円環する時間に出会う、死者たちとの対話

  2020年4月29日の日常。それは「非常事態」と命名された日常だ。家族以外の人と会うことができない。電車に乗り、移動することができない。大都市、東京にそんな日が来るとは誰も思わなかっただろう。そしてそのような「非常事態」はすでに1ヶ月以上も続いている。

  そんな「非常事態」によって大きく制限された私の日常の時間は、今までのそれとはあまりに違い、ゆっくりと流れる。いや、それは流れるというよりも、円環している、といったほうが正確かもしれない。昨日も、今日も、明日も、ほぼ同じサイクルで繰り返される。その極めて反復的な時間は、桜が咲い、散り、新緑がサワサワと音を立てながら芽吹くこの頃にも変わらず続いている。あれだけ多くの人に会い、あれだけ遠くへと身体を移動させ続けていた私の日常は突如、ごく少数の他者とごく小さな範囲の中で円環するようになってしまった。仕事に行かない。家族以外の人と会わない、話さない。息子の学校もない。いつ終わるかわからない、コロナ禍をめぐる統計的な情報だけが変化していく。

 その円環する時間の中で、私は毎日のように染井霊園を訪れている。もうすぐ7歳になる息子を、かつて東京外国語大学の跡地に整えられた「みんなの公園」まで連れていくためには、広大な墓地を通り抜けなければならないからだ。私たちは毎日のように染井霊園の敷地で、てんとう虫を集めたり、蝶々を追いかけたり、猫を待ち伏せしたりしている。時間はいくらでもあるのだ。都心ではあり得ないほど広く空を感じながら、私たちは存分に寄り道を堪能する。見渡す限り全方位を、墓が囲んでいる。多くは江戸時代から明治、大正、昭和初期にたてられた由緒ある立派な墓だ。
 もともとは水戸徳川家の墓場であったものを、明治7年に公営とし、現在は都立霊園として管理されるここには、宗教や宗派を超えて、実に多くの偉人が眠っている。墓所に「著名人」として掲げられている人々は、主に明治以後の「近代化」の中で様々に格闘した偉人たちだ。

  息子が導くままに時間を過ごしていたこの墓所の中で、私はふと、自分の円環する時間が、ここに埋葬された死者たちのそれと共にある、という妄想に取り憑かれた。私と息子以外は、草木と、虫たちと、数匹の猫と、墓標と、その下に眠る死者たちしかいない。死者たちは、永遠に死者だった。そこに葬られた、50年、100年、200年前からずっと、死者であり続けている。彼らも、明治維新や大戦のように、それまでの体制や価値観が一切通用しなくなる「非常事態」も経験していただろう。それは日常が突如中断され、一種の例外状態の中で、自分や身内の生存を守ることを目下の目標にしなければならないような、そのような時間であっただろう。にもかかわらず、時間はゆっくりと円環し、永遠に続くかのように思われたはずだ。なぜならそれが日常だからだ。昨日も、今日も、明日も、非常事態という日常は淡々と続く。その連なりが、「歴史」となるだけなのだから。

  私はこの円環する時間の中で、死者たちと共にある。もちろん彼らを代弁することはできない。だが、彼らの生きた時代をコロナ禍の現在に召喚することで、「いま」を捉え直すことはできるはずだ。それは円環する時間の中の裂け目と繋がり、過去における「いま」として私の脳内に顕れる。彼らの生きた時間は、現在と重なりあう、あり得たかもしれない「いま」として、私たちに何を語りかけてくるだろうか。

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