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マイナンバーカード問題に潜む恐ろしい「思考」(5)【もはや、重篤な国民病といえるある思考】

マイナンバーカード問題について考えています。

この問題を考えると、現代社会に生きる私たちの思考に潜む問題を感じるようになりました。

前回はこちら

今回は、表題にした、重篤な国民病といえるある思考について考えます。

それは、「失敗」にまつわる病。

この病に罹患していない人は、例外なくいないと思っています。それほど、この国に蔓延している国民病なんだろうと思います。

ただ、症状の発現の仕方は2通りあるのかなと感じます。

まず、私が強く罹患しているパターン。それが「失敗恐怖症」です。

塾講師の立場上、失敗してはいけないというプッシャーは常にあります。問題が解けないなどいうのは、存在を脅かすものでもあり、大げさに言えば、生存レベルでのプレッシャーとなります。
そのため、失敗してはいけないという意識は常にあります。

塾講師の先生方を見ても、私と同様のプレッシャーに晒されながら仕事をしているなと思います。
医療関係者やプロドライバーなど失敗が死に直結するような厳しい環境でお仕事をされている人たちも同様ではと思います。

ただ、この失敗への過度の恐れが不断の努力のモチベーションにもなっていることもあり、良い面もあるのかなと思います。
また、失敗のメカニズムについても、詳しくもなります。失敗した場合、徹底して分析をかけるからです。これも恐怖心が根底にあるから、二度と失敗はしないようにしたいという心理からくるのでしょう。

もう一つの失敗の病。それは、「失敗を認められない病」でしょう。

マイナンバーカード問題はまさにこれになっていると思っています。
こちらは、優秀な人たちが罹患する病。この国の一種のエリート病だと私は思っています。
昨今の国会議員は、ほとんどがこれに罹患していると思っています。

マイナンバーカード問題について、あの大臣さんだけでなく、内閣全体として、真摯に向き合おうとしていないように国民からは見えますが、彼らは、マイナンバーカード問題のことよりも、「自分たちが失敗したと認められない」という点にこだわってしまっているのではと感じます。

失敗というのは、認識の問題だという意識があるのかなと感じなくもありません。

失敗というのは、失敗と認めたとき失敗になる。そういう考えが根底にあるのでしょう。
裸で歩いているのに、裸で歩いているわけではないと思えば、裸ではないというロジック。

失敗恐怖症の立場の人間からすると、失敗は自分の認識の外にあるので、自分がどう思おうが、失敗は失敗であるとしか思えないのですが、人間の認識のメカニズムの不思議なところで、このような思考の人たちは、何もかも失ったり、破壊しまくってようやく認識を改める。

この2つのパターンのいずれにしても、失敗について、過剰なマイナスの意識があることが問題の背景にあるのではと思います。

権威主義と失敗は非常に食い合わせが悪く、このような文化的な背景も問題が悪化させていると思っています。

これまでは、マイナンバーカード問題は、一旦止めて、問題を検証したらどうかと思っていましたが、失敗についての考察を進めると、これは想像以上に難題なのだろうと感じています。

先の戦争の日本軍の認識もこの「失敗を認められない」パターンなのだろうと見ています。
戦後、
・このような戦争に勝ち目があるとは思っていなかった
とか
・誰か戦争を終わらせる判断をしてほしかった
とか軍幹部の証言がぞろぞろ出てきたと伝えられています。失敗を認めることが極めて難しい環境にあったことが理解できる例でしょう。

失敗を恐れ、失敗を認められないメカニズムは、もっと研究され、処方箋を社会が獲得しないと社会はこの問題に振り回され続けるのではと感じています。


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