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小粒で青い畑の宝石 沖縄在来大豆 オーヒグーの歴史を島豆腐で味わう vol.1

日本の南端でありながら、台湾から続く琉球弧文化圏に位置する沖縄。その生活文化や精神文化は、国連から先住民族に認められるほどの独自性を持っています。HAKOBUNEプロジェクトの創刊号は、沖縄で食べ継がれ、今ふたたび光を浴びつつある在来大豆「オーヒグー」の物語をお届けします。

HAKOBUNEプロジェクトとは?
スローフードインターナショナルおよびスローフードニッポンが展開する「味の箱船プロジェクト」に登録された希少な食材や食文化を、より多くのかたがたとともに愛で伝えるダイニング&メディアプロジェクトです。「味の箱船プロジェクト」は、世界中で消えてしまいそうな伝統食、伝統知を文字に起こして貯めておく、「絶滅危惧食品リスト」です。味の箱船フォトギャラリーはこちら

《HAKOBUNE 創刊号》
Episode1
食べ継いできた、地域の誇りを未来へ
繁多川公民館 あたいぐわ〜プロジェクト

Episode2
挽いてみた 絞ってみた 実になった
オーヒグーゆし豆腐のワンデイ・ダイニング

Episode3
つくってくれて 食べてくれて ありがとう
オーヒグーを味わい尽くすコミュニティの息吹

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Episode1
食べ継いできた、地域の誇りを未来へ
繁多川公民館 あたいぐわ〜プロジェクト

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3軒に1軒が豆腐屋。3割配合の在来大豆で商売繁盛

那覇市 繁多川。名前の通り豊かな水に恵まれたこの集落では、かつて3軒に1軒が豆腐屋を営んでいたことが今も人々の間で語り継がれています。豆腐屋の家に生まれ育った久高将一さん(81歳)には、忘れられない風景があります。

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オーヒグー生産チーム「あたいぐゎープロジェクト」会長の久高将一さん

「生まれたら、豆腐屋だったんです(笑)だから、小さい頃は、オーヒグーとタカアンダー、ヒクアンダーといった大豆の植え付けを手伝いました。小学校3、4年生ぐらいで自分の鍬を持たされて、日曜日は大人と一緒に畑を耕していました。耕したあと、25cmぐらいの間隔でおかあがぽっぽっぽっぽと穴をあけていく。そこに、おねえさんが3粒ずつタネをいれていく。その後を追いかけて、ゆっくり土をかけて踏んづけていく作業をしました。」

戦後すぐの豆腐屋さんは、原料の大豆から畑で育て、お豆腐をつくっていました。大豆の種類も今のように単一ではなく、オーヒグー・タカアンダー・ヒクアンダーと多品種でした。本土からくる大豆7割に沖縄の在来大豆3割を配合して手づくりされた豆腐は美味しいと評判で、露店に並べるとすぐに売り切れたといいます。

「女の人たちが『かみあちね〜』と呼ばれるスタイルで、頭の上に箱豆腐をのせて首里まで売りに行っていました。繁多川の豆腐は濃くて味もいいから、大人気。つい最近まで、鳥堀(首里の集落)の道端に出店があったんですよ。豆腐だけじゃなく、路端に座ってみんなものを売っていました。」

繁多川の人びとにとって、豆腐は大切な現金収入源。そして、商売繁盛の秘訣は、3割配合された在来大豆でした。その後、沖縄全体がサトウキビ中心の農業に移行したことで在来大豆の栽培は廃れていきましたが、豆腐をめぐる食文化は残りました。

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「こんな大きなシンメーナービーで、つくったよ」

「豆腐は高級品で、めったに食べられませんでした。だから、『まかない』が楽しみでしかたがなかった。『ななまかい』という言葉がありますが、本当に7回おかわりするくらい美味しくて、ついつい食べ過ぎてお腹がいっぱいになってしまい、1時間くらい動けなくなるほどでした。」

「まかない」とは、サトウキビの収穫を手伝ったご褒美のこと。サトウキビは1家族ごとに栽培しますが、収穫は重労働で1家族の手には負えないため、5〜6軒が力を結集し、1日がかりでこなしていました。

「今日は◯◯家の日だよ、となったら、おとう、おかあ、おじい、おばあもみんな一緒にその畑にいきました。作業が終わったら、広場に『にくぶく』と呼ばれる大きなゴザをしいて、車座になってゆし豆腐を食べました。大きなしんめーなーびー(四枚鍋)でたくさんつくってあるから好きなだけ食べられた。炊いた芋も一緒に出るのですが、これが、よく合うんです。基本的には、にがりの塩気が効いているので、そのままで。スクガラスを入れたりもしました」

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重労働の後、一緒に働いた集落のみんなでわかちあったご馳走の喜びを、まるで昨日のことのように目を輝かせながら話す久高さん。当時の思い出は数十年の時を経て情熱となり、久高さんをオーヒグー栽培へと動かしています。

公民館を起点に広がるオーヒグー栽培の輪

時代は下り、12年前に那覇市立繁多川公民館が完成。地域の絆をつくるプロジェクトのひとつとして、豆腐とオーヒグーに再び光が当たることになりました。

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干されて脱穀を待つオーヒグー。地域で栽培されたオーヒグーは繁多川公民館に集められます。

農業試験場に眠っていたオーヒグーを再発見したのは、沖縄大学・沖縄国際大学の非常勤講師 波平えりこさんでした。久高さんは、長い時を経て再び「オーヒグー」の名を耳にしたとき、「きーぶーちゃーした(鳥肌がたった)」といいます。

「わたしがオーヒグーを手にしたのは、波平先生が農業試験場からなんとか5粒だけわけてもらい、自宅で1年かけて増やした後でした。」

オーヒグー1粒は生長すると70〜200粒の実をつけます。久高さんは、波平さんが増やした中から5粒をゆずりうけ、自宅の屋上に植えました。そのとき植えた10名はみな栽培に成功し、在来大豆オーヒグー復活のスタートが切られました。

久高さんは繁多川公民館とともに「あたいぐゎ〜プロジェクト」を立ち上げ、地域の有志のひとびとにタネを配布。無農薬・無化学肥料で栽培してもらい、採れたオーヒグーを公民館に集めています。

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「実ったよ」この日も、地域のかたが収穫した大豆を公民館に持ってきた

「『あたいぐわぁー』というのは屋敷のすぐそばで食材をつくる沖縄の生活文化で、家庭菜園のようなものです。小さな畑で野菜などを育て、料理をするときにすぐとって、洗って、使っていました。そういった身近なかたちでオーヒグーをつくる人を増やしていけたら、という思いをこめて『あたいぐゎ〜プロジェクト』と名付けました。」

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繁多川自治会事務所の「あたいぐゎ〜」でも、オーヒグーが育っています。

メンバーは少しずつ増え、現在20名。タネは繁多川公民館で冷蔵庫に保管されています。公民館では、繁多川の「あたいぐゎ〜プロジェクト」のメンバー以外にも栽培してみたい人がいれば、1人10粒まで手渡しています。(名前と住所明記の上)

「これまでにタネをお譲りした中には、ひとりで20kgも収穫し、農連市場での販売に挑戦した方もいます。ところが、輸入大豆や本土産の大豆と比べて価格競争力がなく、豆の状態で売るのではまったく割に合いませんでした。そこで、オーヒグーを使った豆腐麺の商品開発をし、贈答用に1年間だけ販売しました。本格的に販売するにはオーヒグーの生産量が足りず、今は生産を停止しているのですが、、、」

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左がオーヒグー 右が一般的に流通している"大豆"

オーヒグーは一般的に流通している大豆にくらべて1粒の大きさが1/3ほどしかありません。このため、重さあたりの単価を一般的な大豆と同じにすると割が合わず、合わせようとすると3倍の価格になってしまいます。

畑の単位面積あたりの生産性が低く、今の市場経済においては経済合理性のないオーヒグー。だからこそ、一度は廃れてしまったわけですが、水で戻しただけの状態で食べ比べてみるとその差は歴然。一般的な大豆で感じるエグみがまったくなく、1粒噛みつぶすだけで、滋味とも呼べるような深い味わいとさわやかな香りが広がります。わたしたちは効率と引き換えに、いつのまにかみんなに幸せをもたらす美味しさを忘れ、知らないうちに闇に葬ってしまっているのではないか? ふと、そんな疑問が心をよぎるほどに。

同じように感じる人びとは、少なくないのでしょう。オーヒグーは、繁多川公民館を起点に「宇宙大豆」として宇宙にいったり、沖縄本島北部の塩屋地域で耕作放棄地を活用した栽培プロジェクトに展開したりと、確実に認知度を高め、広がっていっています。

地域の小学校で栽培。未来へ受け継がれる味と文化

久高さんが特に力を入れているのが、地域の小学校でのオーヒグー栽培です。

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真地小学校の畑

「真地小学校の3年生が、オーヒグーを題材にした総合学習の授業をうけています。小学校内の畑で栽培し、収穫して脱穀したオーヒグーでゆし豆腐を手づくりして食べ、最後は壁新聞にして発表します」

真地小学校で年間10kgを収穫し、1kgを翌年植えるタネにとり、残りをゆし豆腐にして食べているそう。久高さんはこうした活動を通して、子供たちに水という地域の自然の恵みや、豆腐どころとして名を馳せた先祖の誇りを伝えています。

「今は、地域にあるベーカリー『いまいパン』でオーヒグー入りのパンが販売されていますが、商業的に安定して展開できているのはそこだけです。生産量が全然足りません。本当は、もっともっと、みんなにつくってほしい。そして、いろいろなかたちで多くの人に味わってほしい。」

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沖縄では今もなお、スーパーマーケットに豆腐やさん直送のアチコーコー豆腐コーナーが設置されています。届く時間が掲示され、できたてアツアツのまま届けられた豆腐はビニールの包装袋の口が開いたまま売られます。

沖縄の食生活に深く根ざした島豆腐の中でも首里のお金持ちが競うように買っていたオーヒグー入りの島豆腐が、ふたたび店頭に並ぶ日はくるのでしょうか。その日が楽しみでなりません。

Episode2では、貴重なオーヒグーを使ったゆし豆腐をみんなでつくってみんなで味わった、特別な1日の様子を。Episode3では、繁多川を中心に育ちつつある、オーヒグーを愛で広げるコミュニティの今をお届けします。



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