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日曜日の本棚#6『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』七月隆文(宝島社文庫)【文学かエンタメかそれが問題だ】

日曜日に読書感想をUPしています。
前回はこちら。

今回は、七月隆文さんの『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』です。本作、ネタバレが重要な意味を持ちます。すでにタイトルからヤバいです(^^)
なので、ネタバレが嫌な方は、読了されてからお読みいただけるとありがたいです。

本作は、福士蒼汰さん、小松菜奈さん主演で映画化されています。

あらすじ

京都の美大に通うぼくが一目惚れした女の子。高嶺の花に見えた彼女に意を決して声をかけ、交際にこぎつけた。気配り上手でさびしがりやな彼女には、ぼくが想像もできなかった大きな秘密が隠されていて―。「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?」奇跡の運命で結ばれた二人を描く、甘くせつない恋愛小説。彼女の秘密を知ったとき、きっと最初から読み返したくなる。(宝島社作品紹介より)

京都という最高の舞台装置

京都を舞台にした作品です。一度でも京都を訪れたことのある人には、親しみを持てるものになっているのではと思います。学生時代を京都で過ごした方ならば、楽しさは5割増しは確実でしょう。京阪電車、叡山電鉄での通学、京都市動物園などが登場し、京都の美大生の日常がいい感じで描かれています。

実はオチを知って読んだ作品

実は、本作ネタバレを知った上で読んだ作品でした。私はあまりそのあたりは気にならないタイプなので、「そういう仕掛けなんだな」という前提で読んでいました。なので、大体の方向性を理解していたこともあり、逆に丁寧に読むことができたと思います。

そのため展開に驚きがないこともあり、最後まで恋愛小説という理解で読め、多少のスパイス的な味付けとしてSF的な設定があったと感じる程度でした。

結果として、自分は気持ちの面でも、寄り道せずに終始、恋愛小説として読むことができました。

逆に言えば、何も知らずに本作を読むと混乱した読者もいたかなとかなと思います。もし、秀逸なタイトルに惹かれて本作を手に取ったのであれば、ここに意味と価値を求めて読み始める以上、設定のこのような扱いは看過できない読者もいたかもとも思います。

分断を描かない展開は、恋愛小説としてはどうか?

ただ、仕掛けの存在が本作が恋愛小説なのか、SF小説なのかという問いが生じてしまうことがありそうで、それ自体、設定の失敗とも言えるかもしれません。同じような類型の作品として、筒井康隆の『時をかける少女』が挙げられそうですが、これにそのような問いを立てることはないからです。

本作の問題の本質は、存在している世界が違うことを乗り越える二人が描かれないことでしょう。

終始、主人公・高寿の側にヒロイン・愛美がいるという設定が問題を生じさせていると感じました。

実際には、愛美は別世界の人間なので、高寿側にいないのにもかかわらず、どんな世界に住んでいようと愛美は自分のそばにいるという高寿の認知では、「問題」そのものが生じません。

二人に別離の危機が生じないので、「じゃ、5年後よろしくね」とあっさりと表現してしまう。なので、読み手も「そうなんだね」と問う程度の理解にとどまってしまう。

本作に恋愛小説としてあるべきだった切なさがないのは、設定によって分断される二人が描かれないからだろうと思います。

エンタメか文学かで分かれる解釈

世界の違う二人が強い愛情で結ばれ、それが時空間を超える力があるというのであれば、それをちゃんと描く必要がありますし、高寿が今の世界を捨てて、向こうに行くとかの設定は必要だったのではと思います。

それがないので、何のためにこのような設定になっているのかわからず、二人にとって、人生に避けることができなかった出来事でもないと理解してしまうので、読み手も深く考えず、「そういうものなのね」という理解で読み終えてしまう・・・という感じなのかなと思いました。

結果として、本作は人がいかに生きるかという問いがないことがこのような設定でも是とすることができたのだろうと思いました。それは、文学性の欠如ということでしょう。ただ、そのようなことを描く気がなく終始エンタメとして、読み手に適度な塩梅で物語を届けるということであれば、それはそれでありなのかもしれません。


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