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だから私は「貧困」を追いかける 「ハザードランプを探して」藤田和恵さんに聞く

聞き手:高田昌幸(フロントラインプレス代表)

2021年、元日の夜

ちょうど1年ほど前から、フロントラインプレスの藤田和恵さんは時間を見つけては、瀬戸大作さんと行動を共にしている。瀬戸さんは「反貧困ネットワーク・新型コロナ災害緊急アクション」事務局長。仕事も住まいも失い、所持金もほとんどなくなってしまったという人から「SOS」が届くと、車を走らせ、駆けつける。

2021年1月1日、東京・千代田区の聖イグナチオ教会で「年越し大人食堂」が開かれた。出来立ての弁当を配り、生活相談を受ける。会場の撤収後、瀬戸さんは、すぐ車を駆った。SOSが届いていたからだ。その車に取材者として同乗した。夜7時すぎ。都心の正月はビルの明かりも行きかう車も少ない。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、終末感を覚えるような光景だ。

SOSの主は、東京都内に住む60代の女性だという。ガスも電気も止まり、食べるものもない。街明かりに照らされた瀬戸さんがハンドルを握りながら、ため息をついた。

「日本全体の底が抜けちゃった感じがするよね」

SOSを発信した人はハザードランプを探す

――藤田さんは今年(2021年)2月、スローニュースで連載『ハザードランプを探して』を発表しました。瀬戸さんに密着取材を続けたルポです。そこは「貧困最前線」であり、上で紹介したのはその1シーンです。2021年9月には、連載を大幅に加筆した単行本『ハザードランプを探して 黙殺されるコロナ禍の闇を追う』(扶桑社)も出版しました。

藤田 何日も瀬戸さんのもとに通い、SOSを出す多くの人に会いました。瀬戸さんは駆け付け支援に向かうと、必ず車を路肩に止め、ハザードランプを点けたまま待つんですね。SOSを発した人はその点滅する光を目標にして、やってきます。『ハザードランプを探して』というタイトルは、それまで孤独だった人たちがようやく誰かとつながったことの象徴でした。

「生活保護だけはいや」とSOSの60代女性

元日の夜。瀬戸さんと藤田さんの2人は住宅街に停めた車で、SOSの女性を待った。人通りのほとんどない道路。ハザードランプがゆっくり点滅している。ほどなくして、杖をついた女性が歩いてきた。厚手のジャージの上下を着込んでいる。女性は不自由な脚を折りたたむようにして、助手席に乗り込んだ。

ぽつりぽつりと、彼女は語り始めた。

コロナ対策として国民全員に配られた特別定額給付金の10万円。それが支給されて以降、収入はゼロであること、近くのスーパーで捨てられたキャベツの外葉やブロッコリーの葉っぱを食べていること、カセットコンロで沸かしたお湯を飲んで寒さをしのいでいること、10日に一度ほど銭湯に通っていること、夜は毛糸の帽子とマフラー、コートを着込んで眠っていること――。

自分を呼ぶときは「わたくし」。きれいな日本語を話す女性だった。

彼女は話の途中で、渋谷で路上生活をしていた女性の暴行死事件に触れた。

2020年11月16日の早朝、バス停のベンチに座っていた60代の女性が、男に石などが入ったレジ袋で頭を殴られ、亡くなった事件である。コロナ禍が本格化する前まで、女性は首都圏のスーパーで試食販売の仕事をしていた。亡くなったときの所持金は8円。ほかには電源の入らない携帯電話と親類の連絡先が書かれたカードを持っていたとされる。

「私もあと3カ月ほどでお家賃(の支払いに当てるお金)が底を着きそうなんです。あのようなニュースを耳にしますと、女性の路上生活だけは避けたいと思って連絡をさせていただきました。まさか元日の夜に来てくださるなんて……」

ひとしきり話を聞いた瀬戸さんは生活保護の利用を提案した。途端に車内の空気が重くなる。しばしの沈黙の後、果たして女性は「生活保護は考えていない」と言った。それはなぜ? 尋ねると、「役所に対する絶望感がある」と言う。それ以上は多くを語らない。瀬戸さんが「(生活保護は)恥ずかしいことじゃないんですよ」と促しても、女性は「役所とはお近づきなりたくないんです」とかたくなだった。

20年前に知った「派遣」の現実

――コロナ禍で貧困の現状が可視化される以前から、それも相当前から、藤田さんは働き方や貧困の問題に取り組んでいます。特段のきっかけがあったんでしょうか?

藤田 貧困の背景には“劣悪な働かされ方”の問題があると思っています。そうした意味で、貧困問題を考えることになったのは、北海道新聞の社会部記者時代ですね。2000年代になったばかりの頃です。労働問題担当となり、派遣労働者をテーマにした連載「『派遣さん』と呼ばないで」を取材、執筆したことが直接のきっかけです。

今でこそ、「派遣社員」という語句は当たり前に使いますが、当時の新聞記事では派遣社員とはどのような雇用形態かという枕詞が必要でした。「勤務先の企業とは正規の雇用関係を結んでいない『派遣社員』」とか、「派遣会社と雇用契約を結び、別の企業で働く『派遣社員』」とか。そういう“言葉の説明”が必要だったんですね。

細切れ雇用を繰り返す不安定な身分だったので、クレジットカードも作れない、車や家のローンも組めないという派遣社員もいました。簡単に雇い止めにすることもできたので、女性の派遣社員はセクハラ被害に遭いがち。現在ではよく知られた実態かもしれませんが、当時は「こんな働き方が許されるのか」という驚きと強い憤りを抱きながらの取材でした。

――テレビドラマ「ハケンの品格」が人気を博していた時代ですね。

藤田 そうです。「連載記事はおもしろかった」という感想を寄せてくれる読者がいる一方で、派遣社員の当事者からは「私たち派遣社員をかわいそうな存在として描かないでほしい」という声も届くなど賛否両論でした。ただ、社内の声は芳しくなかった。「派遣労働という雇用を創出している観点が抜け落ちた偏った連載」という批判を受けましたね。そのことはよく覚えています。一部の劣悪な非正規雇用が増加の一途をたどり、貧困の温床になっていく流れに歯止めをかけることができなかったのは、私を含めた、こうしたメディアの感度の悪さも影響していたと思います。

――労働問題の取材にのめり込んだきっかけ、他にもありそうですね?

藤田 はい。札幌市内の特別養護老人ホームで、認知症の入居者らに対し、一部の職員が虐待をしていたという問題がありました。当初、私には「入居者に暴力をふるうなんて許しがたい」という視点しかありませんでした。ところが、取材を進めると、介護労働者の労働環境がいかに劣悪かということが分かってきた。夜勤も多く、体力的にもきつい仕事です。また、介護労働者のほうがときに入居者による暴力、暴言、セクハラの被害に遭うこともある。

そうした環境にもかかわらず、彼らの多くは非正規雇用です。時給は最低賃金レベル。生活保護基準以下の収入しか得られず、ダブルワークをしている人もいました。最近でこそ「エッセンシャルワーカー」などとも言われますが、当時の介護労働者への社会的な評価は今以上に低かった。

取材を進めるにつれ、自問自答することが増えていったんですよ。「同じ状況に置かれたとき、入居者を絶対に虐待しないと言えるだろうか」って。人手不足で夜勤でふらふらになっているとき、おむつ替えや食事を拒む入居者に蹴られたり、唾を吐きかけられたりしたら、つい手を上げてしまうんじゃないか? そう思いました。

――その取材経験から20年くらいになるわけですね。

藤田 そうなんです。20年…。そうした取材を続ける中で、肌身で感じました。劣悪な働き方は貧困につながる。貧困は心の余裕を奪う。それは提供するサービスの質の低下につながっていく。つまり、貧困問題は当事者だけの問題ではないんです。サービスを受ける側にいる人も含めたすべての人の問題です。

このまま劣悪な雇用が増え、貧困当事者が増え続けていくと、いずれの日本社会全体の劣化につながるのではないか、と。そう考えているうち、20年が過ぎ、実際に日本は取り返しのつかないところまで劣化してしまったと感じています。

撮影:穐吉洋子

貧困当事者に対する社会の目線、変わったか?

藤田さんは貧困の当事者を取材する際、必ず、「貧困状態に陥らないため、あるいは貧困状態から抜け出すためには、どんな政策、制度があればよいと思いますか」と質問する。取材記事を通して、ノンフィクションの書物を通して、現在の「政治の不作為」ともいえる状況を少しでも変えたいと考えてきたからだ。

ところが、最近、この質問に対する答えに戸惑いを覚えることがしばしばだという。貧困当事者自身が「悪いのは自分」と答えるようになったからだ。藤田さんはそこに、自己責任論の内在化を見る。そのこと自体が構造的な問題の一つだと考えている。

――確かに、貧困は個人だけの問題ではありません。

藤田 私がこの仕事を続けているのは、生活困窮者の実態や声を通し、貧困は自己責任ではなく、社会構造や政策、制度の問題であることを伝えたいからです。ただ貧困や労働をテーマにした記事に対しては、依然として自己責任バッシングのコメントが多く寄せられます。当事者も「悪いのは自分」、周囲も「悪いのはおまえだ」と言う。時に私個人も「左翼」「偏っている」などと批判されることもあります。

――自己責任論が社会の隅々まではびこってしまっていると?

藤田 こうした現実について、「弱い立場の人が、別の弱い立場の人を批判している」と言う人もいますが、私は少し違うと思っています。こうした自己責任論は自然に発生したわけではありません。どちらかというと、権力を持つ側の人たちが持ち込み、はびこらせてきた価値観です。

2012年に、芸能人の母親が生活保護を利用していたことが激しくバッシングされましたことを覚えてますか? 当時、「生活保護は怠けてずるいことをしている人が得する仕組みになっている」という旨の発言をしたのは参院議員の片山さつきさんでした。社会問題になっていたネットカフェ難民について「ちゃんと働いて」と言ったのはお笑い芸人の松本人志さんでした。「悪いのは頑張らない自分」という歪んだ自己責任論は、こうした権力を持つ人、発信力を持つ人たちによって植え付けられてきたものです。

一方でこの夏、著名なユーチューバーでメンタリストのDaiGoさんが生活保護利用者やホームレスに対して行った差別発言は、厳しい批判にさらされました。2012年当時とは、明らかに違います。世間がDaiGoさんの発言に怒った背景には、この間の貧困層の拡大もあるのではないかと私は思うんですね。貧困や生活保護を利用することが、いよいよ他人事ではなくなってきた、明日はわが身だ、と。そうとらえる人が増えたことで、DaiGoさんに対する反応も厳しくなったのではないでしょうか。そう考えると複雑な思いにもなります。

――スローニュースで連載して本になった『ハザードランプを探して』も含めて、最近の取材で驚いた経験は?

藤田 そうですねえ…では、ある20代の男性の話を。この男性は、寮付き派遣などで働いていましたが、コロナ禍で雇い止めに遭い、路上生活も経験しました。取材中、私が「ひどい働かせ方ですね」と言うと、男性はこう持論を語ったんです。「僕は寮付き派遣も悪くなかったと思っています。経営者の目線に立ったら正社員を雇うことのリスクも理解できます。そもそも日本の企業がすべて法律を遵守していたら、経営が立ちゆかない、世界と戦えませんよね」と。

この男性は経営者でも、社長でもありません。それなのに、なぜ、経営者の目線に立つのか。私が「そんなことを言って、喜ぶのは悪徳経営者だけでは?」と指摘しても、この男性は持論を曲げませんでした。

生活困窮状態にある人、特に若い人たちの中には「寮付き派遣でも仕事があるだけありがたいです」「声を上げて周囲に迷惑をかけたくないのでユニオンには入りません」という人もいます。究極の不安定雇用であるという理由で原則禁止されている「日雇い派遣」についても「日雇い派遣のおかげで食いつないでこられたのに、なぜ禁止するんだ」と逆に批判されたこともありました。

労働関連法や制度について知らない人、あるいは知っていても空気を読んで口をつぐむ人が増えた。いつ雇い止めに遭うか分からないという不安もあると思いますが、「権利の行使に消極的な人」が増えたと感じます。おかしいことをおかしいと言わない、言えない、言わせない。それが今の日本社会です。

「広報」を持たない人々のために

藤田さんは、こんなことをよく話す。

一定規模以上の企業は広報部署を持っている。政治家はメディアを通していくらでも自らの主張を発信できる。社会的に成功した人も同じだ。しかし、そうではない人はたくさんいる。声を上げる手立てを持たない人、その余裕のない人、自分のことをうまく伝えられない人……。せっかくジャーナリストになったのだから、そうした「自らの主張を発信するツールを持たない人の声」を拾いたいのだ、と。

――藤田さんには『民営化という名の労働破壊』という著書もあります。発刊は2006年。郵便局が主舞台です。

藤田 小泉純一郎政権によって、郵政民営化がぐんぐん推し進められる頃です。揺れる郵政職場を取材していました。最初は、民営化に伴って過重になっていく労働やノルマ営業について、「本務者」と呼ばれた正社員に話を聞いていったんですね。やがて、取材先は「ゆうめいと」に移っていきます。非正規社員です。彼らは本務者とほとんど同じ仕事をこなしながら、年収は半分以下、あるいは3分の1程度。続いて関心を持ったのは、郵便局からの委託を受けて荷物の配送や集荷する個人事業主たちでした。彼らの労働環境は「本務者」や「ゆうめいと」以上に劣悪です。今で言うところのワーキングプア状態の人たちが大勢いました。

振り返ってみて、敢えて「弱者」「強者」という言い方をするなら、私は記者としていつもより弱い立場の側にいる人たちの声に引き寄せられていった気がします。「なぜか?」と聞かれると、自分でも説明のしようがありません。長年、貧困や労働の問題について取材を続けていると、「否定的なことばかり書かないで社会のいい面も書いて」「成功者の話も書いてバランスが取るべきだ」といった指摘をよく受けます。ただ、そうした指摘には正直、「どうでもいい」と思うんですよ。そんなこと、私が書かなくてもいい。国や企業は放っておいても発信するし、成功者は自身でいくらでも書くでしょう? 記者になったからには、より弱い立場にいる人、声を発する機会を持たない人の声を、これからも伝えていきたいと思います。

撮影:穐吉洋子

「美術館…そんな夢みたいなことが…?」

冒頭で紹介した今年元日のSOS。「わたくし」という言葉を使う60代の女性は、ハザードランプを点けて停車中の車の中で長く、「反貧困ネットワーク・新型コロナ災害緊急アクション」の瀬戸さんに身の上を語った。

車内に流れる空気は穏やかだった。しかし、生活保護の利用、そこだけはかたくなに拒む。決してイエスと言わない。キャベツの外葉を食べて飢えをしのぎ、電気も止まった暗い部屋で防寒着を着て眠る暮らしであるにもかかわらず、「屋根があって、鍵がかかる家に住めているのは幸せなことです」と言う。今は幸せなのだ、と。

2時間ほど話を続ける中で、女性は美術館巡りが好きらしいということが分かった。最後に行ったのは東京・練馬にある絵本作家いわさきちひろさん(故人)の「ちひろ美術館」だという。それを聞いた瀬戸さんはこう言った。

「(生活保護のことは)焦って決めなくてもいいです。でも、僕たちはあなたに生きていてほしいと思っています。できれば温かいご飯を食べ、暖房のきいた部屋で暮らしてほしい。それから、時々は美術館にも行ってほしい」

すると、女性は少しうれしそうに言った。

「美術館…。そうですか。そんな夢みたいなことが…」

2021年が明けて最初のこの日、東京は氷点下1.3度まで冷え込んだ。

今年も間もなく、冬が来る。

撮影:穐吉洋子


聞き手:高田昌幸(フロントラインプレス代表)

掲載:2021年11月5日