自己紹介〜人生のどん底真っ最中〜

はじめまして 三崎 と申します。
東北に住んでいる、今年33歳かに座のA型です。
性別はと言いますと戸籍上は女性、性自認は男性の性同一性障害(FTM)で実生活では基本的に男性として生活してます。

20代の半ば頃、膝に違和感を覚え整形外科を受診。
症状的にはリウマチに近いものがあり何度も血液検査をしましたが診断には至らず数年間ステロイドと鎮痛剤で凌いでいました。

病名や原因は不明でしたがとりあえず薬を飲んでさえいれば症状は落ち着いていたので20代後半にリゾートバイトで憧れの沖縄の離島へ行き、5年ほどホテルで働きながら島生活を満喫。

島生活3年目で同じようにリゾートバイトで働きに来た10歳下の元妻と出会い2年の交際を経て養子縁組をして結婚という形をとりました。
その頃より少し前から足先に紫斑が出始め、足首から下にできた怪我は必ずと言っていいほど潰瘍化。そこを庇って歩行する為違う場所に負荷がかかりまたそこも潰瘍化し常に足に怪我をしている状態でした。
石垣島の県立病院で皮膚生検も行いましたがステロイドを長期で服用していたため、原因がステロイドによってマスクされ病名の特定には至りませんでした。

結婚を期に本格的に治療を検討し始めたタイミングで島生活に限界を感じていた元妻の強い要望もありその年に島を出て内地へ戻りました。
紆余曲折あって茨城県に寮を構える工場に元妻が派遣社員として就職。
それに合わせて2人で茨城に住むことに。

僕自身も元妻と同じ工場で働くことになったのですが働きはじめてすぐに持病が悪化し、1ヶ月も働かないうちに退職せざるを得なくなりました。
僕には治療費や生活費などに充てた借金の支払いと内地へ戻ってきた際に購入した車のローンの支払いが毎月10万前後ありましたが生活費も含めて元妻が全て負担してくれていました。

僕の状態が良くなることもないままそんな生活が長く続けられる訳もなく、数ヶ月で結婚生活ごと破綻。
それぞれ地元に戻りました。

地元に戻った後かかりつけのクリニックから紹介状を書いてもらい総合病院で2度目の皮膚生検を行ってようやく結節性多発動脈炎という診断がおりました。

その後数ヶ月単位の入退院を繰り返し、現在は通院をしながら送迎ドライバーのアルバイトをしつつ細々と暮らしております。

ただいま人生のどん底におり、ふと全てを投げ出してしまいたい気持ちになる事も多々ありますがこのブログには日々の記録と同じ病気、症状に悩んでる人へ治療のヒントになるようなことが書ければいいなと思っています。

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