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日曜日の本棚#10『塩狩峠』三浦綾子(新潮文庫)【語り継がれた逸話が作家に届くまで】

毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
前回はこちら。

今回は、三浦綾子さんの『塩狩峠』です。本作は明治42年、北海道・宗谷本線の塩狩峠で起きた鉄道事故で殉死した長野政雄氏を元に主人公・永野信夫の生涯を描いています。

あらすじ

誠の心、勇気、努力。
大勢の乗客の命を救うため、雪の塩狩峠で自らの命を犠牲にした若き鉄道員の愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う。
結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車は、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らを犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、生きることの意味を問う長編小説。
(新潮文庫の作品紹介より)

あとがきに凝縮された作家を動かした「深く激しい感動」

三浦綾子は、キリスト教信徒として創作活動をした作家の一人です。本作も主人公とキリスト教の関係性を描いています。旭川市に生まれ、信仰の拠点であった旭川六条教会で、長野政雄氏のことを知ることになります。
死後三十年経ったにもかかわらず、長野氏の命日を大切な日と語り継ぐ教会の牧師言葉に接し、『塩狩峠』のあとがきでこう述べています。

死後三十年といえば、普通近親の者にも忘れ去られる年月ではなかろうか。長野氏の死は、いかに後々まで多くの人に感銘を与えたことであろう。(中略)わたしは長野政雄氏の信仰のすばらしさに叩きのめされたような気がした。深く激しい感動であった。

『塩狩峠』あとがきより

この深い感動は、信仰者として長野氏のことを後世に語り継ぐ必要性と旭川を拠点として活動する作家として後世に残す義務感を喚起させたことは、想像に難くありません。

参考 旭川六条教会

信仰を現代人の視点で描くバランス感覚

現在でこそ、キリスト教は身近に感じられる存在であり、各地域に根付いたキリスト教系の学校は、社会の一翼を担っていますが、江戸時代は禁教とされ、明治政府の出した五榜の掲示ではまだ、キリスト教は認められていませんでした。

本作では、キリスト教のことをやそ(耶蘇)として、差別のニュアンスのある使い方で社会に浸透していたことを知ることができます。

実在の長野氏について、三浦綾子さんはあとがきで述べておられますが、鉄道職員としても信仰者としても高潔な人物であったようです。しかし、本作の主人公・信夫は、現代人としてのバランス感覚ある人物として造形されています。

読者が作品の世界観に入りやすいように工夫をしているのでしょう。

信仰の理由で、祖母から家を追い出されたため、母を知らずに育つ信夫の設定しかり、殉死する場面を淡々と記述する描写しかり、作家がバランス感覚を重視していたことが伺えます。

賛美されるように仕組まれていないからこそ、作家が本作に込めた願いが凝縮されているのではと思います。本当の感動は、作為によるものではないと信じていたからではと感じました。

1968年に書かれた本作が、50年の時を経て、現代の読者である私にも届く力はこのバランス感覚なのだろうと思います。

また、本作は石坂洋次郎のような青春小説のテイストをも持っている作品でもあります。

信仰の難しい時代だからこそ、読み継がれてほしい作品

本作は、結末のわかっている作品です。主人公・信夫が東京から北海道へ移住すると心が締め付けられる思いがします。

私はキリスト教徒ではありませんし、本作を読んでキリスト教に関心が高まったわけではありませんが、信仰の尊さは理解できたように思います。

深い感動を得られる作品は、そう多くはありません。本作はその意味でも、長く読み継がれてほしい作品だと感じました。

本作には、三浦綾子さんの夫・三浦光世氏が監修した漫画版もあります。小説の信夫をそのままに造形した作画が優れていると思います。

塩狩峠のある和寒(わっさむ)町には、三浦綾子さんの書斎などを移した塩狩峠記念館が、旭川市には、三浦綾子記念文学館があるそうです。

北海道を訪れる機会があれば、ぜひ訪ねてみたいと思った次第です。

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