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美術って分かります?

電車の中で2人の男子高校生の会話「じゃあ、俺ここから“各駅”で帰るわ」「え?“各駅”?”各駅”じゃなくて”各停”じゃない?」「いや、普通”各駅”じゃない?」…「いやいや〜、1番正確なのは”各駅停車”じゃない!!??」と思わず即興コントに入りそうになるところを、間一髪で押さえる。よし、それでいい、落ち着け、私は既に43歳なのだ。

美術史をヌルッと学びはじめる。実は私は絵を見て感動したことがない。ハッキリ言って、よく分からないのである。「じょうずー!」とか「きれい!」とか「こわっ!」とかを感じることは確かにあるが、基本的に何かを鑑賞する際には必ず背景、歴史の理解、理屈が必要なのではなかろうか。分かるとは他と分けられる、という意味なので、言葉で差違を客観的に表現出来ないと分かるとは言えないとサブカル童貞崩れの私は思うのだった(ソシュール的な言語学のやつです)。歳とともに確実に感受性が落ちぶれていく今、鑑賞にかける量と知識、それについて使う時間が必ず私に新しい景色を見せてくれるだろう。美術鑑賞など、もはやブルジョアジーの嗜みではなく、誰にでも登れる山である。東京住んでたらなおさら。取り敢えず有名どころの絵画とその画家、位置付けられるグループを記憶する。そして、美術検定4級を取ったら卒業。隙間時間に山田五郎のYouTubeを観まくるぞ。

Amazon primeでアキ•カウリスマキ「レニングラード・カウボーイズ・アメリカ」観る。旧車とアメリカの当時の街並みにキュンキュン来る。クドカン、氣志團は完全にこれのオマージュですな。

朝は必ず東京FMのOneMorning(ワンモ)を流している。ユージの爽やかさに撃ち抜かれるし、吉田明世との掛け合いが日に日に気を使わず親密になるのを聴くにつけ、ラジオリスナーとしての喜びを感じる。どうでもいいが、この番組の合間に流れるカーネクストの〈カネカネカネカーネクスト🎵〉というラジオCMには、衒いのない拝金主義全開の清々しさが漂っており、これはこれで素晴らしい。

近所で区が主催するファミリーコンサートへ。近所のサークルや仲間がやっている楽器演奏やバンドなどが会する敷居の低いローカルフェスである。出番待ちのおばあちゃんに話しかけられ、フロアで雑談。おばあちゃんは85歳で息子が60歳、孫は28歳だと言う。もう子供も歳を取ってるし、家族はそれぞれ生きている。だから、私はこうやって仲間とウクレレを弾いて楽しんでるのよ、とのこと。ほう、これが趣味縁か。ゲマインシャフトたる血縁から抜け出した後、必要になるのは好奇心と行動力から得る仲間である。それはゲゼルシャフトへの移行なのではなく、新たなゲマインシャフトを構築することのように思える。我々は須く独り生まれ、独り死んでいく。その圧倒的な孤独を上書きする何か。人生はそれを見つける旅と言っても過言ではない。その後、彼女が参加するウクレレのコンサートを鑑賞。そうか、人生って長いんだな。おばあちゃんのウクレレ、染みたぜ。

名古屋、稲生でひつまぶし。普通に食べて、薬味で食べて、だしをかけて。鰻のジェットコースターである。最高。

息子が4ヶ月になった。こちらの笑顔に反応し、笑顔を返すように。直ぐに大人になってしまう。

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