内科のような気軽さ後悔

教育・学者界隈に批判的なことを書くと中の人が腹立てて消しちゃうこともあるけど、造反有理。
私が最初に精神科に行ったのは、ネットでエゴグラムをやったら「異常です。すぐに専門家に相談して下さい」って出たから。
それで一番近所のところに行った。待合室で隣に座っていたおじさんが「あんなの知ったかぶり!」って奥さんに言ってたのを聞いて私は「バカだなぁ。治してもらえるのに」って思った。けど結局おじさんの方が正しかった。18年通って「何で治らないんだろう」って言われて嘘でしょ?!ってなったから。

初診で先生が「アイデンティティーディフュージョンでしょ」って言ってて、ディフュージョンの意味がわからなくてスルーした私が悪かった。ディフュージョン=拡散。この意味をちゃんととらえられていたら「違います」って言えたのに。その時の私は全然アイデンティティーが拡散なんてしてなかった。今思えば、腹の底の底の気持ちまで出せる精神的安全性が保証された場が必要だっただけ。前職が厳し過ぎて多少弱ってたけど全然働ける体してた。でも言われるまま、出されるままアモキサンとエチカームとレンドルミンを飲み出したら自分でも気付かない間にみるみる体が重く動かなくなっていって気付いた時には寝込んでた。アモキサンをトレドミンに替えて、レンドルミンにハルシオンを追加しても、歯みがきすら立ったままで出来ないままだった。
投薬と平行して臨床心理士のカウンセリングを受けていたけど、最終的には物別れ。

高校時代の親友も偶然同じ先生にかかってたことが判明して彼女は誰にも秘密にしてたけど私には秘密にしなくなった。その時彼女は東京に住んでて、私が著名な著書のある精神科医の話をしたらその先生の診察を受けた。そしたら「あなたみたいな人は初めです❗️」って追い出されたと話してくれた。この時も気付くチャンスだった。親の言いなりに生きてる優等生はそんな生き残りの術持ってなかった。

その後彼女はバラしたらもっとヤバいことをするハメになったし、今はもうこの世にはいない。

その後治せない病気については断る医者にも出会ったから良くはなっているんだろうけど、溜め込んだ気持ちを吐き出すのに精神科を選ぶのは最悪な選択だと思う。ネットで示された通りに受診するのも最悪な選択。薬の処方箋受付やってる姪っ子いはく「あんなのゴキブリホイホイ」。一度薬を飲み始めたらまずやめられないと見てて思うそう。内科にかかるような気軽さで精神科にかかっちゃいけないんだと思う。かかっても大丈夫なのはまともな家庭環境の人。

精神科の研究者や医師、臨床心理の学者やカウンセラーは患者と協力して研究しないのかなぁ。そうじゃなきゃ、表面的に見てそう推測されるって理論しか完成しないと思う。
医師や研究者自身が精神を病んで初めて実体験として研究されるんだったら、医者になれるような家庭環境の人にしか通用しない理論しか完成しないと思う。

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