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君たちは盆踊りの輪に入れるか

コンビニ界のヤマト運輸ことセブンイレブンの開催中のカレーフェスタ、最高。遂にコンビニにエリックサウスのバスマティーライスのビリヤニが陳列。令和5年の国士カレー無双。役満。

近所のプールは最高である。大人と子供2人合わせて500円くらいで2時間楽しめる。2時間という時間の設定も丁度良く、猛暑日で子供を外で遊ばせることが出来ない且つ、家でNintendo Switchをやる等の怠惰な過ごし方を回避したい休日のグッドソリューション。

ピース又吉のポッドキャストを聴く。芸人の出囃子にスポットを当て、その選定理由を聞き、人となりを引き出すという趣向。まさに、俺得コンテンツ。ジムのお供に。

盆踊りは本当にグレイトである。その踊りが踊れようが踊れまいが、服装が着物だろうが、Tシャツと短パンとクロックスだろうが、年寄りだろうが乳児だろうが、まるで関係なし。さらに言えば、日本国籍だろうが外国籍だろうが、年収が高いとか低いとか、右翼だろうが左翼だろうが、その主催する商店街に住んでいようがいまいが、グローバルとかローカルとか、ロックかロックじゃないかとか、ロッキンオン派かとかクロスビート派とか、家系と二郎はラーメン評論に値しないとか、賃貸派か分譲派かとか、君たちはどう生きるかとか、まるで関係なし。そこにあるのは、<瞬間>と<繋がり>だけである。この場では終わったら雲散霧消するだけの刹那的な関係が取り結ばれる。しかし、スローなダンスをしている間は、森羅万象を飲み込み、全てはテーブルの上に乗せられ、資本主義によって紐づけられた我々のタグを瞬時に無効化していく。これは、紛う事なき世界に誇るべき日本のキラーコンテンツ。さらに調子に乗って言えば、盆踊りはまさに出会って、別れて、忘れてしまうという人生の縮図とも言える。他の人の踊りを真似して踊りを踊り、覚えていくのは社会的人間として必要な所作である。上手に踊れなくてもいい、という本来我々が持っていたはずの盆踊りの輪の中での楽観的態度は、我々が資本主義のゲームに埋没していると忘れがちな態度と気づく。我々は社会の輪やSNSのマナーの中でいつの間にか上手に踊ったり、効率的に踊ったりすることに躍起になっている。しれっと入っても、君を排除する人は居ない。必要なのは、輪に入る一欠片の勇気だけである。先に輪に入っていた踊り手は寛容な態度で、これを迎えるだけだ。さて、下手な踊りを踊るのか、輪の外から冷笑するか。君たちは盆踊りの輪に入れるか。

最近は専らリビングではIkebe Shakedownを流している。ブルックリンのアフロビート。泣き叫ぶ二か月の息子をあやしながら、踊る。滾る。

最近、ニューヨークに想いを馳せている。漫才師ではなく、アメリカ合衆国にある州の方。死ぬまでに絶対に行ってみたい街は、なんといってもニューヨークである。20代後半から海外へせっせと出かけていたものの、お金もなかったし、バックパッカーに憧れていたのでアジア中心であった。むしろ、若い時に無理してニューヨークを見に行くのがよかったのかもしれないと、今更思ったりもする。然しながら、綾部祐二「HI,HOW ARE YOU」や、佐久間宣行のポッドキャストを聴くにつけ、その中で語られる物価の高さに慄く。並のレストランでアルコールなしで食事して30,000円、一蘭のラーメンが5,000円、普通に生活するには年収2000万は必要だってよ。うへえ、マジかよ。

酷暑の中、プリンセス達の接待の為ディズニーランドへ。愛する家族のため、一人パレード場所取りへ。アスファルトの熱さで尻の一部が溶解するという現実。

X(a.k.a Twitter)で流れて来たFOXYの動画におおいに救われる。イントロからブチ上がる映像に悶絶。全体的に色味とか合成とか、全てが最高峰の出来栄え。ここに、ニヒリズムが介在する余地はない。


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