もしてこなかっただろうか。

『インターステラー』で、ブラント博士は時間についてこうも言った。
「時間は相対的なもの。伸びたり縮んだりすることはあるけれど、時間が戻ることだけはありえない」
平凡な日々にふと現れたワームホールから手渡された手紙は一方的なもので、私にワームホールを作る能力なんてあるはずがない。30歳の私から、20年前の私へ返事を出すことは叶わない。それでも、ワームホールが繋げた点と点は、紙を広げてみればもとは遠く離れた二つの印。その印の間に横たわる空白の中になにがあったかを、きみへ、お返事の形で書こうと思う。きみがこれを読むことは永遠になくても、いつかワームホールがもう一度繋がる時が来るなら、私からはこれを手渡そう。

「20年前の自分へ」

拝啓 手紙をありがとう。
あなたの手紙は20年の時を経て、きちんと私のもとへ届いています。私は今、あなたの町を離れて暮らしているので、あなたのお母さんに手紙を送ってもらいました。

あなたのこと、覚えていますよ。
あなたが漫画家になりたかったこと、きちんと覚えています。学校にいても家にいても、時間さえあればずっと絵を描いていたこと、ちゃんと覚えています。あなたが描き上げた絵を片っ端から部屋の壁にピン留めしていくので、部屋の壁が穴だらけになったことも。

だけど、ごめんなさい。私は、あなたが手紙を書いた日から長い長い時間を歩む過程で、漫画家になるという夢を手放しました。漫画を描くよりもやりたいこと、得意なことが見つかったからです。だから私は今、遠い街で、あなたの町よりもずっとずっと大きな街で、会社に入って働いています。
驚いたでしょう、大学の友達も驚いていました。「働かないと思ってた」って、言われたこともあるんですよ、私。
だけどがっかりしないでください。これは、あなたより13歳年上のあなたがきちんと考えて考えて決めて、一生懸命就職活動に打ち込んで手に入れた未来です。私はこの選択を後悔していません。


10歳のあなたは、そのきらきらした朗らかさや、悔しいとすぐに涙を流す負けず嫌いを抱えたまま、その小学校を卒業するでしょう。それから中学生になり、自分が思っていたよりも勉強が得意であることに気づくでしょう。いろんな形でのライバルがたくさんできるでしょう、もちろん友達も。それから、あなたの世界の色を一瞬で変えてしまうほどの人に出会うでしょう。片思いでもいいのです、私は今でも、13歳のあなたに訪れた恋の激しさを思ってはそれが羨ましく、懐かしく思います。(その人とは、もう連絡も取っていないけれどね)
そして、あなたを認めてくれる先生と出会い、世界が決して、あなたの町だけじゃないこと、自分が外に出ていける人間であることを知るでしょう。あなたは、自分の意思で、あなたの町から飛び出していきます。

飛び出した先でも、あなたは様々な経験をします。
勉強と演劇に打ち込んで、そしてあなたはいつしか、自分が絵を描くよりも小説や劇作を書く方が好きであることに気づくでしょう。
あなたは高校生の間に、今も誇れる劇作品を残します。勉強の時間を割いて必死に書いたその作品たちは、今も、この世界で全国の高校生たちの間を巡っていますよ。

あなたはこれから、大人に振り回されたり、友達と仲違いをしたり、恋に破れたり、進路で悩んだり、たくさん、辛い思いをします。30歳になっても、私は18歳の私が涙をこらえて電車を待っていた時のことを忘れることができません。肩が壊れるんじゃないかと思うくらいの鞄の重さも、部屋に閉じこもって勉強に追い立てられる孤独も、今でもはっきりと覚えています。

けれどあなたは、乗り越えていきます。全てを、乗り越えていきます。負けず嫌いだから、自分に厳しいあなただから、怒ってでも泣いてでも、乗り越えていきます。乗り越えてこれたから、今、どうにかこうして生きています。



私も30歳になってしまいました。
30歳はね、あなたが思っているより、全然、幼いままです。いつまでも10代のままの心が残っているし、10歳のあなたと何も変わらない部分がたくさんあるように思います。
もしかしたら、10歳のあなたの方が強いかもしれません。あなたは滅多に泣く子ではなかったね。20代だった私も、30歳になった私も、傷ついて、泣いてばかりです。びっくりするでしょうね、そんな自分に。

だけど、これだけは信じてください。
私は私が歩んできた道を、一瞬でも一ミリでも、間違っていたとは思いません。その時その時で、考えた末にこれしかないと決めた道を歩いてここまで来ました。今の私はあなたが夢見た私ではないけれど、これが私の人生だよと胸を張ってあなたに言うことができます。


だからあなたも負けないで。
これからあなたに降りかかる全てのことに負けないで。
考えて考えて、これと決めた自分の道を疑わないで。まっすぐ信じて、ひたむきに前を向いて、ここまで歩いてきてください。
友達を大事に、ピアノを愛して、音楽を愛して、演劇を愛して、どうか学ぶことを決して諦めないで。

あなたはあなたのままで、あなたの今を生きてください。
私を30歳まで生かしてくれて、この人生を歩ませてくれたのはあなたです。
だから本当にありがとう。

さようなら、20年前の私。明日からも仕事頑張るよ。

2020.10.18 by 20年後の千裕


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