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破片

買ったばかりのスニーカーは紐の締め付けがきついのかなかなか足が入らなくて、歩き出してもすぐにアキレス腱にできた靴擦れが鬱陶しげに文句を言う。スニーカーであっても靴擦れが起きてしまうことに驚きながらも、これまで数多の靴擦れを制圧し屈服させてきた私はアキレス腱に絆創膏を貼る、以上のことは何もしない。
玄関の引き戸を開け、一歩踏み出すとすぐに冷たい風が両耳から入り込んで頭がぎゅっと締め付けられる。イヤホンで耳を塞いでも、音楽を鳴らしても、締め付けは治らない。あーあ、帽子を被ってくるんだったと、それでも一度履いた靴を脱ぐのは面倒で、私は冷たさに縛り上げられぎりぎりと痛む頭と、冷たい風がふわりばさばさと荒らしていく髪をそのままにして、日が傾いた17時過ぎ、歩き出す。新しいスニーカーのクッションに何度も足を取られそうになりながら。


私の通った中学校は私の家から歩いて5分のところにあった。私はいつも、筆箱と下敷きくらいしか入っていないほとんど空の鞄を肩に提げてこの中学に通っていたし、学校が終われば何人もの友達が帰り道に私の家に寄っていったものだった。
生徒玄関の裏は1年生の自転車小屋になっていて、そこで、私は一度だけ、あの日恋をしていた人へ向けて窓を叩いた。ヘルメットをかぶり、自転車を小屋から出そうとしていたその人を、生徒玄関の反対側にある窓越しに見つけた13歳の私は屈託なく飛びついて、遠慮なく窓を叩いた。目の前でガラスが叩かれる音に気づいたその人は顔を上げて、手を振っている私を見つけるや、はにかんでいるのか、面白がっているのか、単純に友達を見つけて嬉しかったのか、同じく、屈託なく笑った。私とその人が屈託なく笑い会話ができるようになるまでには半年ほどが必要だった。だから、あれは13歳の、秋頃のことだったのだろう。
校舎は静まり返っている。生徒の気配はなく、そう、まだ春休みなんだねと、もう「学校」という特有の時間感覚を忘れてしまった私は無人の生徒玄関と、その生徒玄関の中央に掛けられている時計を見やる。「今となっては」と、その続きのない諦念を、時計に放り投げる。卒業して15年、私ではない誰かが卒業して、積み重なって、幾年。今となっては、ただ恋をしていたという事実だけが鮮烈に、焦げ付くように、焼き付くように。


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私の通った中学校と私の通わなかった高校の間を通る桜並木は花の半分以上が散って、両側の用水路を花弁が流れていく。私の通った中学校のグラウンド、もっと広いものだとあの頃は思っていた。誰もいないグラウンド、薄暗いピロティ。ソフトボール部の女の子たちが、掛け声をあげながら何周もランニングしていたグラウンド。不思議だ、あの日、陸上部もサッカー部も野球部も、放課後にはこのグラウンドを使っていたはずなのに、15年経って、私は彼女たちの掛け声しか思い出すことができない。いーち、ファイト、にー、ファイト、さーん、ファイト、しー、ファイト、いちにっさんし、にーにっさんし、ファイト、ハーイ。

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グラウンドを通り過ぎるとテニスコートがある。ついぞ、ここに足を踏み入れることはなかった。グラウンドの向こう側のことを想像することも、あまりしなかった。テニス部の彼ら、彼女たちは、随分遠い場所で毎日を練習していた。テニスコートの入り口に一本植わった桜もまた、半分以上が散っている。
よくテニス部の子たちが口々に言っていたお店の名前を思い出す。ちょうどテニスコートの向かい側に、アイスクリームだったか、クレープだったか、かき氷だったか、そういう、甘いものを出してくれるスタンド式の小さなお店があって、私はそのお店にもまた、行くことはなかった。今は看板もなく、窓は閉じられて、お店用に拵えたのであろう小さな庇だけが、かつてそこが中学生たちの憩いの場であったことを、それをできれば忘れないでほしいと、佇んでいる。
私は通り過ぎてしまう。もともと、縁のなかった場所だ。


見えてきた小さな踏切がカンカンと鳴り、申し訳程度の黄色と黒のバーが下りている。音楽を聴いている私には電車の音が聞こえない。左右に首を振ってみて、左側から二両編成の電車が走ってくるのが見えた。大阪の八両編成に慣れてしまった私にはあまりに短く小さな。そしてこの踏切もまた、なんて、小さな。
線路の真ん中で立ち止まる。通り過ぎていった電車の行き先を見つめる。何も視界を阻むことのない、全てが低い、世界。線路。そう、この線路。椎名林檎の声。「線路上に寝転んでみたりしないで大丈夫」そう、この線路。この、日が傾いた時間。沈みゆく時間。15歳の私はこの線路を思い、同じ15歳の、短い物語を書いた。ニート、という言葉がちょうど知名度を勝ち得てきたあの只中。椎名林檎の音楽を何度も何度も聴きながら。
「虚言吐いてばかりでいつか虚言ばかりが全てになっても、それに依存しなければいいだけのこと。」
線路、そう、この線路。22歳の私はまたこの線路を思い、16歳の少女の物語を書いた。線路の真ん中に立ち、今、電車が来てくれないだろうかと、今、私を轢き殺してくれないだろうかと、強くもあり、弱くもあった美しい少女、セーラー服の少女が、真っ赤な空の下、線路の真ん中で自分を轢き殺してくれる電車を一人待っていた。
「泣かないわ、涙は傷つけられた方の特権だもの。あたしが使えるものじゃない。」
あの時は、何を聴いていたのだっけ。米津玄師がまだ米津玄師として活動を始める前の、彼の音楽を聴いていたのだっけ。忘れてしまった。夕空に佇むセーラー服の少女の残像が、上書きに、上書きを繰り返されて、それでも結局、ここに立つのはセーラー服の少女でしか有り得ない私のイメージ。永遠のイメージ。
私は線路を通り過ぎる。一度だけ振り返る。踏切は鳴らない。電車もまた、来ない。ずっと遠くに、雲に覆われていた山々が、少しずつ千切れた雲の隙間に見える。天野月子の声。「千切れた黒い雲に祝福の賛美に」流れる音楽をよそに、私の、ずっと向こうで静かに千切れていく雲は、無害な灰色。祝福を届けるには、日はもう低すぎる。

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頭を縛り上げる冷たい風が止まない。長い袖に隠した指先が冷たく固まっていく。
海へ「下りる」一本道の突き当たりにはアルミかステンレスか、とにかく鉄のように錆びたりしない素材でできた鳥居が銀色に光っていて、小さな社を守るように一本の桜。海へ祈るための。海へ出る人々の無事を祈るための。海の繁栄を祈るための。銀色の鳥居に桜。突き刺さるように冷たい海風、波音はすぐそこに。すぐ、そこに。一度車道の下を潜って再び階段を上り開けた視界、その一面の海に私の体はがらんどうの空洞になり、波音がそこに流し込まれて他には何もない。
聞かせて。音楽を止めてイヤホンを外す。聞かせて。

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私の海、私が生まれる、百年も千年も前からここにある海。冷え切った風が耳元でくぐもり、両目が痛む。それでも嗚呼、海、この海、ひとりこうして訪れるのは何年ぶり? 低く落ちゆく西日に、金色に光る。防波堤の上に立てば、風の強さに体がよろめく。
ランニングコースとして整備されたこの海道、この冷たい風の中、辛抱強く走る人たちがいて、私は防波堤から彼らの後ろ姿を見送る。北の方向を見る。この道を通って家に帰っていたであろう、私のイメージに残り続ける美しい少年たち。制服姿で連れ立って歩く彼らの後ろ姿をもまた、見送る。随分、随分私は、あなたたちと離れて、遠くに来た。あなたたちと、こんなに離れる日が訪れるとは、あなたたちをこの手で書き出していたあの日々には、想像もし得なかった。この海を歩くあなたたちは永遠に高校生のままで、私ばかりが年を取り、やがては老いていく。かつて私はあなたたちと同い年だった、それがいつしか私の方が年上になって、随分、随分、遠くに来た。それでも今が、15歳だろうと20歳だろうとそして30歳だろうと、私は今でも、この海にあなたたちを思わずにはいられない。
「愛より深い海が見たい」と書いた25歳の真冬の夜。

ここがそう。この町に生まれこの町を離れ、そして何度でもここに帰ってくる私には、ここが、そう。


斜陽を追いかけるように、西へ歩く。ジョギングの人たちと何人もすれ違い、冷えゆく、血が冷えゆく中を歩く。見えてきたコンビニの明かりに飛び込んで、コーヒーを買ってまた飛び出していく。
私はついに防波堤を越え、海風によろめきながら、打ち上げられたゴミと波に削られた丸い砂利たちに足を取られながら、落日の海へ歩いていく。あと一歩でも踏み出せば波の輪郭が新品のスニーカーを撫でるであろう、その直前に佇む。

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かつて万物の根源は火であって、その万物は流転するとギリシャの哲人は言った。それは太陽のことだよねと、同じ彼に語らせたのは16歳と、25歳の私。「いっそひとつになりたい。あの水平線と空のように、ゆるやかに溶け合って、ひとつになりたい。そうしたらあの夕日のように寂しい思いをすることなんてないんだ。水平線と空は、いつまでもひとつに溶け合っていられる。」「嗚呼、夕日が見える。空からも海からも憎まれ、ひとり沈んでいくしかなかった、あの夕日だ。」

 ”太陽は巡る。明日も明後日も、変わらずこの空に顔を出し、この世界を照らしては沈むだろう。この宇宙に太陽はひとつしかなくて、ひとつしかないのなら昨日の太陽も今日の太陽も同じものだ。だけど昨日陸の隣で見た太陽はもう二度と帰っては来ないのだと智尋は思った。あの太陽はあの時きっと水平線の彼方に殺されて、そしてそれを見ていた自分達もまた、あの水平線に吸い込まれて行ったのだ。同じものはもう二度と戻っては来ない。自分が流転すると思っているものはみんな「流転」の言葉で欺かれた偽物なのだ。それは昨日とも違う、たった一分前のそれでさえ違う。そしてそれらに囲まれた自分も、立ち止まることなく進んでいく。例えば今吸い込んだ酸素でさえふと気付いた時には体内で循環され、代わりに不要となった二酸化炭素がこの移ろいゆく世界に足を付ける。そうやってこの世界に生を受けたものはみんな平等に進んでいく。ただひとつの確実な到達点、死へと向かって。”

落日。椎名林檎の歌声が聞こえる。西日降り注ぐ列車にひとり、ギターを抱えて佇む彼女の。
「独りきり置いて行かれたってサヨナラを言うのは可笑しいさ 丁度太陽が去っただけだろう」「僕は偶然君に出遭って ごく当たり前に慈しんで 夕日を迎えた」
「さあもう笑うよ」

さあもう笑うよ。何度も練習したピアノの旋律をもうこの指は覚えていない。けれど落日とは鳴り響くピアノなど必要はなく、ただ、このさざ波とともに落ちゆく、死にゆくだけの、ほんの短いひととき。落日。
太陽は落ちて、海風の前に髪が揺れる。空になったカップを右手に、ただここに立っている私。たったひとり立っている私。


どれだけの破片を拾い上げ通りすぎ踏みしだき、ここまで歩いてきただろう。
世界は、寄せては返す。それだけの営みに、破片がまた落ちていく。


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